2023年8月1日(火) 曇天日中雷

日中カミナリが激しく鳴りどおしで比較的過ごしやすかつた。

終日讀書。『現代日本紀行文学全集・北日本編』 『ぼくの浅草案内』 『還暦以後』 『東の島国西の島国』 『共産主義的人間』 『大学・中庸』 『古くさいぞ私は』 『ヒュースケン日本日記』 『荷風追想』 『耄碌寸前』 そして 『断腸亭日乗(六)』 『戦中派不戦日記』 『東京焼尽』 『夢声戦争日記抄』、それぞれ少しづつ讀みすすむ。しかし、ミステリーなどは一氣に讀まなければ面白くないので特別に割り込むことにしてゐる。 

 

8月2日(水) 晴

終日讀書。今日も暑くて外出する氣にならず。食欲がない。

山田風太郎 『戦中派不戦日記』 昭和20年5月30日、疎開中の鶴岡にて 「一人の少女が自分の運命に突如接近して来たのを感じた」 と記す。將來の奥さん(啓子さん)との出合ひの場面である。 

 

8月3日(木) 晴猛暑

柏へ出かけたが、太平書林が定休日だつたので外食散歩になつてしまつた。久しぶりに高島屋の10階の麻布茶房で五目あんかけ焼きそばを食べ、ちよいと街を歩いて歸宅した。暑い。

松浦玲 『還暦以後』(ちくま文庫) 讀了。還暦を超えた著書が 「『還暦以後』という切り口で多くの人物を扱っ」 た本。實に興味深かつた。特にひかれたのは勝海舟、法然、松崎慊堂、貝原益軒だらうか。 

今日の外出・・2660歩 

 

8月4日(金) 晴猛暑

神保町の古書會館へ古本散歩。暑い日だつたが涼しい會場で樂しく探書。今日も充實してゐた。腰が氣になつたが、がんばつて歩いて成光さんのラーメンをいただき、関屋驛經由で歸路につく。

歸宅後シャワー。

夕方勝美來る。明日の母の祝會のため。

今日の収穫・・『夷齋座談上下』 『荷風文学みちしるべ』 『落語と私』 『ペ』。それと 『ハリス日本滞在記』 が届いた。

奥野信太郎 『荷風文学みちしるべ』 を讀みはじめたら、荷風の作品をはじめから讀まなければならない氣持ちになつた。

また夜 『ヒュースケン日本日記』(岩波文庫) 讀了。ハリスの片腕となつて働いてゐた結果殘念な死だつた。麻布光林寺を訪ねたい。 

今日の外出・・3330歩 

 

8月5日(土) 晴

母がこの10日で100歳を迎へるに先立つて、母にとつて曾孫4人をふくめた家族12人あひつどつてお祝ひのひとときをもつた。とはいへみな母から「あんた誰?」と言はれてゐたやうである。一緒に晝の食事をしケーキもいただき夕方みな歸つていく。

弟には選別して不要になつた本を一カゴもつて歸つてもらふ。 

奥野信太郎 『荷風文学みちしるべ』 に示唆されて荷風の 『夏すがた』(角川文庫) を読み、また 『荷風追想』 を讀みすすむ。

 


 

8月6日(日) 晴一時雨

終日讀書。『ヒュースケン日本日記』 につづいて、『ハリス日本滞在記』 が斷絶した以後の歴史を埋めるオールコックの 『大君の都ー幕末日本滞在記ー』(岩波文庫) を讀みはじめようと思ふ。外國人の日本滯在記は無數にあるが、できるだけ年代順に讀んでいきたい。

また 『荷風文学みちしるべ』 を讀みすすめる。

夕食後シャワー。 

 

8月7日(月) 晴

南郷さんへ通院。月曜日だつたこともあつて一時間半待つて診察、注射二本、藥を處方。骨密度が前回よりさがつてゐるとの指摘はショックだつた。肉食と運動をすすめられる。

それでも豫定した通り堀切菖蒲園驛から市川眞間驛まで乘り、智新堂書店とそば屋の歸りにたまたま發見した古本屋を訪ねて探書を樂しんだ。

智新堂書店のご主人からいただいた全古書連ニュース掲載の 「市川の店と荷風と青春の蹉跌(追想)」 を歸りの電車のなかで面白く讀んだ。

オールコック 『大君の都』 の序文が濃厚でするどく「日本の支配者たち」の不誠實を指摘してゐるのを讀んで、やはり 『ハリス日本滞在記』 を(ただし下田港に到着した日から) 讀みはじめる。

