2023年3月1日(水)

晴。さあ今日から正念場だ。朝、慈惠大靑戸病院へ通院。今日は檢査だけの豫定で、尿・血液・心電圖・レントゲン・心エコーの諸檢査を受けた。これらをもとに明日が循環器内科の診察だ。

歸路、亀有から綾瀬驛に出て、お辨当を買つて歸宅。

歩けば腰が痛くなる。なかなか痛みから解放されない!

山田風太郎 『風太郎の死ぬ話』(ランティエ叢書、角川春樹事務所) と、池波正太郎 『鬼平犯科帳(八)』(文春文庫) 讀了。また、山田風太郎エッセイ集 『人間万事嘘ばっかり』(ちくま文庫) が屆く。 

 

3月2日(木)

今朝も、妻の運轉で慈惠大靑戸病院へ通院。なんのことはない、胸に聽診器をあてられ、二、三言葉をかはしただけで終了。あとは手術にのぞむだけとなつた。

歸路、四ツ木の葛飾警察署へ行き、自動車運轉免許證を返却した。それから妻をともなつて例の靑戸の “手打ちそば、かとう” に行き、いつしよに食事して歸宅。

今日の外出・・・2790歩 

 

3月3日(金)

日本橋の齒科に通院。

歸路、今日も神保町の古書會館古本市を訪ね、文庫本を數册求めてから晝食。ラーメンの成光さんが混んでゐたので、一度訪ねたことのある吉野鮨でちらし鮨をいただいた。

今日、いとこの馬橋の家族が引つ越していつた。場所は小菅で近いけれどさびしくなる。父の妹家族の安田が去り、こんどは馬橋だ。幸ひ我が家は自分の土地だが、借地のままだつたので、出ていかざるをえなかつたやうだ。

山田風太郎インタビュー集 『いまわの際に言うべき一大事はなし。』(角川春樹事務所) 讀了。

携帶電話を忘れて出たので歩數がはかれなかつた。 

 

3月4日(土)

神田君からメールが届き、「今日は、ちょうど50年前にトラックで関西に来た日」だといふ。東京から西宮まで、神田君とともにまだ關學大學院の入學試驗を受ける前なのに、靑學自動車部の3トントラックを借りて「都落ち?」(引越し)したのだつた。さういへば、この5月で結婚して50年となるのだ。また亡くなつた「関田先生の記念礼拝、5月の半ば頃に渋谷教会で行われる」とのこと。出席できればいいけれど、それには正念場を克服して生還しなければならない。

夜、寢しなに、その一九七三年の一月から五月六月ころの日記(手帳)を出してきて讀んでみた。いやはや、なんといふ激動の日々だつたのだらう。そのころから心臟がガタピシしてゐて、入學早々保健室にやつかいになつてゐる。四月、關學に入學ができ、一度東京に歸つて報告したところ、関田先生がことのほか喜んでくださり、神田君らとともに渋谷で御馳走していただいたのだが、その會計で先生、もちあはせが足らなくて四苦八苦してゐらしたのが忘れられない。結婚は五月、はじまつたばかりの講義を休んで東京にもどつて擧式。準備はすべて友人らの手によつてなされ、かうして多くの先生や先輩友人たちに心配をかけて現在があると思ふと、なんとももうしわけない氣がしてくる。 

池波正太郎 『鬼平犯科帳(九)』(文春文庫) と、山田風太郎ロングインタビュー第三彈 『ぜんぶ余禄』(角川春樹事務所) 讀了。

 

 

3月5日(日)

腰の痛みがうすらいできたとはいへ、ながい時間歩きつづけるのは耐へられない。今日は腰痛體操といふのをいくつかためしてみたところ、こころもちかるくなつてきたやうで、さらに腹筋をきたえるやう努力してみたい。

山田風太郎 『くの一忍法帖』(講談社文庫) よみすすむ。

テレビ朝日の深夜番組 「タモリ倶楽部」 が三月末で終了することが發表された。 

 

3月6日(月)

ひるは美山亭に行つてタンメンを食べた。

引つ越したばかりといふのに馬橋の家が解體されはじめた!

