三月廿一日(土)舊二月廿七日(癸亥) 晴

 

今日は休息日。 

森 詠著 『遠野魔斬剣 走れ、半兵衛〈四〉』 讀了。これでしばらく森詠さんとはお別れし、『源氏物語〈胡蝶〉』 讀み進む。それで、夜中に讀み終へたけれど、どうも後味の惡い結末だつた。 

 

 

三月廿二日(日)舊二月廿八日(甲子) 晴

 

今日は、森銑三著 『改訂・寫眞版 渡邊崋山』(創元社) を、机を前に姿勢を正して讀みはじめた。けれど、猫たちが入れかはり出入りするので落ちつかない。とくにココが慣れてきたのか、ぼくの左腕にまとはりつき、グレイはふところに、モモタは股のなか。三匹を同じやうに愛するのはむずかしい。 

とはいへ、いい気持ちで讀書はすすんだ。が、内容を追ふにつれて心は暗澹たる闇におほはれるやうに沈んできた。中央公論社の 『日本の名著25 渡邊崋山・高野長英』 の附録に記された文章に共感を覺えたので、ここに寫しておきたい。

 

「渡邊崋山の生涯と事績を、諸家の筆になる伝記を通して顧みるとき、私は常に一種の奇妙な苛立たしさと悔しさとに襲はれる。それは、崋山の同時代は、これほどの英才を遇するのに、どう考へてみても不当といふほかはない冷淡と非礼とを以てしたのではないかといふ、憤ろしい印象からくるものである」

 

たしかに、境遇のせいにしてしまへば簡單かも知れない。しかし、の獄では無關係とされたのに、崋山が書きおいた草稿の 「愼機論」 が見つかつたために、「政道誹謗の名の下に、重罪に問はれようとするに至つた」。けれど、その 「愼機論」 を讀んでみたけれど、どう讀んでも、そんな罪にあたる内容ではないことは明らかである。森銑三さんに言はせれば、幕府として、蠻社の獄で「振り上げた大鉈も打下すことの出來ない形となつた」ので、かといつて無罪にも出來ず、それでいい口實を得たとばかりに、崋山を「在所(田原)に於て永蟄居を命」じたのだといふ。 

つまり、崋山は罪人であることから解放されたわけではないので、自藩、田原に蟄居しても冷たい目で見られ、極貧の生活は變はらなかつたのである。崋山とその家族にとつて、「どう考へてみても不当といふほかはない冷淡と非礼とを以て」遇せられた人生だつた。 

 

夜、NHK Eテレの 〈日曜美術館〉 で、「渡辺崋山 リアルな肖像画の傑作・写生の名手の迫真の絵」 の再放送を見た。晝間、友人たちにもお薦めしたのだけれど、お節介だつただらうか? 

 

 

三月廿三日(月)舊二月廿九日(乙丑) 小雨のち曇り

 

明日は通院日なので、今日は大事をとつて靜かに讀書。 

森銑三さんの 『渡邊崋山』 は、小説を讀むやうにはいかない。年表をそばに、崋山の事績をたしかめつつ讀む。二十代の頃は、文人・畫家との交際が濃厚で、後の蠻社の獄に關はるやうなそぶりもない。 

しかし、年表によれば、文化・文政の時代、諸外國からの渡來は頻繁で、手をこまねいて座してゐるわけにはいかなかつたのは、崋山だけではなかつたらう。 

 

夜、川野さんからメールで、お願ひしてゐた福島の地震被災地見學と花見をかねた旅のプランが屆いた。このたび常磐線が全線開通したので、乘り通してみたいといふのも希望であつた。列車から福島第一原發も見えるといふことだけれど、こんなものが出來たおかげでどれだけの人々が苦しんでゐるか、原發を食ひ物にしてゐるやからたちは分からうともしないのだらう! 

