「讀書の旅」 二〇二〇年十一月(霜月)一日~卅日

 

十一月一日(日)舊九月十六日(戊申) 晴

昨日も寢たのは今朝の明け方。起床はそれでも九時。終日だるかつた。

アントニオ・マンジーニ著 『汚れた雪』 を讀みだしたら面白い。ただ、舞臺がイタリア北西部の山岳地帶、登場人物名がよみにくいのが難點か。

また、〈説話文学〉では、「元版群書類從特別重要典籍集」の 『日本現報善惡靈異記 卷上』 を讀みつづける。

 

 

十一月二日(月)舊九月十七日(己酉) 晴のち曇り、一時雨

終日讀書。

また、晝と夜とが逆転してしまつたやうだ。なかなか寢られず氣がついたら四時、五時で、それから寢ると一〇時か一一時起床。それでひるまはぼんやりとすごし、夜になると目も頭も冴えてくるのだ。どうしやう。

注文した、ローレンス・ブロックの 『聖なる酒場の挽歌』(二見文庫) が屆いた。

 

 

十一月三日(火)舊九月十八日(庚戌) 晴のち小雨

昨夜、アントニオ・マンジーニ著 『汚れた雪』 讀了。イタリア語の翻譯なんて、ダンテの 『神曲』 以來かもしれない。とにかく、主人公の副警察長ロッコ・スキャヴォーネが魅力的。全編ユーモアがあつて、ところどころでクスクス笑はせてくれる、登場人物たちの會話がじつにいい。

つづいて、やはり先日もとめた、ロバート・クレイス著 『容疑者』(創元推理文庫) をよみはじめる。

午後、NHK・BSPで 『ショーシャンクの空に』 を見た。いつか觀なければと思ふばかりで機會がなかつたが、今回は見のがさなかつた。ティム・ロビンスとモーガン・フリーマンが好演。見終つて氣持がよかつた。

 

今日、多くの友人に次のやうなメールを書いて出した。

──みなさま、おかはりなくお過ごしでせうか。突然のおたよりをお許しください。福音になるか雑音になるか、ともかくお知らせします。

まづ、11月に入り、讀書の旅(ひげ日記)が新装開店しました。いつまでつづけられるかわかりませんが、最後の惡あがきにはなるでせう。

以下が本題ですが、現在我が藏書の處分を實施中です。添付寫眞は、仕分け部屋に運んだ書籍のほんの一部で、まだまだ整理は續行中です。古書店には期待できませんし、資源ゴミに出さなくてもすむやうに、來てくださるかたにさしあげてゐます。ご連絡くだされば京成電鐵・堀切菖蒲園驛まで出迎へます。むろん車でのお越しは大歡迎! ミカン箱を用意してゐますので、送ることもできます。どうかご協力を! 本のジャンルは、歴史(學術書、讀み物等)、古典文學(和歌、源氏物語、百人一首等)、旅(中山道、江戸・東京他)、雑學、その他各種文庫本等です。期限は決めてゐませんが、もちろんぼくの息がとまるまでには完了したい。よろしくお願ひいたします。吉報をお待ちしてをります──。

 

 


 

 

十一月四日(水)舊九月十九日(辛亥) 快晴

ロバート・クレイス著 『容疑者』(創元推理文庫) 讀了。警察犬の物語なので、『容疑者』 といふ表題はふさはしくないと思ふが、なにしろ一氣に讀ませた。

アントニオ・マンジーニ著 『汚れた雪』 とともに、たまたま古本屋で目にとまつた本だが、だから古本散歩はやめられない、といふことにしておこう。

つづいて、やはり十月卅一日にもとめた 『緊急工作員』 を讀みはじめる。

注文した、ローレンス・ブロック著 『八百万の死にざま』(ハヤカワ・ポケット・ミステリー) が屆く。この際、マット・スカダー・シリーズをすべて讀んでしまひたい。

 

また、『日本現報善惡靈異記 卷上』 を讀みつづけてゐる。こちらは漢文なので一日一話ていどの進みぐあひである。

問題は、註釋書として板橋倫行校註の角川文庫と小學館の日本古典文學全集 とをかたはらにおいてゐるが、兩者、訓讀の仕方が違ふのである。漢字が異なることもあれば、漢字の訓みが違ふこともある。そもそも讀んでゐるのが塙保己一の群書類從版だから、三者みな異なるときもある。用ゐてゐる原本(傳本)が違ふのだから仕方ないといへば仕方ない。