山田風太郎 『くの一忍法帖』(講談社文庫) と 『文藝別冊我らの山田風太郎古今無双の天才』(河出書房新社) 讀了。

また、昨日注文した、山田風太郎 『山田風太郎初期作品集、橘傳來記事』(出版芸術社) が届いた。「執筆当時をできるだけ再現するべく全編旧漢字、旧仮名遣いを採用している」といふのが氣に入つたからだが、昭和12年から18年、つまり風太郎15歳から21歳のまだ學生だつたときに書かれた作品13編だ。すごいといふしかない。 

 

3月7日(火)

晴、あたたかい。慈惠大靑戸病院外科外來へ通院。主治醫より、胆石摘出、といふより胆嚢摘出(!)手術ださうで、その詳細を聞く。二週間ほどの入院になるといふ。

歸路、美知子と靑戸に出て、驛の “すしの三崎丸” でおひる。

夕方、猫たちとすごす。

夜、入院中に讀む本を選ぶ。鬼平シリーズと山田風太郎、漱石と芥川龍之介、それに角川文庫版半七の第二卷といつたところ。殿山泰司や深沢七郎、田中小実昌くんなどももつていきたい。

池波正太郎 『鬼平犯科帳(十)』(文春文庫) 讀了。

今日の外出・・・2080歩 

 

3月8日(水)

昨夜、入院中に讀む本を選び、また入院するまでに食べておきたいものを數へあげたのだが、今日からさつそく食べ歩きはじめた。まづは柏の太平書林さんを訪ねがてら玄品柏店でふぐのランチコース正午膳をいただいた。いつ食べても旨い。

山田風太郎 『橘傳來記・山田風太郎初期作品集』(出版芸術社) 讀了。

今日の収穫・・・山田風太郎 『自來也忍法帖』(講談社ロマンブックス)、山下清 『日本ぶらりぶらり』(ちくま文庫)、それからアラン 『アラン選集第二卷教育論』(創元文庫) と面白さうなタナ・フンチ 『捜索者』(ハヤカワ文庫)。歸宅後その 『捜索者』 をすぐに讀みはじめた。

今日の外出・・・2830歩 

 

3月9日(木)

今日の食べ歩きは町田の柿島屋の馬刺。4時開店なので、夕食をかねて三時頃家を出た。店はすいてゐて、生姜とにんにくをたつぷりつけて上馬刺を味はつた。ところが、食べたあとで明日は齒醫者だつたことを思ひ出し、しまつたと思つた。

食後ブックオフまで歩き、山田風太郎を數册求めた。

池波正太郎 『鬼平犯科帳(十一)』(文春文庫) 讀了。『捜索者』 讀みすすむ。が、680頁もあり時間がかかりさうだ。

今日の収穫・・・山田風太郎 『魔界転生(上下)』(講談社文庫)、同 『おんな牢秘抄』(角川文庫)、山下清 『ヨーロッパぶらりぶらり』(ちくま文庫)

今日の外出・・・2870歩 

 

3月10日(金)

日本橋の齒科に通院。

歸路、今日は高圓寺の古書會館古本市を訪ね、食べ歩き第三日、”ぎょうざの満州”でタンメンとぎょうざを食べた。

腰の痛みはおさまつてきたけれど、疲れてしまつた。

今日の収穫・・・『アンデルセン自傳』(岩波文庫舊字舊假名)、野田宇太郎 『九州文學散歩』(角川文庫舊字舊假名)、『三帖和讃歓喜鈔五帙十四』(和本)。

 今日の外出・・・4010歩。

 

3月11日(土)

慈惠大靑戸病院へ通院。入院にそなへてPCR檢査を受けただけ。何も連絡がなければ14日に入院することになる。

歸り、シャトルバスで靑砥驛に出、例の「手打そばかとう」で今回は山かけそばを食べた。

『捜索者』よみつづける。

今日の外出・・・1940歩 

 

3月12日(日)

床屋へ行き、ひげを剃つてもらつた。人工辨置換手術以來46年ぶりだ。全身麻酔の手術にそなへてだけれども、歸宅して妻がいふには顔つきがまつたくかはつてしまつたとびつくり。母などは「誰?、ジュンイチでせう?」とあきれたやう。たしかに自分の顔とは思へない口もとである!

