二〇二〇年十二月(師走)一日(火)舊十月十七日(戊寅) 晴

 

ローレンス・ブロックの探偵マット・スカダー・シリーズ 『聖なる酒場の挽歌』 を讀みはじめる。 

夕方、「高森昭先生追悼文集」 が屆いた。六月に神田健次くんから依賴されて書いたぼくの文章(六月十一日の日記參照)も、添付した當時の寫眞も活かされて掲載されてゐた。編集・作成してくれた神田君はじめスタッフには感謝したい。

 

 

十二月二日(水)舊十月十八日(己卯) 曇天ところどころで小雨

 

今日は、明日の旅のために、那須塩原驛までの乘車券と特急券を、日暮里驛のみどりの窓口まで買ひに出た。ふだんから比較的行列ができないところなので、すぐに買ひ求めることができた。

あとは用事もなかつたが、上野まで歩かうと思ひたち、谷中靈園を通りぬけて藝大、上野公園、そして西郷さんの銅像のところまでぶらぶらと散歩した。そして、例の江戸ッ子すしでお好みの貝のにぎりを食べてから歸路についた。

今日の歩數は、五九〇〇歩。

 

明日の準備をかねて、堀切実著 『「おくのほそ道」をよむ』(岩波ブックレット) を持ち歩いてよんだ。

内容紹介・・・親しみやすいようで難しい古典『おくのほそ道』。これを大学で受講した若者たちの率直な読み方を紹介しながらこれに共感したり反発したりしつつ、筆者独自の芭蕉の世界を描き出すユニークな入門書。

 

 

十二月三日(木)舊十月十九日(庚辰) 曇天のち晴

 

『おくのほそ道』 の旅、川野さんと黑羽・雲巖寺を訪ねる。川野さんと、『おくのほそ道』 の旅を意識して歩いたのは、二〇一六年三月二十六日(水)、渡良瀨川のヨシ焼きとともに〈室の八嶋〉を探訪して以來になるだらうか。日光までは歩いたが、その先の黑羽までを、芭蕉と同じやうに歩くのは無理と判斷し、直接黑羽と雲巖寺を訪ねたのであつた。

旅程は川野さんにおまかせしてしまつたけれど、ベストプランをたててくださつた。

那須塩原驛で待ち合はせ、まづバスで雲巖寺に直行したのであつた。それが女性の運轉手で、約一時間あちこち寄り道しながら、とくに黑羽刑務所に立ち寄つたのにはなぜか感慨深いものがあつた。

終點雲巖寺には一一時三八分着。折り返し一二時三〇分發までのあひだ、『おくのほそ道』 のその場面をよみながら、芭蕉が訪れた「雲岸寺」を堪能した。ただ、「佛頂和尚山居の跡」を確認できなかつたのがなんとも殘念だつた。以下、その場面。

「當國雲岸寺のおくに佛頂和尚山居跡あり

  竪横の 五尺にたらぬ 草の庵 むすふもくやし 雨なかりせハ

と、松の炭して岩に書付侍りと、いつそや聞え給ふ。其跡みむと雲岸寺に杖を曳ハ、人々すゝんて共にいさなひ、若き人おほく道のほと打さハきて、おほえす彼梺に至る。山ハおくあるけしきにて、谷道遥に、松杉黑く、苔したたりて、卯月の天今猶寒し。十景盡る所、橋をわたつて山門に入。

さて、かの跡ハいつくのほとにやと、後の山によちのほれハ、石上の小庵岩窟にむすひかけたり。妙禅師の死關、法雲法師の石室をみるかことし。

  木啄も 庵ハやふらす 夏木立

と、とりあへぬ一句を柱に殘侍し」

 

 

*左上から、雲巖寺、大雄寺、芭蕉の館(馬に乘る芭蕉と曾良の像)

 



 

つづいて大雄寺入口バス停下車、大雄寺(だいおうじ)と舊淨法寺邸(ここに芭蕉は八泊)と芭蕉の館を訪問。地圖では平面とみえたところが、石段と坂道の連續で、歩き回るだけで息がきれてしかたなかつた。なんとも、見學どころではなく、總茅葺の大雄寺、芭蕉の館の馬に乘る芭蕉と曾良の像などを、寫眞にだけはおさめることができた。