二〇〇九年に角川文庫(板橋倫行校註の訓讀文)で讀んだときにはそんなことで惱むことはなかつたのに、今回、どの漢字をとり、どの訓みをとるかは、ぼく自身がどう讀むかにかかつてゐるので、毎晩惱みながら讀んでゐる。

角川文庫版の解説にはそのへんのことが詳しい。

「靈異記の文章は漢文體を使つてゐる。なかには四六駢儷體を氣取つてゐるところもあるが、きはめて和臭を帶びた僞漢文が、大部分を占めてゐる。僞漢文とは古事記などに見られる形式的漢文のことである。この僞漢文こそむしろ靈異記の文章の本來なのであらう。從つて靈異記は訓みづらいといふ非難が生じる。この訓みづらさを克服して今までの訓讀の仕事がつづけられて來たのである」

ちなみに、傳本といへば、興福寺本といふ傳本は、「大正十一年九月、奈良興福寺の東金堂の天井裏から發見された」ものだが、この寫本本文の終りに 「延喜四年五月十九日午時許寫已畢」と記され、傳本中もつとも古いものとされてゐる。延喜四年(九〇四年)といへば、菅原道眞が没した次の年であり、次年には 『古今和歌集』 が成立してゐる。

だから、塙保己一の群書類從(正編は一七八六年~一八一九年刊行)はこれを見てゐない。群書類從は、もと高野山の金剛三昧院にあつた高野本と名古屋の眞福寺所藏の眞福寺本を底本として、「江戸時代最大の考證學者狩谷狩谷」によつて編集されたものである。

とにかく、先學の仕事がなければこんにちぼくたちが讀めなかつたものなのだ。おほきに感謝!

 

 

十一月五日(木)舊九月廿日(壬子) 快晴

今日は、二か所の古本市をまはつた。まづは、御茶ノ水驛前の御茶ノ水ソラシティプラザ廣場で開催中の古本市。そこでは文庫本數册。

ちやうど晝食どきで、驛前の“壽司ふくじゅ”といふはじめての店でいただく。上品でいい味してゐた。量も少なめにしてしていただいた。くせになりさう。

それから、聖橋をわたり、湯島聖堂を訪ね、つづいて神田明神、さらに、淸水坂をのぼつて妻戀神社に寄り、坂の途中のサカノウエカフェで一休み。持つて出た 『緊急工作員』 をしばらく讀んで店をでると、日も陰り、湯島天神を通り抜け、男坂をくだつて上野廣小路をめざす。

二か所目の古本市は、廣小路交差點かどの、上野広小路亭古本まつりである。そこでもやはり文庫本を數册。これでしめるつもりが、つい斜向ひのブックオフに入つてしまひ、なんと海外ミステリーを多數買ひ求めてしまつた。だが、はたして面白い本がどれだけあるかは未知である。

 

今日の収穫、求めた順・・・①嵐山光三郎著 『漂流怪人・きだみのる』(小学館文庫)、中丸明著 『絵画で読む聖書』(新潮文庫)、内田百閒著 『東京焼盡』(旺文社文庫)、ローレンス・ブロック著 『暗闇にひと突き』(ハヤカワ・ミステリ)、ローレン・D・エスルマン著 『シュガータウン』(ハヤカワ・ミステリ)、サラ・パレッキー著 『センチメンタル・シカゴ』(ハヤカワ文庫)

J・ケッチャム著 『老人と犬』(扶桑社ミステリー)、ガエタノ・コンプリ著 『キリストと聖骸布』(文庫ぎんが堂)

③ポール・オースター著 『幽霊たち』(新潮文庫)、ジェイムズ・クラムリー著 『ダンシング・ベア』(ハヤカワ文庫)、J・ケルアック著 『オン・ザ・ロード』(河出文庫)、同著 『孤独な旅人』(同)、B・テラン著 『神は銃弾』(文春文庫)、同著 『音もなく少女は』(同)、同著 『その犬の歩むところ』(同)、L・ウェイウェイオール著 『鎮魂歌は歌わない』(同)

今日の歩數、六七〇〇歩

 

 

十一月六日(金)舊九月廿一日(癸丑) くもり

終日讀書。

夜になつて、ダニエル・ジャドスン著 『緊急工作員』(ハヤカワ文庫) 讀了。『汚れた雪』 もさう、『容疑者』 もさう、まるで映畫をみてゐるやうな迫力で、最後の頁までわくわくして讀んだ。

中村莊の猫部屋に預かつてゐるチャチャが元氣で、ますますかはゆくなる。

 