タナ・フレンチ 『捜索者』(ハヤカワ文庫) と 池波正太郎 『鬼平犯科帳(十二)』(文春文庫) 讀了。

今日の外出・・・490歩 

 

3月13日(月)

雨のちやむ。ひるは妻と上野へ行き、アトレの中の“とん久”でひれかつをいただいた。

夕方、昨日からはじまつた大相撲見ながら猫たちとすごす。

夕食後風呂に入り、明日の入院の準備をする。重たいのは文庫本。

山田風太郎 『笊の目万兵衛門の外へ』(旺文社文庫) 讀了。以前よんだ記憶があるが、ドキドキせずにはをれなかつた。

今日の外出・・・3160歩 

 

3月14日(火)

晴。慈惠大靑戸病院に入院。 病室は北向きだが窓ぎはで明るい。右手には中川がたうたうと流れてゐる。明日から點滴注射がはじまる。問題は食事だが、晝食夕食ともに努力してほぼ完食。

池波正太郎 『鬼平犯科帳』(文春文庫) と 山下清 『日本ぶらりぶらり』(ちくま文庫) よみすすむ。 

 

3月15日(水)

入院二日目。晴。病室は7階。昨年は6階と9階だつたが、周りに高い建物がないのでいづれも見晴らしはいい。中川の土手の櫻並木が咲きそろつたらみごとだらうなと思ふ。

點滴注射がはじまり、24時間つながれつぱなつしになる。手術のさいの出血對策だが、これはおまかせするしかない。食事については、食欲があるので朝晝夕ともにほぼ完食。 夕食は焼き魚だつたが、モヤシのごま和へが美味しかつた。

ただ、思つてゐたほど讀書がすすまず。 

 

3月16日(木)

入院生活は規則正しい。起床は6時、消燈は9時。朝食は8時、晝食は12時、夕食は6時。また體温、血壓、血糖値測定も一定時間。ただし點滴注射や採血、あるいはシャワー等は必要におうじて不定期。さう、7階の廊下といふか通路はすべての病室にそつて一周してゐるので、運動のために歩いてみた。一周何歩あるのかはかつてみたら約250歩あつた。ところどころにある窓越しに見える景色がいい。ふつうに歩くぶんには腰も痛まない。朝食は食パン二枚と野菜スープ、晝食夕食ともに全粥300gと味氣ないおかずだがほぼ完食。夕食後シャワーを浴びて着がへる。

池波正太郎 『鬼平犯科帳(十三)』(文春文庫)、つづいて 山下清 『日本ぶらりぶらり』(ちくま文庫) も讀了。 

 

3月17日(金)

困つたことになつた。入院前日の夕食の時に噛んでしまつた舌のキズからの出血がとまらなくなつたのである。治りかけてゐたのだが、入院二日目から抗凝固藥のワーファリンに代はるヘパリンを點滴注射しはじめたのが原因だとわかつてゐる。手術までにとまればいいのだが、食事するたびに出血するのがつらい。

晝前、麻酔科に呼ばれ、手術の詳しい話を聞いてきた。46年前の手術の時より進んでゐるはづで、まあ、おまかせするしかないと思つた。

昨夜のWBCの試合で日本チームがイタリアに勝ち、準決勝へすすむ。

池波正太郎 『鬼平犯科帳(十四)』(文 春文庫) と 山下清 『ヨーロッパぶらりぶらり』(ちくま文庫) よみはじめる。 

 

 

3月18日(土)

朝起きて口をすすいだら洗面の流しが眞つ赤になつた。舌のキズからの出血がまだとまつてゐなかつたのだ。ところが、朝食時には出血があつたのだが、晝食の時から食べても血が出なくなつた。血マメのやうになつてはゐるが食べたものによつても破れずに、かさぶたのやうになつたのだらう。ヘパリンがワーファリンと同じ作用をするやうになつたからと思はれる。大安心だ。それで晝食も 夕食も完食。體重が51キロから53キロになつた!

山下清 『ヨーロッパぶらりぶらり』(ちくま文庫)、つづいて 池波正太郎 『鬼平犯科帳(十四)』(文春文庫) 讀了。 

 

3月19日(日)

やつと舌の出血がとまつたやうだ。朝食、晝食、夕食みな「血マメ」は破れなかつた。

今日は看護婦さんにおへそのゴマをとつてもらつた。明日の手術のためだが、氣になつてゐたのでうれしかつた。それがまたびつくりするほど大きくて、よくもまあゴミをためこんだものだなと思つた。痛くもなかつたし。手術前最後の食事(夕食)がすんだあとで、シャワーに入つてのびたひげを剃つた。いよいよで、あとは上の方と醫師におまかせだ。

深沢七郎 『生きているのはひまつぶし』(光文社文庫) 讀了。池波正太郎 『鬼平犯科帳(十五)特別長篇』(文春文庫) 讀みすすむ。 

 