晝食は、那須神社に向ふ途中、タクシーを待つ間、那珂川にかかる那珂橋たもとの“かまくら”といふ由緒ありさうなそば屋でいただいた。

田舎の道をタクシーで、着いた那須神社の參道の長いこと。よく考へたら、流鏑馬に必要な距離だつたやうだ。その「八幡宮に詣づ」。

「与市扇の的を射し時、『別してハ我國氏神正八まん』とちかひしも、此神社にて侍と聞ハ、感應殊しきりに覺えらる」

その參道にそつた西側には、《道の駅 那須与一の郷》 があり、那須与一傳承館はじめ、レストラン館や農産物直賣館がならび、正常時なら大勢の人々でにぎはふにちがひないと思つた。

「与一伝承館は、その名の通り、那須与一公にまつわる逸品や貴重な資料などが展示されています。また、扇の的として名高い屋島の合戦における那須与一公の活躍をからくり人形風ロボットなどの劇も行われています」 といふ、からくり人形劇を川野さんと二人きりで鑑賞! よくできてゐて、樂しかつた。

ところが、那須塩原驛までのバスの途中で、あたりは暗闇となり、どこをどう走つてゐるのかわからず、遠い昔にひきもどされるやうな、なつかしいといふか、いささか心細い思ひにひたることができた。

なにしろ、芭蕉は、『おくのほそ道』 の旅のうち、黑羽で最長の十三泊十四日滯在してゐるのである。まだ訪ねるべきところは多く、玉藻稲荷神社や光明寺跡、翠桃邸跡や西敎寺の句碑なども見たかつた。が、今回は斷念するしかなかつた。

 

*那須神社參道と那須与一像(左後方が傳承館)

 


 

 

十二月四日(金)舊十月廿日(辛巳) 晴

 

猫たちをかまひながら終日讀書。

ローレンス・ブロック著 『聖なる酒場の挽歌』 をよみすすむ。

*弟から、地元のりんごが送られてきた。

 

 

十二月五日(土)舊十月廿一日(壬午) 終日こぬかあめ

 

今日も靜かに讀書。猫たちにまとはりつかれて進まず。

昨日 「日本聖書協会 古本募金」 の問ひ合はせ先に電話したところ、さつそく本日引き取りにきてくれた。業者は苦手な佐川急便だつたが、とりあへず、先日つめたミカン箱二箱を持つて行つてもらへた。

 

 

十二月六日(日)舊十月廿二日(癸未) 晴

 

ローレンス・ブロック著 『聖なる酒場の挽歌』 讀了。これで、探偵マット・スカダー・シリーズ既刊分十七册、いや、最近新作が出たやうなので(『石を放つとき』)、十八册のうちの十一册までよんだことになる。まだまだ樂しみはつづきさうだ。

つづいて、村松友次著 『謎の旅人 曾良』(大修館書店) をよみはじめたところ、なぜ芭蕉と曾良が黑羽で長逗留したのかなど、「謎」解きのおもしろさに酔いしれてしまつた!

 

夕方、美知子と立石のオリンピックに行き、猫の爪ハサミとぼくのズボンのベルトを買つた。

 

 

十二月七日(月)舊十月廿三日(甲申・大雪) 晴

 

齒科通院。

村松友次著 『謎の旅人 曾良』 讀了。あれこれ興味がかきたてられた。著者は、さいごに、「私は曽良本こそ芭蕉自筆の『おくのほそ道』 の完成稿であると思う。(なぜなら) これを、旅の最大の功労者曽良に与えたのは当然のことである」 と書いてをられる。

 幸ひ、この曾良本も、素龍淸書本も、野坡本も手もとにあるのでくらべてみたけれど、まあ、讀むだけならばどれを選んでもいいのではないか。持ち歩いてゐる複製(和本)は素龍淸書本だけれども、變體假名の讀みにくさにかんしてはみな大差ない。

内容紹介・・・そら。俳人、神道家、旗本の用人、隠密…??? 曽良とはいったい何者か。「おくのほそ道」に随行した謎多き旅人の実像を追う。

 

スティーヴ・ハミルトン著 『解錠師』 を讀みはじめる。これも面白い。

 

 

十二月八日(火)舊十月廿四日(乙酉・下弦) 晴のちくもり

 