 

十一月七日(土)舊九月廿二日(甲寅・立冬) 曇天一時小雨

今日は、川野さんと上野毛驛で待ち合はせ、五島美術館を訪ねた。現在、〈開館六十周年記念名品展Ⅴ〉と銘打つて、五島美術館所藏の「平安の書画─古筆・絵巻・歌仙絵─」の展示がなされてゐたので、變體假名を學んでゐるぼくたちには見逃せない企畫であつた。

謳ひ文句には、「平安の書画ー古筆・絵巻・歌仙絵ー 五島美術館の収蔵品から、平安時代を中心に書と絵画の優品約50点を選び展観。鮮やかな装飾料紙に和歌を書写した『古筆』、貴族が愛好した雅な『絵巻』、優れた歌人の姿を描いた『歌仙絵』など、華麗な王朝文化の世界を紹介します。五島美術館収蔵『国宝 源氏物語絵巻 鈴虫一・鈴虫二・夕霧・御法』を、会期を通じて特別展示予定」 とあり、「國寶 源氏物語絵卷」を、人出の少ないこの機會にゆつくり、ゆつたりと觀ることができて幸ひだつた。

今回もツァイスのミュージアムスコープがたいへん役にたつた。擴大されて目の前にせまる筆文字が、即座によめるのもあれば、むずかしいのもある。歌仙繪はじつに細やかに描かれてゐるのがとつて見えて、これらが平安時代に描かれたのだとおもふと氣も遠くなりさうである。

歸路、二子玉川驛まで坂道をくだり、驛前の高島屋で晝食をいただいた。えび野菜天せいろがおいしかつた。

二子玉川驛で川野さんとは別れ、東京古書會館で開催中の古本市をのぞくために半藏門線で神保町に向かつた。まあ、處分中なので、極力ひかへはしたが、安いとついつい求めてしまふ。ここも人出はほんのわづか。あのラッシュを思へば、さびしい感じがする。

夕食は、靑砥驛の壽司屋でお好み五貫。づけまぐろ・えんがわ・赤貝・穴子・うにの軍艦。ところが、靑砥驛からまた特急に乘つてしまひ、日暮里から折り返して歸宅した。

 

今日の収穫・・・『正信偈訓讀圖繪 三』(和本)、『打聞集』(改造文庫)、柳田國男著 『木綿以前の事』(角川文庫舊版)、五味文彦著 『西行と淸盛 時代を拓いた二人』(新潮選書)

今日は、嵐山光三郎著 『漂流怪人・きだみのる』 を持ちて出かけ、だいぶよみ進んだ。

今日の歩數、九〇二〇歩 

 

 

十一月八日(日)舊九月廿三日(乙卯・下弦) くもり時に晴

嵐山光三郎著 『漂流怪人・きだみのる』 讀了。

内容─きだみのるはファーブルの『昆虫記』を訳し、戦中『モロッコ紀行』を書いたブライ派の学者である。雑誌「世界」に連載した『気違い部落周游紀行』は大ベストセラーとなった。嵐山は雑誌「太陽」の編集部員だった28歳のとき、77歳のきだみのると、謎の少女ミミくん(7)と一緒に取材で日本各地をまわった。フランス趣味と知識人への嫌悪。反国家、反警察、反左翼、反文壇で女好き。果てることのない食い意地。人間のさまざまな欲望がからみあった冒険者。きだ怪人のハテンコウな行状に隠された謎とは何か? 平松洋子・南伸坊・松山巖の三氏による解説を特別収録。

つづいて、ローレンス・ブロック著 『暗闇にひと突き』 に入る。

 

「元版群書類從特別重要典籍集」の 『日本現報善惡靈異記』 を讀んでゐると、はじめて目にするやうな漢字があとからあとから出てくる。それで、『異体字解読字典』(柏書房) をときどき見てゐるが、先日、かたづけてゐるときに目についた、小池和夫著 『異体字の世界―旧字・俗字・略字の漢字百科』(河出文庫) も役立ちさうなので、讀み通さないまでも、かたはらに置いて常時參考にしたい。

内容─牛丼の吉野家の「吉」はなぜ「士」冠でなく「土」冠なのか、デパートの高島屋の「高」はなぜ「鍋ぶた」の下が「目」なのか。渡辺さんの「辺」には十八もの異体字がある……! 異体字とは、正字、俗字、古字、別体、譌字、略字などの総称。常用漢字がどのように決まり、人名用漢字などでいつも混乱しているのは何が原因なのか。印刷文字の変遷から、現代の携帯やパソコンの文字まで、最近の漢字騒動も含めて異形の文字たちをめぐる奥深く驚きに満ちた初めての本。 