歸宅後猫たちとすごし、夕食後シャワー。

今日の収穫・・小堀桂一郎訳 『森鴎外の「知恵袋」』 『牡丹』 『また横路にそれますが』 『ジャズ小説』 『神坐す山の物語』 

今日の外出・・3280歩 

 

8月8日(火) 晴

終日讀書。昭和20年7月にはいり、永井荷風 『断腸亭日乗』 は友人の手助けによつて岡山へ疎開中、山田風太郎 『戦中派不戦日記』 は學校ごと長野縣飯田に疎開中、内田百閒は空襲で家を燒かれ、食ふや食はずで四谷から東京驛の會社に通勤、大好きな酒も飲めずに友人といふか部下の好意に支へられてからうじて生きてをり、徳川夢声は荻窪の自宅から講演會や放送局へ頻繁に呼ばれて「宮本武蔵」などを語つて食べて飲むに一番豊かに暮らしてゐる。が、總じてつまりみなどこにゐてもほとんと毎夜の空襲におびえてすごしてゐる。 

 

8月9日(水) 曇り、夕方雨

夕方激しい風雨。猫たちのために開けてあつた窓から雨が横殴りに吹き付け、文机がぬれねずみ状態になつた。

午後純子さんこられ、今日は妻に先立つて施術していただくあひだ、純子さんの夫の充君(妻の甥でプロカメラマン)には母の肖像寫眞を撮つてもらつた。父の寫眞と並ぶのはいつのことになるだらう。

『ハリス日本滞在記』 と『断腸亭日乗』 をはじめとする被災日記を讀みすすめる。いよいよ昭和20年8月にはいつた。

  

8月10日(木) 晴

母百歳の誕生日。朝、民生委員の方が葛飾區からのお祝ひをとどけてくださり、またいつも通りデイサービスに行き、そこでも祝つてもらつたやうだ。

永井荷風 『断腸亭日乗』 も山田風太郎 『戦中派不戦日記』 も他の日記も昭和20年8月15日を迎へる。荷風は「今日正午ラヂオの放送、日米戦争突然停止せし由を公表したりと言ふ、恰も好し」と記し、風太郎は「帝国ツイニ敵ニ屈ス」ただ一行。

思ひ出すのはペリー提督の「この国の民衆を解放したい」といふ言葉、これがまさにマッカーサーによつて實現したかに思つたが、風太郎の「敵が寛大に日本を遇し、平和的に腐敗させかかって来る政策を何よりも怖れる」との指摘が(戰後の三つのS―スクリーンとセックスとスポーツーの浸透によつて)まさに今日實現してしまつてゐるのはなんたる皮肉だらうか。 

内田百間 『東京焼盡』(中公文庫) は8月21日をもつて讀了。

 


 

8月11日(金) 晴猛暑

今日は母にケアマネージャーから花束が届いた。これで一連の祝ひ事は終りとなる、と思ふ。

南柏驛前で今日からはじまつた古本市を訪ねた。初日だからか珍しい本が何册も見つかつた。

晝食は柏驛の高島屋でお好み天丼をいただいた。その他の店は行列ができてゐて選べなかつたのである。さういへば今日は祝日であつた。

歸宅後シャワー。

夜は毎晩のやうに讀書。徳川夢声 『夢声戦争日記抄 敗戦の記』(中公文庫) 8月31日をもつて讀了。

今日の収穫・・『ワーグマン日本素描集』 『身心快楽』 『夜明けのブランデー』 『野坂昭如エッセイ・コレクション3』 『ニッポン日記』 日本の名随筆『老』 『読』 『古本屋終刊第10号』

今日の外出・・2930歩 

 