3月20日(月)

朝6時からは「絶飲食」。手術は午後2時から。空腹はともかく、のどの渇きがもつだらうかちよいとこころもとない。その間、持つてきた手帳を開き、1977年1月17日大動脈辨置換手術をした前後の日記を讀んだ。大學を出たばかりで、淸水市の女子高校に勤めてゐたこともあるが、まあ大變大勢の方々の名前が書き連ねられてあり、お世話になつただけでなく、心配していただいたことが懐かしいおもかげとともに思ひかへされた。それに引き換へ、今回は靜かなものだ。といふより、人とのつきあひがほとんどなくなつてしまつたことを實感した。靜かな餘生をむかへられたといふべきか。問題は、全身麻酔によつて機能が四分の一におちた心臟がもつかどうか、このことである。再び日記が記せることを願ひつつ、では諸準備して出陣。

それに、池波正太郎 『鬼平犯科帳(十五)特別長篇雲竜劍』(文春文庫) も讀み終へたし。また、田中小実昌 『ふらふら日記』(中公文庫) よみすすむ。 

 

3月21日(火)

いやはや大騒ぎしたわりにはいとも安らかに、しかも早く手術室から生還することができた! 夜中に目が覺めて、あとはうつらうつら。先ほどパジャマをめくつて確めたら、腹を切ることなく、孔を數か所あけただけですんだことがわかつた。とどけられた摘出した胆石を見せていただいたら、その大きいのと數の多さにびつくり。まるで黑いダイヤモンドだ。すぐ寫眞に撮つた! また朝にはベッドの上で起きあがることも、少々なら歩くこともできるやうになり、臨時の個室からもとの7階の部屋に歸つてきた。朝食はなかつたが、晝食はスパゲティー・ミートソースが出て、ほんとに食べていいのかと思つたけれど完食。ただ、胆嚢あたりを通過するときにはちよいと違和感があつたが、おいしかつた! 夕食は鱈の和風ステーキとあつたが、まつたくの燒き魚。まあ、祝日の特別食としておはぎが出たので許したい。さう、またワーファリンが復活したのだつた。昨夜から夢のやうな一日であつた。

田中小実昌 『ふらふら日記』 よみすすむ。山下清の 『日本ふらふら』 と似てゐて面白い。 

 

3月22日(水)

入院してからほぼ完食だつたが、今朝は食パンを一枚だけ、晝食と夕食はほとんど食べられなかつた。體重が2キロほど増えたから、そろそろ限度なのだらう。ちよいと熱もある。午前中はベッドのシーツをかへてくれ、午後には坊主頭をシャンプーしていただいた。

田中小実昌 『ふらふら日記』(中公文庫) 讀了。池波正太郎 『鬼平犯科帳(十六)』(文春文庫) よみすすむ。 

 

3月23日(木)

朝、手術をしてくださつた醫師がきて腹を診て、キズを被つてゐたガーゼをはがしてゆかれた。順調のやうだ。また主治醫の岩瀬先生も來てくださつた。たいへんだつたのはふんづまりで、手術前日から出てゐなかつたのでつらかつたが、カンチョウをしてもらつたらどうにか解消し、さつぱりした。腹の痛みがキズ口周邊の筋肉痛だけになつた。夕方、一階のローソンまで行き、パスモをチャージしてきた。夕食は入院してはじめての酢豚。ほぼ完食。便がでたら快適になつて食べられるやうになつた。あとは點滴が終るのを待つだけだ。

池波正太郎 『鬼平犯科帳(十六)』(文春文庫) 讀了。 

 

3月24日(金)

今日も血液採取ではじまつた。その結果によつて退院が決まる。手術のあひだ抗凝固藥ワーファリンの代はりをしてゐた點滴藥に代はつて、再度ワーファリンがもとのやうに効きはじめたら點滴が終るからだ。岩瀬先生がこられ、血液檢査の結果しだいで退院は來週早々ではないかといふ。炭酸飲料を飲んでもいいとも言はれ、朝食にはバターが出るし、徐々に平常にもどりつつある。晝食は麦ご飯に焼き魚にとろろにきんぴらごぼう。どうにか平らげた。痛みは手術あとの筋肉痛だけ、咳をしたりすると痛む程度になつた。クスリのおかげかも知れないが。夕食は鶏の香草パン粉燒きにマカロニサラダ。ご飯150グラムのうち100グラムを食べる。わが家で食べてゐたのと同じ量にもどつたやうだ。

池波正太郎 『鬼平犯科帳(十七)特別長篇鬼火』(文春文庫) 讀了。殿山泰司 『三文役者のニッポン日記』(ちくま文庫) よみすすむ。タイちやんサイコー! 