 

*今日の母 お初のミカンとともに。

 

 


 

 

十一月九日(月)舊九月廿四日(丙辰) 晴

午後、再びTさんが來てくださり、處分本を見て選んで、引き取つてくださつた。その間、ぼくは工房のはうの本を選別し、仕分け部屋にカゴで四、五杯運ぶ。

さう、かたづけてゐたら、きだみのるの 『日本文化の根底に潜むもの』 が出てきた。手に入れてゐたことも忘れてゐた!

『暗闇にひと突き』 よみ進む。

 

 

十一月十日(火)舊九月廿五日(丁巳) 晴

今日はパヂヤマデイ。

妻にたのまれてネコ部屋のチャチャになんどか足を運ぶ。だいぶ慣れてきて、横になると胸の上にあがつてくるやうになつた。ただ、飼ひ主のAさん、手術後どんな具合なのだらう?

 

ローレンス・ブロック著 『暗闇にひと突き』 讀了。アル中探偵のマット・スカダーが、AA(アルコール中毒者自主治療協会)の集會へ通ひはじめることになる、その伏線が語られてゐて興味深かつた。

また、先月求めた和本の 『立禪和上行状記 上』 をよみはじめた。まあ、初日の今日は數頁にすぎなかつたが、よみやすい文字なので、快感である。

『日本現報善惡靈異記』 も、むずかしいなりに順調によみすすむ。

 

 


 

 

十一月十一日(水)舊九月廿六日(戊午) 晴

今日は古本散歩。古本市唯一開催の南柏に行き、さらに柏の太平書林を訪ね、歸りは松戸のブックオフで締めくくり。この三か所で、單行本一册と文庫本多數購入。

 

今日の収穫・・・福本武久著 『舌剣奔る 小説横井小楠』(竹内書店新社)、ピート・ハミル著 『マンハッタン・ブルース』(創元推理文庫)、ジョージ・ドーズ・グリーン著 『ケイヴマン』(ハヤカワ文庫)ローレンス・ブロック著 『殺しのパレード』(二見文庫)

 

母がデイサービスの日なので妻も外出し、買物のついでに、伊東屋のカレンダーと敎文館のポケット・カレンダーを買つてきてくれる。

その際、敎文館から、『日本聖書協会 古本募金』 といふ案内ビラ見つけ持ちかへつてくれた。それによると、古本を寄贈すると、聖書にかへられて頒布に供されるといふ。むろん、寄贈といふことで換金されないが、めんどうなことはなささうなので、送れるかどうか試してみたい。

今日の歩數、七四〇〇歩

 

 


 

 

十一月十二日(木)舊九月廿七日(己未) くもり

本をよんだり、また本をかたづけたり、わがやの猫とあずかつてゐるチャチャと遊んだり、とりとめもない一日を過ごす。

午後、NHKBSPで、ポールニューマンの西部劇、“太陽の中の対決”(一九六七年) を見た。めずらしい役柄で面白かつた。

 

 

十一月十三日(金)舊九月廿八日(庚申) 晴

今日もまたとりとめもなく過ごす。

アマゾンに注文した、黒川博行の文庫がニ册屆いた。

Aさん、本日退院とのことだが、もうしばらくチャチャを預かることになつた。

 

 

十一月十四日(土)舊九月廿九日(辛酉) 快晴

今日は、大塚さんが本をとりにきてくださつた。大塚さんは、日光街道と中仙道を一緒に歩いた仲で、最近大病されたがだいぶ復調されてお元氣な樣子。辯舌の鋭さもかはらず。

黒川博行の 『喧嘩』(角川文庫) が屆く。

 

 

十一月十五日(日)舊十月朔日(壬戌・朔) 晴

朝食後、チャチャとたはぶれ、そのあと隣りの仕切り部屋で本をかたづけ、そしてシャワーを浴びて洗髪。

午後は讀書。ローレンス・ブロック著 『八百万の死にざま』 のまにまに 『立禪和上行記 上』 を數頁。夜は、『日本現報善惡靈異記 上』。 

 

 

一月十六日(月)舊十月二日(癸亥) 晴

ローレンス・ブロック著 『八百万の死にざま』 讀了。じつに濃厚な内容でじつくりと讀ませた。で、つづいて、これもかたづけてゐた本の山の中から目についた、北方謙三の 『牙』 を手にとつた。再讀になるが、濃厚のあとは輕いもので氣分をかへよう。