スティーヴ・ハミルトン著 『解錠師』 讀了。一氣に讀ませた。

内容紹介・・・八歳の時にある出来事から言葉を失ってしまったマイク。だが彼には才能があった。絵を描くこと、そしてどんな錠も開くことが出来る才能だ。孤独な彼は錠前を友に成長する。やがて高校生となったある日、ひょんなことからプロの金庫破りの弟子となり、芸術的腕前を持つ解錠師に…非情な犯罪の世界に生きる少年の光と影を描き、MWA賞最優秀長篇賞、CWA賞スティール・ダガー賞など世界のミステリ賞を獲得した話題作。このミステリーがすごい!2013年版海外編。2012年週刊文春ミステリーベスト10海外部門第1位。

 

 

十二月九日(水)舊十月廿五日(丙戌) くもり

 

今日は妻の誕生日。

母はデイサービス。お墓參りに出かけた美知子と船橋で待ち合はせ、買ひ物と晝食。

食後、別行動で、ぼくは東武鐡道で柏へ行き、太平書林をたずねる豫定だつたが休みだつたので、松戸のブックオフをたずねた。神坂次郎著 『復讐党始末』(徳間文庫) だけをもとめて歸路についた。

ところで、松戸驛の驛ビルには、横浜・崎陽軒や銀座・あけぼのが入つてゐて、いつも氣になつてゐたのだが、今日は妻のために、あけぼのの〈われげんこつ〉をおみやげに買つてみた。〈げんこつ〉では齒がたたないことはわかつてゐたので、こまかく割れたげんこつを求めたのだが、結局硬くて食べられないと言はれてしまひ、殘念であるとともに、ともに老いたことを實感した。

 

『源氏物語三十四〈若菜下〉』(靑表紙本) をよみつづける。紫の上が、出家したいとの思ひを源氏に語るあたりのところまで。『おくのほそ道』 にくらべたらとてもよみやすい變體假名である。

 

 

十二月十日(木)舊十月廿六日(丁亥) 雨のち曇天

 

先日まとめ買ひしたミステリーのなかから、ジャック・ケッチャム著 『老人と犬』(扶桑社ミステリー) を出してよみはじめる。ゾクゾクしてくる!

 

 

十二月十一日(金)舊十月廿七日(戊子) 曇り

 

昨夜、『老人と犬』 讀了。

内容紹介には、「老人が愛犬と共に川釣りを楽しんでいる。そこへ少年が三人近づいて来た。中の一人は真新しいショットガンをかついでいる。その少年が老人に二言三言話しかけたかとおもうと、いきなり銃口を老人に向け金を出せと脅した。老人がはした金しか持っていないと判るや、その少年は突然、銃を犬に向けて発砲し、頭を吹き飛ばした。愛犬の亡骸を前に呆然と立ち尽くす老人。笑いながらその場を立ち去って行く少年たち。あまりにも理不尽な暴力!老人は“然るべき裁き”を求めて行動を開始する―」 とあるけれど、解説者が、「『老人と犬』 はケッチャムがモダン・ホラーの作家、という安定した肩書をかなぐり捨てて書いた動物愛護暴力小説と呼ぶべき実験小説だ」 と述べてゐるはうが、胸にひびく。

つづいて、岡田喜秋著 『旅人・曾良と芭蕉』(河出書房新社) を讀みはじめる。

 

 

十二月十二日(土)舊十月廿八日(己丑) うす曇り

 

からだを動かさなければならぬと思ひ、今日は、土浦の 〈つちうら古書倶楽部 師走の古本まつり〉 に出かけた。長距離(?)電車に乘るだけでも氣晴しになり、しばしの旅氣分を味はふことができた。

ところが、店員のおぢさんにたずねたら、〈古本まつり〉でなくとも、ふだんも同じ規模(?)で店は開いてゐるとのこと。ちよいと拍子抜けしたが、いいことを聞いた。

中休みに、晝食にでかけ、小松屋さんでうな重とうなぎの肝燒きをいただいた。ちよいと鹽分をとりすぎてしまつた。。

で、求めた本は、『定家卿筆跡集』 をのぞいてすべて文庫本、六册。

行き歸りの電車では、一條兼良筆本の 『方丈記』(古典文庫) を讀んだ。これは、通常の漢字片假名本にたいして、漢字平假名本なので、よみやすかつた。むろんすらすらとはいかないが、内容のおもしろさも手傳つて、變體假名の學習には最適である。

携帶電話を忘れたので、歩數をはかることができなかつた。

 

 

十二月十三日(日)舊十月廿九日(庚寅) うす曇り

 