8月12日(土) 晴

今日も古本散歩。御茶ノ水驛乘り換へ高円寺驛下車。足と腰に刺激をあたへつつ歩きかつ探書、いい汗もかけた。晝食は驛前のすし屋に入る。

歸宅後シャワー。

『ハリス日本滞在記』 を持ち歩き、『斷腸亭日乘』 と 『戦中派不戦日記』 は寢床にて讀みすすむ。

今日の収穫・・『開國史蹟玉泉寺今昔物語』 『成島柳北』  

今日の外出・・3140歩 

 

8月13日(日) 雨降つたりやんだり

午前中横になつてすごす。臺風接近して氣壓がさがつたためか。午からも讀書はかどらず猫たちとすごす。

五十嵐書店から川本三郎 『荷風と東京 「斷腸亭日乘」私註 (上下)』(岩波現代文庫) がとどく。 

 

8月14日(月) 曇天一時激しい風雨のち

朝、淸水のマリちやんからお父さんが危篤とのメールが届いた。が、しばらくして少しもちなほしたと連絡あり、美知子と胸をなでおろす。ただし延命處置はしないでほしいと、看護婦マリちやん言つた由。

讀書あれこれつまみ讀み。

川本三郎 『荷風好日』(岩波現代文庫) とどく。 

 

8月15日(火) 終戰記念日

山田風太郎 『戦中派不戦日記』(講談社文庫) 讀了。

昭和20年11月16日「快晴、上野駅頭の餓死者に復員の将兵多しと。まだピクピクしているのを運び去りて墓穴に投ずとの話あり。母国に帰還すれど、家焼け妻子の行方知れず」

同月28日「解剖実習室に屍体二十余来る。すべて上野駅頭の餓死者なり。それでもまだ『女』を探して失笑す」

これを讀んだだけでも後の山田風太郎の文學の心髄を覗いた気がした。

ふと手にとつた野口冨士男 『私のなかの東京わが文学散策』(中公文庫) が面白くて讀みだす。これも地圖が手ばなせない。大岡昇平はマニアックすぎていまいちだつたけれどこれはいい。一緒に歩いてゐる感覺だ。小林信彦よりもいい。

  

8月16日(水) 曇天

終日眠くてしかたなかつた。夕食後風呂に入る。

浅田次郎 『神坐す山の物語』(双葉文庫) が面白い。讀みかけの本が増えていくばかりだが仕方ない。

清水嶋さんもちなほし、マリちやんとしては退院させて家で看とりたいといふ。淸水に行くのはそれからになりさうだ。 

 

8月17日(木) 晴

南柏驛前の古本市を再び訪ねた。『谷崎潤一郎終戦日記』 を見つける。

歸路、驛前の中華料理屋に入つてタンタン麺を注文したところ、あまりにも不味くてほとんどをのこし、口直しに松戸驛アトレの壽司屋でお好みのにぎりを食べて歸る。タンタンメンは天外天にかぎる。

歸宅後シャワー。夕食まで猫たちとすごす。

山田風太郎 『戦中派不戦日記』(昭和20年) につづいて 『戦中派焼け跡日記』(昭和21年) を 『斷腸亭日乘』 にあはせて讀みはじめる。荷風は21年1月なかばに熱海を去り市川の菅野に來る。風太郎は 『焼け跡日記』2月4日に 「荷風『踊子』。こういう風な小説を暫く読まなかったのでガツガツして読む。こういう小説が読めるなら戦争に負けたって惜しくはないとさえ思う」と書いてゐる。

今日の収穫・・『疎開日記・谷崎潤一郎終戦日記』 『絵で見る明治の東京』 

今日の外出・・3230歩 

 

8月18日(金) 晴

今日は神保町の古書會館に出かける。恆例の古本市開催日だからであつたが、近ごろは女性客が多くなり、へたに押し合ひへし合ひできなくなつた。今日もそれほどの込み具合ひであつた。古本市の妙味は何んといつてもこんな本が出てゐたのかといふ發見である。探してゐたのが見つかつたといふ以上の悦びがここにある。これをこそ掘出し物といふべきだらう。

歸宅後シャワー。

今日、山田風太郎 『棺の中の悦楽』(講談社大衆文学館) と 『奇想ミステリ集』(同) を掘り出したので改めて第一册目の 『奇想小説集』(講談社大衆文学館) から讀みはじめる。

今日の収穫・・『秋月悌次郎~老日本の面影』 『幕末維新パリ見聞記』 『戦後欧米見聞録』 『貢太郎見聞録』 『乞食大将』 『彼もまた神の愛でし子か洲之内徹の生涯』 『棺の中の悦楽』 『奇想ミステリ集』 『一九七二』 

今日の外出・・4370歩 

 

8月19日(土) 晴

終日讀書。浅田次郎 『神坐す山の物語』(双葉文庫) 讀了。「切なさにほろりと涙が出る、浅田版遠野物語ともいうべき御嶽山物語」。まだ登つたことのない御嶽山に出かけてみたくなつた! 