 

 

十月十七日(火)舊十月三日(甲子) 晴

北方謙三の 『牙』 讀了。つづいて、黒川博行のデビュー作 『二度のお別れ』 をよみはじめる。これも再讀だが、片やニューヨークのローレンス・ブロック、こなた日本の黒川博行で、しばらく交互に讀んでいかう。

片やニューヨークの地圖、こなた大阪の地圖。これらが手もとにあるだけで面白さは倍増する。

黒川博行には三つのシリーズとその他がある。一つ目は大阪府警シリーズ(九册)、二つ目は堀内・伊達シリーズ(三册)、三つ目は疫病神シリーズ(七册)である。その他は十八册で單發もの。みなそれぞれ面白く、すでにほとんど讀んでゐるが、再讀したい。

 

『日本聖書協会 古本募金』 に古本を寄贈することにして、あらためて案内ビラ(申込書)を見たら、ISBN番号が表示されてゐない本は受け取れないと記されてあつた。さういへば記されてゐたなと思つて、本の裏を見ると、確かに記されてゐる本がほとんどだが、年代的に古い本には記されてゐないのがある。そこで、調べてみたら、次のやうに書いてあつた。

ISBN(アイエスビーエヌ)とは、「International Standard Book Number(インターナショナル・スタンダード・ブック・ナンバー)の略。世界共通で書籍を特定するための番号で、図書(書籍)および資料の識別用に設けられた国際規格コード(番号システム)の一種。 アラビア数字で表される。日本における漢訳名は「国際標準図書番号」。1965年にイギリスで開発され、1970年に国際規格標準化機構で採用されて世界中に普及し始めた。

 

 

十一月十八日(水)舊十月四日(乙丑) 晴

黒川博行著 『二度のお別れ』 讀了。再讀のはづだが、本書が、「犯人と警察との攻防戦があまりに秀逸で、刊行前後に起きたグリコ・森永事件と似ていることから、黒川さんが犯人との関係を警察から疑われてしまう事態にまでなった」といふのは、初耳だ!

また、『日本現報善惡靈異記 卷上』 讀了。これも再讀だが、初讀は訓讀文だつた。今回は漢文で、訓點つきだけれど、どのやうにも讀める漢字が多くて、すらりとは讀めなかつた。

つづいて、梓澤要著 『捨ててこそ空也』(新潮文庫) を讀みはじめる。

 

川野さんから、《奥の細道、黒羽紀行》 の旅程表をメールでいただいた。『奥の細道』の、日光からその先を歩こうと計畫してからどれほどになるだらうか。できれば歩きとほしたかつたが、それはあきらめて、芭蕉の足跡の濃いところ(?)を順に訪ねていこうといふことではなしがまとまり、その第一回の「紀行」である。コロナ騒ぎがまたまた再燃してきたけれど、人との接觸のすくない場所ではあるが愼重に行動したい。ただ、乘る列車やバスの時間から、訪ねる場所など何もかも川野さんにおまかせしてしまひ、恐縮である。

 

*川野さんから─奥の細道 黒羽周辺巡り旅程

上野那須塩原雲巖寺周遊観光大雄寺(昼食見学・大雄寺、黒羽の館)八幡神社(那須神社、那須与一の郷、道の駅)那須塩原上野

 

 

十月十九日(木)舊十月五日(丙寅) 晴、暑い!

終日讀書。

空也については、ずつと關心はあつたものの、堀一郎さんの 『空也』(吉川弘文館) をちらちらながめるくらゐで、他にも學術書しかなかつた。が、この九月の古本市めぐりで偶然出會つたのが、梓澤要著 『捨ててこそ空也』 であつた。小説とはいへ、史實には忠實のやうで、面白いだけではなく勉強になる。

また、變體假名が讀みたくなつたので、『源氏物語三十四〈若菜下〉』(靑表紙本) をよみはじめる。〈若菜上〉のつづきで、冒頭から柏木の登場である。

仕分け部屋の古本のなかから、ISBN番号が表示されてゐる本をえらんで、ミカン箱二箱につめた。

 

 

十一月廿日(金)舊十月六日(丁卯) 曇天、一時晴

『捨ててこそ空也』 によつて、空也と平將門が同じ年の同じ月に生まれたこと、それに、お互ひに出會ひ、影響しあつたこと、これはフィクションではあらうが、違和感はなかつた。