今日もあまり食欲がない。洗髪。

一條兼良筆本の 『方丈記』 をよみすすむ。文庫ですでになんどか讀んではゐたのだが、傳本が違ふと、内容もだいぶ異なることがあらためてわかつた。

一條兼良筆本以外に、大福光寺所藏本(片假名交り本 岩波・角川・講談社文庫)、嵯峨本(平假名交り本 影印・新典社)の傳本がある。

 

 

十二月十四日(月)舊十月卅日(辛卯) 曇天一時雨

 

終日横になつて讀書。夜になつて、一條兼良筆本の 『方丈記』 讀了。

讀んでゐて、『歴史紀行 三 平城京・長岡京編』 で、日野の誕生院・法界寺まで訪ねながら、方丈跡までたどりつけなかつたのが、くやしくもなつかしく思ひだされた。もう一度訪ねることができるだらうか?

思ひ出のために、『歴史紀行 三 平城京・長岡京編 付録・塙保己一紀行』(二〇一〇年八月十一日~十三日) の當該部分を寫してみた。

八月十二日 ─今回、遊び半分のわりには、恆例の天皇陵と、平城京、長岡京といふ、大變欲張つた計畫になつてしまひました。そしてまた寄り道といふのは、氣が引けるのですが、奈良に直行せず、昨日(訪ねた下鴨神社)の、鴨長明の「方丈の庵」の現地を視察したいと思ひました。

御陵驛まで戻り、再び地下鐵東西線で石田驛、バスに乘り換へて終點の誕生院。方丈跡はどこかと、バスの運轉手に聞くと、どこともいふ前に、「今日はやめなさい!」との一喝。雨でぬかるんだ山道を登るのは無理だといふのです。「はい」と答へざるをえませんでした。

同じバスで引き返す待ち時間、ふと木蔭をみると大きな石碑。なに、親鸞聖人ご誕生之地? それで誕生院かと、腑におちました。さういへば、親鸞と鴨長明は、ほぼ同じ時代を生きた人たちでした!

 

つづいて讀みはじめた、小島政二郎著 『俺傳(おれでん)』 がおもしろくてやめられず。

 

 

十二月十五日(火)舊十一月朔日(壬辰・朔) 晴

 

小島政二郎著 『俺傳(おれでん)』(南窓社) 讀了。以下、本の帶の言葉!

   一人の人間が、モノになるまでの苦労話に興味のある方へ──殊に、それが小説家という特殊な場合の、人間関係の激突の火花を散らすなまなましい記録。芥川、菊池との頬笑ましい友情の活写。なつかしい明治時代の東京の町々の描写は、この作者以外からは望み得ない人情話のフンイキで豊かにあなたを包むであろう。洗練された最高の隨筆の楽しさを求める方へ──

たしかに人情話のフンイキにつつまれました!

つづいて、『方丈記』(古典文庫) の付録として収められてゐる、阿佛尼著、小堀遠州筆の 『十六夜日記』 を讀みはじめた。書體が、ちやうど 『源氏物語』 の靑表紙本と同じ「定家流」で、同じく影印の、元版群書類從特別重要典籍集、細川幽齋が書寫させた猪苗代兼如筆、それに傳池田光政筆の三種の傳本にくらべて、一字一字が明瞭でよみやすい。

ちなみに、『十六夜日記』 は、鎌倉時代の女流歌人阿佛尼(あぶつに)が、夫・爲家(藤原定家の三男)の死後、實子藤原爲相(ためすけ)と繼子(ケイシ・ままこ)爲氏(ためうじ)との領地相續爭ひの訴訟のために、幕府に訴へようと、弘安二年(一二七九)、京都から鎌倉へ下つた時の旅日記と鎌倉滯在中の記録。京都出發が十月十六日(陰暦)だつたところから「いさよひのにつき」とよばれる。

 

先日宅配業者に取りに來てもらつた、日本聖書協會への古本募金(きしゃぽん)から、「お礼状兼受領書」がとどいた。それによると、二箱で、査定金額三五二七圓を寄附したことになつた。手間はかかるけれど、送料は向かう持ち、今後もこれでいかうと思ふ。

 

 

十二月十六日(水)舊十一月二日(癸巳) 晴

 