 

3月25日(土)

看護婦さんにすすめられてシャワーに入つた。キズあとの洗ひかたを敎へるためだつたが、さうなると看護婦さんに全裸をさらさなくてはならず、ちよいとはづかしかつた。

食事がまたすすまなくなつた。ところが、夕食はカレーで、福神漬にラッキョウもついて、美味しく完食!

殿山泰司 『三文役者のニッポン日記』(ちくま文庫) よみすすむ。タイ先生臺北訪問のさいのお言葉 「オレの考えとしてはだな、国民が幸せに暮せてゆけない国なんかは、やっぱり政治家の姿勢が悪いんじゃないのかと思うんだがね」 とのたまつてをられる!

池波正太郎 『鬼平犯科帳(十八)』(文春文庫) もよみすすむ。

 

3月26日(日)

入院してから手術をはさみ、毎日二十四時間點滴注射と心電圖のモニターに縛られてゐるけれど、生活はわが家とかわらなやうに思はれてきた。わが家にゐたつて終日横になつて讀書にふけり、晩ご飯のおかずはなあになんて聞いてゐるんだから。それに、ここではうら若い女性たちが入れ替り立ち替り世話してくれる。イッヒヒである。あれ、タイチャンちやんみたくなつてしまつた。まあさうなのである。なに言つてんのよ、と妻に叱られさうだが、だから入院生活はきらいぢやあない。

それにしても手術前後の數日はワーファリンの効き目の調整にあてられてるので、手術だけだつたら四、五日ですむのではないだらうか。醫師が來たので、聞き忘れてゐたことを聞いたら、胆石摘出だけではなく、やはり胆嚢すべてを切除したといふ。その寫眞まで見せてくれた! サービス滿點!

朝食、晝食、夕食みな多くて完食は難しくなつてきた。

殿山泰司 『三文役者のニッポン日記』(ちくま文庫) やつと半分、「サイゴン日記」と「アメリカ日記」がすみ「ニッポン日記」に入る。池波正太郎 『鬼平犯科帳(十八)』(文春文庫) もよみすすむ。 

 

3月27日(月)

朝、窓の外を見ると、中川のはるか遠くに筑波山が見えた。はじめてのことだ。

朝食前に採血。さて、ワーファリンの効き目の調整はといふと、醫師が來て、ワーファリンの値が安定したら退院だが、それにはあと二、三日。明日の退院は無理のやうだ。

晝食は燒賣と麻婆豆腐。味が薄い!

妻が、胆嚢摘出經驗者のクリーニング屋のおじさん(83歳)から聞いた話しによると、食事制限は無いが續けて油つこいものは食べないようにしてゐるとの事。胆嚢が無くなり胆汁がダイレクトに胃に入るので多少軟便になるとか。氣をつけておきたい。

 

池波正太郎 『鬼平犯科帳(十八)』(文春文庫) 讀了。(十九)に入る。タイチヤンの「ニッポン日記」、「サイゴン日記」と「アメリカ日記」のオンナあさりの旅と違ってまるで社會政治論集である!


 

3月28日(火)

入院して二週間。やつと退院のめどがたつてきたとはいへ、今朝は採血なし。明日の採血しだいで明後日には退院できるといはれた。ただ、今日通院豫定の新橋の慈惠醫大循環器内科外來には出かけられないので、連絡して、來週の火曜日に變更してもらつた。

夕べシャワーを浴びたので、かへた下着などをとりに妻に來てもらひ、かはりに 『鬼平』 を届けてもらつた。

殿山泰司 『三文役者のニッポン日記』(ちくま文庫) 讀了。つづけて池波正太郎 『鬼平犯科帳(十九)』(文春文庫) も讀了。 

 

3月29日(水)

朝の採血の結果、手術を擔當してくださつた川窪先生が來られ、明日退院できることを告げられた。この福音をまづ妻に知らせたことはいふまでもない。それで、妻に着て歸る服を屆けてもらつた。

看護婦さんから「退院療養計画書」といふのを示された。それによるとアルコール以外は食事制限はないことになつてゐる。何を食べてもいいとなると迷つてしまふ。夕食、 最後の晩餐と期待したけれど、鯵の南蛮漬けに高野豆腐の煮物ときてはまつたく食べられず。あとで干し芋を食べた。

池波正太郎 『鬼平犯科帳(二十)』(文春文庫) 讀了。46年前の心臟手術のときには藤沢周平をよんだが、今回は「鬼平」だつた。入院生活には時代小説がいい! 