また、將門の勢力圏に、菅原道眞を祀つた天滿宮があり、それは何故かなと、かつて將門紀行を書いたときに感じてゐたことだけれど、本書はそのことについても、將門と關連があつたことに觸れてゐた。

ちなみにその天滿宮は、大生郷天滿宮(おおのごうてんまんぐう)といひ─「茨城県常総市にある神社。祭神は菅原道真。929年、道真の第3子、影行が創建したと伝わる。関東以北の天満宮では最古のもの。道真公の遺骨が御神体となっていることから、『太宰府天満宮』、『北野天満宮』、『大生郷天満宮』で日本三天神ともいわれています」とあつた。

それと、『將門記』 が書かれた経緯が描かれてゐて興味深かつた。まさか將門と空也とが深い關係を持つてゐたであらうことなどいままで考へてもみなかつた。

  

Aさんが退院されたので、今朝、チャチャが里歸りした。十月廿六日から約四週間預かつたので、だいぶなつかれてしまひ、別れるのがさびしかつた。

 

 

一月廿一日(土)舊十月七日(戊辰) 晴

終日讀書。

梓澤要著 『捨ててこそ空也』 讀了。念佛といへば法然と思つてゐたけれど、「法然より二百年以上も昔に、すでに空也(九〇三~九七二)が説いている。空也は、わが国の念仏の教えの祖師と呼んでよい人物です」と、ひろさちやさんが付録の文のなかで書いてゐるやうに、たしかに、法然、親鸞、一遍に先立つ偉人だと感じ入つた。六波羅蜜寺へ行き、空也上人立像を自分の目でみてみたい。

本書の内容・・・平安時代半ば、醍醐天皇の皇子ながら寵愛を受けられず、都を出奔した空也。野辺の骸を弔いつつ、市井に生きる聖となった空也は、西国から坂東へ、ひたすら仏の救いと生きる意味を探し求めていく。悪人は救われないのか。救われたい思いも我欲ではないか。「欲も恨みもすべて捨てよ」と説き続けた空也が、最後に母を許したとき奇跡が起きる。親鸞聖人と一遍上人の先駆をなした聖の感動の生涯。

當然、小説だからフィクションがまじるが、「執筆の傍ら、東洋大学大学院で仏教史を学」んだ著者の見識が光り輝いてゐた。

 

 

十一月廿二日(日)舊十月八日(己巳・上弦・小雪) 晴

つづいて、B・テラン著 『神は銃弾』(文春文庫) をよみはじめるが、まあ映畫でないからいいけれど、想像できない暴力といふか殺戮の世界! はたして最後までよみきれるか自信がない。

 

妻が、〈キャッチミー・イフ・ユー・キャン〉といふ、猫用の遊び道具を買つてきた。チャチャが使つてゐて樂しさうだつたので求めたのだが、わが家の猫たちもわれさきにと飛びついてゐた。だが、興味をなくしてしまふまえに、止めたりして、目が離せない。 

 


 

十月廿三日(月)舊十月九日(庚午) 晴のち曇天

讀書。『神は銃弾』 讀み進む。

 

 

十一月廿四日(火)舊十月十日(辛未) 曇天午後小雨

今日は通院日。心電圖がちよいとみだれたが、他は順調。

朝、大手町驛構内のくまざわ書店で、前野直彬著 『漢文入門』(ちくま学芸文庫) が目にとまり、前書きをよんだらやめられなくなり、新本だが購入。持參した 『神は銃弾』 そつちのけで讀みはじめてしまつた。おもしろくて、といふかよくわかりすぎるくらゐで、よみあげてしまはうと思ふ。

歸り、神ぶら(神保町をぶらぶら)。ほしい本は見あたらず、ただ、三省堂書店の古書館で、神坂次郎著 『天馬空をゆく』(新潮文庫) だけ求めた。

今日の歩數・・・七一八〇歩。

 

 

十一月廿五日(水)舊十月十一日(壬申) 雨のちやむ

終日讀書。

前野直彬著 『漢文入門』 を一氣に讀了。まえがきで、「この本はただ、『漢文』を読む人のための基礎として、訓読法の原則と、それが成立するまでの過程を述べるにすぎない」と述べてゐるが、ときどき漢文を讀んでゐるぼくには最適の參考書だつた。とくに訓讀のしくみについての詳細な説明は勉強といふか、いい復習になつた。新刊で一一〇〇圓したが、惜しくない。