小堀遠州筆 『十六夜日記』、序章(旅立ちの由來)につづき、旅立ち(東下り)に入る。

註釋書を參考にすることなしには、チンプンカンプンの 『源氏物語』 よりだんぜんよみやすい。變體假名の原文をよんでゐても、述べてゐることはほぼわかる。『源氏物語』 の文獻初出が寛弘五年(一〇〇八年)、『十六夜日記』 が弘安五年 (一二八二年) 年に成立したとして、この間二七〇數年のあひだにどのやうな言葉遣ひの変遷があつたのか、知りたいものだ。

 

 

十二月十七日(木)舊十一月三日(甲午) 晴

 

『十六夜日記』 のんびりよみすすむ。序章が終り、旅路(東下り)にはいる。美濃までは東山道(中仙道)を通り、以下、熱田を経て東海道を下る。

 

今日の新たな新型コロナ感染者、東京が過去最多の八二二人、全國でも三二〇二人、はじめて三〇〇〇人を超えて過去最多!

以下、ネットのご意見より─

皆さん勘違いしてますよ。日本のお偉い政治家様方は遠い未来を見据えて、あえて感染を最大化し、医療崩壊を起こし、弱者、高齢者を見捨てることで、一掃して超高齢化社会を立て直そうとしているのです。だから経済と両立をあえて煽り、キャンペーンを張り、ワクチンができる前に、感染拡大させないといけないのです。GOTOキャンペーンではなく、超高齢化社会改善の為の弱者高齢者一掃キャンペーンなのです。

 

高森昭先生の奥様から、追悼文集を出した禮状がとどいた。いや、ぼくはただ依賴されて寄稿しただけなんだけれど、うれしかつた。

 

Amazonプライムの会員資格がもうすぐ更新されます」 との通知があつたので、すぐに自動更新設定を解除した。年間約五〇〇〇圓の價値はないとみた!

 

 

十二月十八日(金)舊十一月四日(乙未) 晴

 

今日も 『十六夜日記』 をよみすすむ。旅路が終り、鎌倉に到着。

大井川をわたり、「うつの山(宇津谷)こゆる程にしも、あさり(阿闍梨)のみしりたる山ふし、行きあひたり」 といふところで、阿佛尼は、むろんお供はゐたであらうが、息子の阿闍梨も同行してゐたことがわかつた。

 

毎日毎日猫たちとつきあつてゐて、つくづく三匹飼つてよかつたなあと思ふこのごろである。はじめのモモタは、二〇一六年六月、亡くなられたか引越しされたかした飼ひ主に捨てられて、ぬれねずみだつたところを保護した。いや、保護せざるをえなかつた。

つづくココは、その二週間後、舞ひ込んできたノラだつたけれども、不妊手術をするにはまだ子猫すぎたので、かといつて放すこともできず、恐るおそるモモタに合はせたところが、モモタがめんどうみがよく、世話をはじめた。それも、なめるやうにしてである。

そして、グレイは、昨年の七月一日、この子も飼ひ主に捨てられ、幸ひノラになる前に保護され、臨時にあづかつたところを、ぼくが氣にいつて飼ひはじめたのだが、この子もモモタがすぐに受け入れてくれた。いや、この子はぼくが胸に抱いて育てたと言ひたい!

モモタはできたお兄さんで、妹のココとグレイにてこずつてゐるときもあるが、いつもご滿悦である。その三匹がそれぞれ性格が違ひ、ときには、猫パンチをみまひあつたりしてとびまわるのを、ぼくは目を細めてながめてゐる。

 

 

十二月十九日(土)舊十一月五日(丙申) 晴のち曇天

 

今日も 『十六夜日記』 を、寒いのでふとんの中でよみつづける。

鎌倉についたとおもつたら、話しは和歌のことばかりで、肝心の訴訟のことはどうしたのだらうか?

 

 

十二月廿日(日)舊十一月六日(丁酉) 晴のち曇天

 

『十六夜日記』 讀了。後半はとくに根氣が必要だつた。まあ和歌も嫌いではないけれど、やはり紀行や物語のはうがおもしろい。

ところで、訴訟のことだが、「肝心の所領紛争の解決を見ることなく阿仏尼は亡くなり、日記も終わっている。が、阿仏尼の没(弘安六年四月八日)後、一二八九年(正応二)為相の勝訴が認められ、なお紛糾したが一三一三年(正和二)最終的に勝訴と決した」 といふことである。 

 

 


 

十二月廿一日(月)舊十一月七日(戊戌・冬至) 晴

 