 

8月20日(日) 晴

終日讀書と書きたいけれど、からだがだるくて横になつてすごした。

午後、純子さん来られ整體を受けたららくになる。夜は長時間讀書。

 

8月21日(月) 晴

今日は池袋西武百貨店の古本市に出かけた。寝てゐたかつたけれど、天龍のギョウザも食べたかつたし、いい散歩になつたことはなつたけれど、氣に入つた本がなかつた。もつとも以前の亂雜した古本市のさまがこぎれいに整へられてしまつて、探書意欲がそがれてしまつたせいかも知れない。

東武百貨店の12階レストラン街まではだいぶ歩き、天龍でもだいぶ待たされたが美味しくギョウザが食べられた。

山田風太郎 『奇想小説集』 を讀みはじめたら、讀み續けてゐる戰中日記を讀んでゐるのではないかと錯覺してしてしまふほどなのでびつくり! まづは「陰茎人」と「臘人」と「満員島」「自動射精機」を讀む。

今日の収穫・・『貘の舌』 『俳人荷風』  

今日の外出・・3490歩 

 

8月22日(火) 曇り時折雨

あれこれ讀書。多く猫たちとともにすごす。

夕食後シャワー。 

 

8月23日(水) 晴

今日は明學の同窓生と久しぶりに會食した。場所は御茶ノ水の東京ガーデンパレスホテル、つきじ植むらの日本料理をいただきながら歡談。マキさんが病後とはいへ痩せてしまつてゐたのにはびつくりした。

解散後淺草橋驛乘りかへで靑砥驛下車、駄菓子を買ひ入れてから歸宅し、さらに床屋に行つてさつぱりする。シャワーで汗をながす。

山田風太郎 『戦中派焼け跡日記』(小学館文庫) 讀了、つづいて 『戦中派闇市日記』(昭和22・23年) に入る。 

今日の外出・・6130歩 

 

8月24日(木) 晴

冷房をいれて讀書するのはいいけれど、からだが冷えると食欲がなくなる。それで午からは猫たちとすごし、通り抜ける自然の風にあたりながら夕方まですごした。さらに夕食後シャワーではなく風呂をわかして入つた。

夕食中だつた、清水のマリちやんからメールで、先ほどお父さんが亡くなつたとの連絡があつた。一昨日病院から歸宅し、ルツちやんさとちやんらに看とられて息を引きとつた父さん90歳。1975年4月、古武士のやうなお父さんに淸水で出會つてから48年のつきあひだつた。川遊びやら焚き火やら思ひ出はつきない。

山田風太郎 『奇想小説集』(講談社大衆文学館文庫) 讀了。

今日の収穫・・『小説あづま橋』 『別冊話の特集色川武大・阿佐田哲也の特集』 がとどく。 

 

8月25日(金) 晴

三か月目の定期檢診のため日本橋の齒科醫院へ通院。長い間治療していただいた先生と衛生士さんに診てもらひ、安心した。次回は二か月後にしてもらつた。昨夜からせきとたんが出はじめたのだが、治療にさしつかへなくてよかつた。

歸路、高島屋でそばをいただき、神田驛乘り換へで高圓寺に直行。平日は快速が高圓寺に停まるので都合がよく、古本市を堪能、いつもより文庫本が多くてわくわくした。また、新小岩からバスで歸路につく。

夕食まで外の風にあたりながら猫たちとすごす。

夕食後風呂。

今日の収穫・・『鉄道線路図昭和39年10月1日現在』 『現代語訳文明論之概略』 『明治大正見聞史』 『新方丈記』 『怪奇な話』 『一少年の観た〈聖戦〉』 『無職無宿虫の息』 『文藝別冊総特集色川武大vs阿佐田哲也』 『なんじゃらほい』 『勝海舟と西郷隆盛』 