 

 

三月廿四日(火)舊三月朔日(丙寅・朔) 晴、冷たい強風

 

今日は通院日。いつもより早めに家を出て、それでも病院には一〇時過ぎ。ホテルのロビーのやうな一階フロアーから二階へ。血液檢査と心電圖檢査も早く終了して三階へ。すると一一時三〇分豫約の診察までも早まり、會計がすんだのが一一時三〇分であつた。 

みか先生の最初の診察だつたから、先生はきつと遅出といふか、ぼくの診察時間までに出てくればよかつたのかも知れない。まあ、檢査と診察の結果は順調ですと先生はおつしやる。が、BNPの値が大臺を越えてしまつたのには、先生は心配ないと言つても、ぼくとしては落ち着かないまま歸路についた。

 

それから、新橋まで歩き、SLの前でマキさんと待ち合はせて一緒に食事をした。だが、店を探すのに苦勞し、驛前の飲食店街を一回りしてしまつた。晝時で大勢の勞働者でごつたがへす路地を歩き回り、やうやく入つたのは、焼肉ライクといふ店であつた。恐る恐る席についたのだが、焼肉のタレが美味しくて、やつと毛倉野の桂馬以來の店に出會へたのかも知れない。 

食後、コーヒーを飮みながらお喋りし、マキさんと別れたあとは、神保町を訪ねた。古本まつりが開かれてゐたわけではなかつたけれど、ぶらぶら散歩。人が少ない。八木書店二階の靑年店員もお嘆きであつた。 

今日の収穫は、シュライエルマッヒャー著 『獨白』(岩波文庫・昭和十八年發行)、真山青果著 『隨筆滝沢馬琴』(岩波文庫)、海音寺潮五郎著 『吉宗と宗春』(文春文庫)、角川書店編集部編 『山田風太郎全仕事』(角川文庫) の四册であつた。 

歩數は意外とのびて、一二一六〇歩であつた。 

 

 

三月廿五日(水)舊三月二日(丁卯) 晴

 

今日はまた休息日。森銑三さんの 『渡邊崋山』 を讀み進む。けつこう根氣がゐる。崋山の人物に惹かれたたくさんの文人畫家は壯觀の一語。その一人に滝沢馬琴もゐて、昨日求めた、真山青果の 『隨筆滝沢馬琴』 の〈その第八〉は崋山について詳しさうなので求めてみた。 

 

    「コロナには役に立たない戰鬪機」 

 

なんて、どなたかが書いてゐたけれど、まさにその通り。 

 

*昨日の朝出がけに見かけた中村荘の住人の猫。飼ひはじめて十七年、死期を悟つたのか、飮み食ひを絶つて數日になるといふ。その猫が今日死んだ。妻が呼ばれ、飼ひ主は涙涙で、どのやうに處理をしたらいいのか聞いてゐたさうだ。

 


 

 

三月一日~廿五日 「讀書の旅」 ・・・』は和本及び變體假名・漢文)

 

三月一日 佐々木 譲著 『警察庁から来た男』 (ハルキ文庫) 

三月三日 佐々木 譲著 『警官の紋章』 (ハルキ文庫) 

三月四日 佐々木 譲著 『巡査の休日』 (ハルキ文庫) 

三月六日 佐々木 譲著 『密売人』 (ハルキ文庫) 

三月七日 佐々木 譲著 『人質』 (ハルキ文庫) 

三月十日 佐々木 譲著 『憂いなき街』 (ハルキ文庫) 

三月十二日 佐々木 譲著 『真夏の雷管』 (ハルキ文庫) 

三月十三日 今村翔吾著 『くらまし屋稼業』 (ハルキ文庫) 

三月十四日 森詠著 『風神剣始末 走れ、半兵衛』 (実業之日本社文庫) 

三月十六日 森詠著 『双龍剣異聞 走れ、半兵衛〈二〉』 (実業之日本社文庫) 

三月十八日 森詠著 『吉野桜鬼剣 走れ、半兵衛〈三〉』 (実業之日本社文庫) 

三月廿一日 森詠著 『遠野魔斬剣 走れ、半兵衛〈四〉』 (実業之日本社文庫) 

三月廿一日 紫式部著 『源氏物語二十四〈胡蝶〉』 (靑表紙本 新典社) 

三月廿二日 渡邊崋山著 「愼機論」 (『日本の名著25 渡邊崋山・高野長英』 中央公論社 所収) 

三月廿二日 小堀桂一郎 「崋山とその時代」 (『日本の名著25 渡邊崋山・高野長英』 附録 中央公論社)