朝食後、齒科通院。

その後出かけようとおもつたが、新コロナ感染擴大につき、思ひとどまつて讀書。黒川博行著 『雨に殺せば』 をよみはじめる。

『源氏物語〈若菜下〉』 と 『日本現報善惡靈異記 卷中』 も少しづつよみすすむ。

 

 

十二月廿二日(火)舊十一月八日(己亥・上弦) 晴

 

慈惠大病院へ通院。

歸路、神保町に寄る。成光でチャーシュー麵をいただき、古書店はぶらりと數軒のぞいただけで歸宅する。

求めたのは、神坂次郎著 『元禄武士学』(中公文庫) と アリステア・マクリーン著 『巡礼キャラバン隊』(ハヤカワ文庫) のみ。

持つて出た、黒川博行著 『雨に殺せば』 讀了。「大阪府警の二人の刑事、通称“黒マメコンビ”が」活躍する第二弾だ。つづいて、その第三弾、『八号古墳に消えて』 をよみはじめる。みな再讀のはづだけれど、まつたくおぼえてゐない。

 

 

十二月廿三日(水)舊十一月九日(庚子) 晴

 

終日横になつて、うとうとしながら讀書。『八号古墳に消えて』 をはじめ、例のやうに、『源氏物語〈若菜下〉』 と 『日本現報善惡靈異記 卷中』 も少しづつよみすすむ。

 

 

*成光のチャーシュー麵と母が活けた花とともに

 


 

十二月廿四日(木)舊十一月十日(辛丑) 

 

晝からは横になつて讀書。

 

 

十二月廿五日(金)舊十一月十一日(壬寅) 晴

 

朝、青島齒科に急遽通院。

それから、散歩のために外出。牛田經由で神保町へ行き、晝食は小諸そばでかき揚げそばをいただく。駿河臺交差點角の店が閉店してしまつたので、すずらん通り店に入つた。

古本屋めぐりは、まづ、古書會館の古本市(下町書友会)をたずね、古書店街ではただ文庫本のみをみて歩いた。

水道橋驛から新宿驛、小田急線經由で町田に行き、今年最後の馬刺しを食べる。あひかはらず客の入りは少なく、のんびりと馬刺しの上を二皿いただいてしまつた。

今日の歩數は、八二九〇歩。

 

昨夜、黒川博行著 『八号古墳に消えて』 讀了。

以下、解説より・・・「黒マメコンビの軽妙な大阪弁のやり取りを聞いていると、映画のワンシーンのように、映像が浮かんでくる。・・・いつもながら、黒川ミステリーの骨子には、現場取材中心の綿密でリアルなストーリー展開がある。デッサンのような、細かいところも見逃さない描写だ」

 

厚生労働省によると新型コロナウイルスの「変異種」に感染した人が国内で初めて確認された。

 

 

十二月廿六日(土)舊十一月十二日(癸卯) 晴

 

終日横になる。

 

 

十二月廿七日(日)舊十一月十三日(甲辰) 晴のちくもり

 

また晝と夜とが逆転してしまつた。讀書すすまず。

それでも、アリステア・マクリーン著 『巡礼キャラバン隊』 讀了。同じ著者の 「ナヴァロンの要塞」も、「荒鷲の要塞」 も、「ナヴァロンの嵐」 も映畫化されたやうに、ぜんたいに映畫をみてゐるやうな感じで、初期の “007” といつたらいいだらうか。

中斷してゐた、岡田喜秋著 『旅人・曾良と芭蕉』(河出書房新社) を讀みはじめる。これも謎解きのやうで面白い。

 

 

十二月廿八日(月)舊十一月十四日(乙巳) くもりのち晴

 

古本散歩と外食。

近邊で唯一開催中の、北總線・新鎌ケ谷驛のアクロスモール新鎌ヶ谷店の古本市をたずねた。つづいて、東武線で柏驛に行き、今年最後の担々麵をいただいた。食欲がなくてもここの担々麵はおいしく食べられる。鹽分をに氣をつけて汁はほとんど殘すやうにはしてゐる。ところが、太平書林がまたも閉まつてゐたので、すぐに松戸に向ひ、ブックオフを訪ねた。

アクロスモールとブックオフで、面白さうな文庫本が何册か手に入つた。ついでに松戸驛の驛ビルで、曙のわれげんこつを求めた。

今日の歩數は、四二七〇歩。まあ、人出はあつたけれど、どうにか接觸をまぬがれて過ごすことができた。

 