今日の外出・・4240歩 

 

8月日26(土) 朝と午すぎ激しい風雨のち晴

マリちやんからお父さんのお通夜と葬式の日時を報せてきたけれど、咳とたんがとまらずあまり調子よくない。淸水に行ければいいのだが。

終日あれこれ讀書。昭和22年、醫學生の山田風太郎、江戸川乱歩が主催する土曜會にはいり、作品を書きはじめる。荷風は23年1月「罹災後三年今日初めて東京の地を踏むなり」と、淺草から向島あたりを歩みはじめる。

寢る前に風呂に入る。  

 

8月27日(日) 日中斷續的に激しい風雨

終日讀書。多田蔵人編 『荷風追想』(岩波文庫) 讀了。小林信彦 『袋小路の休日』(講談社文芸文庫) 讀了。荷風 『断腸亭日乗』、山田風太郎 『戦中派闇市日記』(昭和23年) 讀みすすむ。

夕方、猫たちとすごす。

夕食後風呂。 

 

8月28日(月) 晴

東京驛發9時27分の新幹線で靜岡經由淸水に向う。何年ぶりの新幹線だらう。淸水驛からはタクシー。清水嶋孝さんの葬式は12時30から淸水敎會でおこなはれ、マリちやんルツちやん家族はじめ樽井さん大田さんらの懐かしいお方々と再會。火葬場までつきあひ、靜岡驛まで送つてもらひ、16時41分發ひかりにて歸路につく。

歸り、食欲がないのを無理に驛前のたかのでタンメンを食べる。歸宅後猫たちに食事をあげ、風呂に入つて床に入る。幸ひ腰の痛みがかなりなくなつてきた。

山田風太郎 『戦中派闇市日記』(小学館文庫) 讀了。『動乱日記』(昭和24・25年) に入る。 

今日の外出・・7210歩 

 

8月29日(火) 晴

慈惠醫大病院に通院。不調にもかかはらず檢査結果は良好。でも食欲すすまず晝食のたぬきそばも殘してしまつた。

それでも神保町に寄つて古本屋街を慢歩してから歸路につく。

歸宅後シャワー。

今日の収穫・・山田風太郎傑作選Ⅰ『首』 同Ⅱ『夜よりほかに聴くものもなし』 同Ⅲ『棺の中の悦楽』 同Ⅳ『誰にも出来る殺人』 

今日の外出・・5470歩 

 

8月30日(水) 晴

今日が最終日の南柏驛前の古本市を訪ねた。今期間三度目であつたので収穫は三册、若かりし風太郎の膨大な讀書に刺激され、モーパッサンとポーの短編集である。ついで、ひと驛先の柏でいつもの担々麺をいただき、さらに太平書林さんをのぞく。『ジョン万次郎アメリカを発見した日本人』 と谷崎潤一郎夫人の 『倚松庵の夢』 を見つける。さういへば高島屋が休みだつた。

歸路、東武電車で船橋乘り換へ、荷風が歩きまはつた京成線沿線をながめ、せつかくなので中山驛で降りて法華經寺を訪ねてみた。ところが上り坂で暑かつたので、途中の赤門までしか行けなかつた。

 歸宅後猫たちとすごし、夕食後風呂。

夕食は一膳のご飯とまぐろの山かけ、牛肉タマネギ炒め、ナスの南蛮、山芋千六本、デザートは梨。近頃はこのやうな食事が美味しい。

今日の収穫・・『黒猫・黄金虫』 『メゾンテリエ他三篇』 『サキ傑作集』 『ジョン万次郎』 『倚松庵の夢』 

今日の外出・・4530歩 

 

8月31日(木) 晴

終日讀書。山田風太郎 『戦中派動乱日記』(昭和24・25年) 讀了。同 『戦中派復興日記』(昭和26・27年) 讀みはじめる。面白い。風太郎じつによく飲みじつによく讀んでゐる。漱石の 『それから』 と 『漱石書簡集』 がいいといふので出してきた。

夕食後風呂。