ふりかえつてみると、本書の著者・前野直彬の監修で江連隆著 『チャート式 基礎からの漢文』(数研出版─ブックオフで一〇五圓で購入) を二〇〇六年六月に讀んでをり、それで漢文を讀むための知識の多くを學習をした。そこでは漢文にかんするすべてを敎へようとしてゐたので、まんべんなく學ぶことしかできなかつたが、漢文をよみなれてきた現在において、この 『漢文入門』 は、「『漢文』を読む人のための基礎として、訓読法」にしぼつて述べるとあるやうに、訓點のほどこされた 『日本現報善惡靈異記』 などの和風漢文をよむよき手助けになる。

漢文はもちろん(といつても、現在の漢文にはすでに記されてゐるのだが)、たぶん、(「靑表紙本」は假名の「白文」ともいへるので) 『源氏物語』 にもいへると思ふのだが、句點と讀點を入れながらよむことを「断句」といふのださうだ。はじめて知つた! 「昔の中国の教養ある人は、細い筆を持ち、句の切れ目に点を入れながら本を読んだ。この操作を『断句』という」といふのだから優雅である。ちなみに、「返り點」と「送り假名」だけでなく、「句讀點」も加へて、三つを總稱して「訓點」といふのださうだ。

本書の内容・・・漢文を学ぶときに大切なこと、それは文法を覚える前に「漢文とは何か」を考えることだ。一口に「漢文」と言ってもいくつもの種類があり、私たちが学校で習う中国の古典的な文はもちろん、日本人が書いた漢詩や、候文で書かれた手紙もまた中国語のように書かれている。漢文の本質的な特徴は、中国語で書かれた文を、中国語でなくいきなり日本語として読むという点にある。漢文の読み方は時代とともに変化し、日本語と歩を揃えて進化してきた。訓読の方法と歴史に光をあて、日本人が漢文といかに付き合ってきたかを平明に説いた名著、待望の復刊!

 

 

十一月廿六日(木)舊十月十二日(癸酉) 晴

今日は外出。新型コロナの感染者が急増し、不要不急の外出はひかへるやうにとのおたつしが出てたけれども、川野さんと京成佐倉驛で待ち合はせて、國立歴史民俗博物館をたずねてきた。

まあ、人が混みあふ繁華街に繰り出すわけではないし、現在、「性差(ジェンダー)の日本史」といふテーマの企畫展示が開催されてをり、テーマとしてあまり關心がもたれないのではないかと安心してゐたのだけれど、案に相違して、けつこうな人出であり、「蜜」状態が懸念されるのではないかと思へるほどであつた。興味はひかれたけれど、一時間半ほど、展示された資料をじつくりながめ、また古文書にも神經をそそいでゐたら、たいへんな勞働を強ひられたやうで、川野さんともどもへたばつてしまつた。

ちやうどお晝時になり、館内の“レストランさくら”で、古代カレーを食べて、どうにか回復。それでも常設展を見て回る氣力はなく、まだお天道樣は高かつたけれど、歸路についた。

「性差(ジェンダー)の日本史」企畫の趣旨・・・時の流れに浮かんでは消える無数の事実を指す「歴」と、それを文字で記した「史」。日本列島社会の長い歴史のなかで、「歴」として存在しながら「史」に記録されることの少なかった女性たちの姿を掘り起こす女性史研究を経て、新たに生まれてきたのが、「なぜ、男女で区分するようになったのか?」「男女の区分のなかで人びとはどう生きてきたのか?」という問いでした。本展は、重要文化財やユネスコ「世界の記憶」を含む280点以上の資料を通して、ジェンダーが日本社会の歴史のなかでどんな意味をもち、どう変化してきたのかを問う、歴史展示です。

今日の歩數・・・七六七〇歩

 

 

十一月廿七日(金)舊十月十三日(甲戌) 晴のちくもり

終日讀書。

B・テラン著 『神は銃弾』 讀了。讀後感をひとことで言ふと、しんどかつた!

