八月五日(金)己未(舊七月三日)
入院生活第八日目。
「ひげ日記」の原稿を書きはじめて、もう15通。以前、「歴史紀行」を京都から実況中継したことが思ひ出されます(第六冊「平安京編二」)。
さて、入院して一週間たちましたが、退院がどうも数日延びさうなのであります。
夕べは深夜に目覚めてしまつたので、モーツァルトの「レクイエム」を聞きました。「マタイ受難曲」は抜粋でしたが、これは全曲。映画「アマデウス」の場面がちらついたりしながら、聞き通してしまひました。本来は寝る(死ぬ)ための曲なのに、かへつて心も目も冴えてしまひました。
それでも、朝食時間には起床し、いつもの一日がはじまりました。
まづ、昨日看護婦さんが作つてくれた「自己検脈表」に従つて、脈拍と血圧を計つて記入しました。でもぼくは手首では脈が触れにくくて、他にわかりやすいところをみつけたいのですがどこがいいのだらう?
さう、朝食後、手術をしてくださつた担当医の先生がこられ、診てもらつたところ、傷口の治りが通常よりおくれてゐることと、左手の腫れが広がつてゐるので、治る見込みがたつまで退院を延ばしませうといふことになつてしまひました。
また採血があり、点滴もありで、午前中は、ラフマニノフを聴いて過ごしました。
ラフマニノフは、お気に入りのピアノ協奏曲第二番。それと、パガニーニの主題による狂詩曲を聴きました。これは、ぼくが中学生の頃、ラジオのクラシック番組に初めで最後のリクエストをした曲なんです。
まだラジカセもCDもMDもウォークマンもない、だからといつてレコードを買ふなんてことは考へもしなかつた時代でして、唯一ラジオから流れ出てくる音楽を楽しみとしてゐたころでした。ぼくの名前が呼ばれ、曲が聞こえてきたときの、あの感激はこれからも忘れないでせう。
妻が来てからだを拭いてゐると、今日は斎藤さんが見舞にきてくださいました。昨日の坂本さんと斎藤さんは、ぼくが葛飾に帰つてきてからできた弓道のお仲間で、仲間といふ付き合ひを今までしたことがなかつたぼくの人生にとつて、実に貴重なお友だちなのであります。
ただ、これからも弓道がつづけられるか判らないのが寂しいです。
でも、もう一組、中仙道を一緒に歩いた仲間ができました。助け助けられ、ではなく、多くはぼくが助けられながら励ましあつた仲間です。こちらは、年に数回歴史散策を行つて会ふだけですが、気持ちは、いまなほ人生といふ街道を一緒に歩いてゐると言つていい仲間ですね。
仲間なんていふと、排他的な気分が潜在するやうで、それまでのぼくの生き方からすると決して自分からは望まなかつたでせう。ところが、同じ経験を歩いてきた友を、仲間と呼ばずしてなんと言つたらいいかを考へつくしたすゑ、あへて仲間と言はせていただきました。
斎藤さん、けつこう長く話していかれたんですが、それから、夢枕貘さんの 『陰陽師 瘤取り晴明』 を読み上げました。画家の村上豊さんとの共作で、まるで絵本ですから、ペラつと読めました。
内容は先日読んだ『宇治拾遺物語』の中あつた「瘤取り爺さん」に味付けした話でした。
あ~、それにしても焼き肉でもステーキでもいい、肉が食いたい!
今日の寫眞・・「自己検脈表」とますます腫れる左手。見舞に來てくれた齋藤さんと夜の東京タワー。