 

3月30日(木)

退院の朝、晴れわたる。堤防沿ひのさくらが滿開。10時すぎ、お世話になつた看護婦さんたちにあいさつし、手續きをすませてから、迎へにきた妻の運轉する車で病院をあとにする。いつたん歸宅し、晝まで猫たちとすごす。

改めて青砥驛へ行き、すしの三崎丸でねがひどおりの壽司を食べた。海鮮酢の物がとくに旨かつた。歸宅後、ベッドメイキングされたベッドに横になり、ふだんの生活の豊かさを改めて實感した。夕食はかつをの刺身と酢だこに肉じゃが。味はつていただく。夕食後のシャワーもありがたかつた。

明日は齒科へ通院だ。無理をしないように歩かうと思ふ。

池波正太郎 『鬼平犯科帳(二十一)』(文春文庫) 讀了。 

 

3月31日(金)

あさ、日本橋の齒科に三週間ぶりに通院。

歸路、神保町の古書會館を訪ねる前に、そば屋のたかせに行つたところ、なんと晝食は豫約制になつたなどとして締め出されたので、近くの成光さんでラーメンをいただいた。これがまた旨かつた!

今日の収穫・・・板坂耀子編 『江戸温泉紀行』(平凡社東洋文庫)、保田與重郎文庫 『日本の文學史』(新学社)、坂口安吾 『白痴』(角川文庫舊字舊假名)、今野真二 『「広辞苑」をよむ』(岩波新書)、ニーチェ 『道徳の系譜学』(光文社古典新訳文庫) 他。

今日の外出・・・4310歩

 

 

三月一日~卅一日 「讀書の旅」 

一日 山田風太郎 『風太郎の死ぬ話』 (ランティエ叢書、角川春樹事務所)

同 池波正太郎 『鬼平犯科帳(八)』 (文春文庫)

三日 山田風太郎 『いまわの際に言うべき一大事はなし。』 (角川春樹事務所)

四日 池波正太郎 『鬼平犯科帳(九)』 (文春文庫)

同 山田風太郎 『ぜんぶ余禄』 (角川春樹事務所)

六日 山田風太郎 『くの一忍法帖』 (講談社文庫)

同 『文藝別冊我らの山田風太郎古今無双の天才』 (河出書房新社)

七日 池波正太郎 『鬼平犯科帳(十)』 (文春文庫)

八日 山田風太郎 『橘傳來記・山田風太郎初期作品集』 (出版芸術社)

九日 池波正太郎 『鬼平犯科帳(十一)』 (文春文庫)

十二日 タナ・フレンチ 『捜索者』 (ハヤカワ文庫)

同 池波正太郎 『鬼平犯科帳(十二)』 (文春文庫)

十三日 山田風太郎 『笊の目万兵衛門の外へ』 (旺文社文庫)

十六日 池波正太郎 『鬼平犯科帳(十三)』 (文春文庫)

同 山下清 『日本ぶらりぶらり』 (ちくま文庫)

十八日 山下清 『ヨーロッパぶらりぶらり』 (ちくま文庫)

同 池波正太郎 『鬼平犯科帳(十四)』 (文春文庫)

十九日 深沢七郎 『生きているのはひまつぶし』 (光文社文庫)

廿日 池波正太郎 『鬼平犯科帳(十五)特別長篇雲竜劍』 (文春文庫)

廿二日 田中小実昌 『ふらふら日記』 (中公文庫)

廿三日 池波正太郎 『鬼平犯科帳(十六)』 (文春文庫)

廿四日 池波正太郎 『鬼平犯科帳(十七)特別長篇鬼火』 (文春文庫)

廿七日 池波正太郎 『鬼平犯科帳(十八)』 (文春文庫)

廿八日 殿山泰司 『三文役者のニッポン日記』 (ちくま文庫)

同 池波正太郎 『鬼平犯科帳(十九)』 (文春文庫)

廿九日 池波正太郎 『鬼平犯科帳(二十)』 (文春文庫)

 

卅日 池波正太郎 『鬼平犯科帳(二十一)』 (文春文庫)