内容・・・憤怒―それを糧に、ボブは追う。別れた妻を惨殺し、娘を連れ去った残虐なカルト集団を。やつらが生み出した地獄から生還した女を友に、憎悪と銃弾を手に…。鮮烈にして苛烈な文体が描き出す銃撃と復讐の宴。神なき荒野で正義を追い求めるふたつの魂の疾走。発表と同時に作家・評論家の絶賛を受けた、イギリス推理作家協会最優秀新人賞受賞作。

つづいて、『日本現報善惡靈異記 卷中』 を取り出し、その序文をよむ。

さらに、B・テランの 『音もなく少女は』 をよみはじめる。解説の北川次郎さんが、「いい小説だ。胸に残る小説だ。」と書いてゐるので信じようと思ふ。

 

 

十一月廿八日(土)舊十月十四日(乙亥) 晴

終日讀書。

B・テラン著 『音もなく少女は』 を讀みつづける。『神は銃弾』 にくらべたらだんぜんわかりやすいし、北川次郎さんが述べてゐるやうに、たしかに 「胸に残る小説だ。」

とくに興味をひかれたのは、カメラが登場して大活躍することだ。

「耳の聴こえない」主人公のイヴ(このときイヴは十三、四歳?)に與へられた最初のカメラは、「暴君のような父親」が氣まぐれにプレゼントしたものだつた。

「驚きながら、イヴは買物袋を開けた。中に入っていた箱は傷んでおり、ところどころテープでとめてあったが、箱の貼られた写真から、イヴにはそれがなんなのかはすぐにわかった。カメラ。黄褐色のシンプルなコダックの中古のボックスカメラだった。興奮に息をつまらせながら、イヴはそれを手に取った。」

このカメラは、「1930年にイーストマンコダック設立50周年を記念して製作されたモデルで、当時満12歳になるアメリカの子供たちに無料で贈呈されたボックスカメラ」だつた。

二機目はその數年後、イヴを救つた「孤高の女フラン」が與へてくれたものだつた。

「フランはたまにぶらつくことのあるマウント・エデン通りのカメラ屋で、M2を買った。その店の店主はホロコーストの生き残りで、・・・フランはその店主とは、共有した過去の怒りと悲しみを時々静かに語り合う仲だった。

M2は中古品だったが、それでもライカだった。レンズの質もフィルムの平面度も・・・

『まさに現代のカメラだ』 と店主は言い、フランはうなずいた。・・・

イヴが学校から帰ってくると、それはダイニングテーブルに置かれていた。まさに黒とクロームの絶品だった。」

 

 

*コダック設立五十周年を記念したボックスカメラとライカM2

 


 

讀み進んでゐると、興味がカメラに向かつてしまひ、書庫から、以前集めて讀んだカメラと寫眞の本を出してきた。奥書を見ると、みな二〇〇七年に、といふことは毛倉野において讀んでゐる。讀書記録をみたら、カメラと寫眞に關する本を、その年の二月から六月にかけて四十數册讀んでをり、その切つ掛けが、二月一日にリコーの “GRデジタル” を購入したことによることがわかつた。

 

 

十一月廿九日(日)舊十月十五日(丙子) くもり

B・テラン著 『音もなく少女は』 讀了。

「貧困家庭に生まれた耳の聴こえない娘イヴ。暴君のような父親のもとでの生活から彼女を救ったのは孤高の女フラン。だが運命は非情で…。いや、本書の美点はあらすじでは伝わらない。ここにあるのは悲しみと不運に甘んじることをよしとせぬ女たちの凛々しい姿だ。静かに、熱く、大いなる感動をもたらす傑作。」

と内容説明にはあるけれど、北川次郎さんの解説の次のことばのはうが的確である。

「つまり本書は、男の力を借りずに私たちは生きていく、と宣言する女性たちの物語である。待っているだけでは希望は訪れない。未来は自分の手でみ取る。そのために戦おう。そういうヒロインを力強く描く小説だ。悲惨な体験に挫けず、絶望の中から這い上がり、何度も立ち上がる凛々しいヒロインを、テランはくっきりと描いている。いい小説だ。胸に残る小説だ。」

もうひとことつけ加えれば、「もうお前たちはいらない、というイヴの覚悟の前に、男たる私はただうなだれるのである」 と北川次郎さんが言ふとほりの物語である。 

先日、「性差(ジェンダー)の日本史」といふ企畫展を見てきただけに、氣分としてはすつきりした!

つづいて、同じ著者の 『その犬の歩むところ』 を讀みだしたらこれまた引き込まれてしまつた。

 

 

十一月卅日(月)舊十月十六日(丁丑・望)  晴

B・テラン著 『その犬の歩むところ』 讀了。途中なんども涙がポロポロこぼれてしかたがなかつた。上野廣小路のブックオフで買ひ求めた、B・テランを三册つづけて讀んだが、本書が一番感動した。内容は省くが、帶のことばだけは記しておきたい。

「傷ついた人々のそばに、いつもその犬がいた。犬を愛するすべての人に捧げる感動の長編小説」