 

十二月廿九日(火)舊十一月十五日(丙午) 晴のちくもり

 

からつとは晴れなかつたけれどふとんを干し、久しぶりにベッドのほこりを拂ふ。午後は横になつた。

『旅人・曾良と芭蕉』 をよみ進む。書名の通り、曾良がすぐれた旅人であることがわかり、江戸時代の旅人の紀行がもつとよみたくなつた。

 

 

十二月卅日(水)舊十一月十六日(丁未・望) くもり

 

夜、入浴、髪も洗ふ。

 

 

十二月卅一日(水)舊十一月十六日(丁未・望) くもり

 

この一年、九十七歳になつた母は、おなじことをくりかへしくりかへし問ひかけるといふ難點をのぞけば、からだは丈夫。食欲もあり、齒にかかつてはぼくと妻より健康で、先日の半年ぶりの檢診では齒醫者からほめられてゐた!

 

札幌にをられる三輪愛博君のお兄さんから、愛博君が亡くなられたとの連絡とともに、『追憶 弟三輪愛博の生涯』 といふ册子が屆いた。最後にメールが届いたのが二〇一七年一月一日。以來何度もメールを出しても返事がなかつた。やはりな、と思つた。ぼくを理解してくれる數少ない友人のひとりをなくしたことはなんとも悲しい。

 

岡田喜秋著 『旅人・曾良と芭蕉』 讀了。本書は、著者が、『旅人・曾良の生涯』 としてもよかつたと書いてゐるくらゐ、曾良への思ひ入れの濃い作品である。この曾良なくして 『おくのほそ道』 が書かれたかどうかと言へるくらゐ内容のある、いい著作である。

 

「東京都の新たな感染者が一三三七人、国内の感染者は四五一五人、初の四千人台。ともに過去最多を更新」 とのニュースが流れたあと、すぐマキさんから電話があつた。新年、また會食ができたらいいねと言ひあつた。

 

今年の讀書をふりかへつて・・・日本古典文學は、できるだけ變體假名(和本・複製・影印)で讀むことをこころがけてきたが、これは年があらたまつてもつづけていきたい。

まづ、『源氏物語』 は靑表紙本で繼讀。説話文學、軍記文學、紀行文學は、元版群書類從特別重要典籍集(和本)の、〈雑部選〉と〈合戰部〉と〈紀行部〉にあるものを主に、和本か複製・影印本で讀む。

説話文學は、『日本現報善惡靈異記』 を繼読中。

軍記文學は、「將門記」 以降を、年代順に。

紀行文學は、すでに讀み終つた 『土佐日記』、『いほぬし』、『さらしな日記』、『後鳥羽院熊野御幸記』、『いさよひの日記』 以後の、『高倉院嚴嶋御幸記』 から年代順に。

ところで、「手っ取り早さよりは、大きな目標を掲げ、そこに向かって苦しんで生きてみろ。その努力が貴いのだ」と、一昨昨日ブックオフで求めた、萩 耿介著 『イモータル』 にあつた。むろん、「手っ取り早」く讀めておもしろいものもなくては樂しみもないが、「大きな目標を掲げ」て、息が切れきるまで讀みすすみたい。

 

 

 

十二月一日~卅一日 「讀書の旅」 ・・・』は和本及び變體假名・漢文)

 

二日 堀切実著 『「おくのほそ道」をよむ』 (岩波ブックレット)

六日 ローレンス・ブロック著 『聖なる酒場の挽歌』 (二見文庫)

七日 村松友次著 『謎の旅人 曾良』 (大修館書店)

八日 スティーヴ・ハミルトン著 『解錠師』 (ハヤカワ文庫)

十日 ジャック・ケッチャム著 『老人と犬』 (扶桑社ミステリー) 

十四日 鴨長明 『方丈記』 (一條兼良筆 古典文庫)

十五日 小島政二郎著 『俺傳(おれでん)』 (南窓社)

廿日 阿佛尼 『十六夜日記』 (小堀遠州筆 古典文庫)

廿二日 黒川博行著 『雨に殺せば』 (角川文庫)

廿五日 黒川博行著 『八号古墳に消えて』 (創元推理文庫)

廿七日 アリステア・マクリーン著 『巡礼キャラバン隊』 (ハヤカワ文庫)

卅一日 岡田喜秋著 『旅人・曾良と芭蕉』 (河出書房新社)