2023年10月1日(日) 晴朝夕小雨

古本散歩につづいてヒュースケン君の墓參りプラス「ヒュースケン遭難の銘」探索。じつによく歩いた。

古本市は御茶ノ水ソラシティで今日から開催。出品量はさう多くはないが、それでも永井荷風の荷風自身が撮つた寫眞24葉がおさあめられてゐる小説隨筆集 『おもかげ』(岩波書店、昭和13年刊) と山田風太郎の絶版文庫本 『秘戯書争奪』(角川文庫) が見つかつた。そこで晝食の時間とし、ねぎしで白たんセットをいただいて腹ごしらへ。

午後はヘンリー・ヒュースケン君の墓參りを豫定。御茶ノ水驛から代々木驛のりかへで恵比寿驛、日比谷線で広尾驛下車。日差しが強くなつたが天現寺交差點を左折、やつと光林寺を訪ねたはいいが本堂裏の墓地をしらみつぶしに探したけれど見つからず、あきらめて歸りがけに見かけた掃除中のおじさんにたずねてやつとわかつて墓參りができた。

墓石には、“BORN AT AMSTERDAM1832.1.20)、DIED AT YEDO1861.1.16)”と刻まれてゐる。1月20日の誕生日を前にして28歳の若さであつた。

ところで荷風の 「墓畔の梅」(『裸體』所収) によれば、「墓は本堂のうしろ、山椿の花が見頃に咲いてゐる崖を五六歩上りかけた處にあつた」とあり、あきらかに場所が違ふ。たぶんのちに移されたのではないかとおもつた。

つづいて門前のバス停から古川(渋谷川)沿ひに中ノ橋までくだり、このあたりで暗殺された「ヒュースケン遭難の銘」を探したがこれは見つからなかつた。疲れたので再びバスで大門驛まで乘り、淺草線でに歸路ついた。

歸宅後シャワー。猫たちとたはむれてから夕食。

おりよく 『ハリス日本滞在記(中)』(岩波文庫) 讀了。いよいよハリスとヒュースケンが江戸へ出發といふところだ。

今日の収穫・・永井荷風『おもかげ』、高橋義孝『わたくしの東京地図』、保田與重郎『日本語録/日本女性語録』、山田風太郎『秘戯書争奪』

今日の外出・・8510歩  

今日の寫眞・・ヘンリー・ヒュースケンの墓


 

10月2日(月) 曇り

終日横になる。讀書もはかどらず。 

ヒュースケンについて補足・・・安政6(1859)6月、麻布善福寺が米国仮公使館とされ、伊豆下田からハリスとともにヒュースケンも移り住む。万延元年124日(1861114日)、ヘンリー・ヒュースケンは古川にかかる中の橋にて攘夷派武士に襲われ翌日に死亡、光林寺に葬られた。葬儀は襲撃の危険の中、各国外交官の列席のもと行われ、遺骸は善福寺から葬列を組んで光林寺へ運ばれた。米国仮公使館のある善福寺は土葬が禁じられていたため、キリスト教徒のヒュースケンの亡骸は、土葬が可能な光林寺に埋葬された。 

 

10月3日(火) 曇り

終日讀書。夜長の讀書はあれもこれもと讀み散らし。9册は手にした。 

 

10月4日(水) 小雨降つたりやんだり

終日家にあり。山田風太郎 『妖異金瓶梅』(東都書房) 讀了。手持ちの風太郎の刊行順著作リストの第一作であり、30歳そこそこにしてよくも書けたなと思へる作品である。 

 

10月5日(木) 曇天のち日差し、冷える

古本散歩。今日ははしごして、まづは八王子市古本市。驛前の扇状にのびる通りのひとつにテントがはるかかなたまで埋めつくし、その數も多くおもへたが収穫なし。それから中央線で高圓寺までもどつていつもの古本市を訪ねたが、文庫本を數册求めることができた。

今日の収穫・・『東海道四谷怪談』 『思想としての東京』 『「終戦日記」を読む』 『好色の魂』 『生家へ』 

今日の外出・・4600歩 

 

10月6日(金) 晴、朝冷え込む

外食散歩。食欲がでたので久しぶりに上野の玄品に行き、ふぐ料理を堪能。滿腹した。どこにもよらずに歸宅し、夕方まで猫たちとすごす。

夕食はすき焼き。晝食夕食とも滿腹。昨年の膽石痛以來これほど食べたのは初めてではないか!

携帶わすれ、外出歩數はかれず。 

 

10月7日(土) 晴

柏まで外食プラス古本散歩。どちらを先にするか、まづ高島屋のレストランで天丼を食べ、それから大平書林を訪ねて探書を樂しんだ。

電車のなかで 『ハリス日本滞在記』 を讀む。夜、小沼丹 『懐中時計』(講談社文芸文庫) 讀了。どうもぼく好みの作家ではないやうだ。が一應讀み通した。

今日の外出・・3380歩 

 

10月8日(日) 曇天

午後、ブロック塀をおおふ蔦を剪定した。からだが自由に動き疲れたものこらなかつた。腰の痛みからやつと解放されたか? 夕食後風呂。2度温度を上げた。

山田風太郎 『奇想ミステリ集』(講談社文庫・大衆文学館) 讀了。 

 

10月9日(月) 雨、寒い

終日家にあり。青砥驛の淡之須神社で開催豫定の骨董市が雨天のため中止。殘念無念。

筒井康隆 『ジャズ小説』(文春文庫) 讀了。山下洋輔の解説も面白かつた。

また、今朝妻に図書館からかりてきてもらつた逢坂剛 『アリゾナ無宿』 と 『逆襲の地平線』 を讀みはじめた。ともに再讀だが先日讀んだもののつづきにあたり、まつたく初讀の面白さだ。素生の知れない主人公サグワロが記憶を失なつた土方歳三であることはすでに承知のすけ。そして一氣に讀了。 

 

10月10日(火) 晴のち曇り雨

終日讀書。『漱石書簡集』(岩波文庫) 讀了。半藤さんが「書簡には漱石先生の人柄がにじみ出ている」といはれるやうに心うつ文面に滿ちてゐる。ところでぼくは學生のころから筆無精で禮状すら出さずにゐて、ふりかへつてみるとそれで友を失なひ人生をあやまつたのではないかと思ふことがいくつもあつたといはざるをえない。 

 

10月11日(水) 晴

最近の遊び場は柏だな。古本屋もブックオフも美味しい食べ物屋が何軒もある。天外天の担々麺を筆頭にして天丼も五目あんかけ焼きそばもふぐもある。

東武線に乘り、船橋驛經由で京成西船驛(舊葛飾驛)下車、葛羅之井(かつらのい)を訪ねた。荷風が 「葛飾驛の村道を歩む。一樹の老榎聳え立つ路傍に一片の古碑あり。また古井あり。碑面に葛羅之井の四字を刻す」 と昭和22年1月26日の日記に記したその場所である。ぼくの誕生の約一月前である。みごとな大木の木蔭でしばし感慨にひたつた。さらに京成八幡驛の山本書店に立ち寄つてから歸路につく。

今日の収穫・・『荷風本秘話』 『荷風 日和下駄読みあるき』 

今日の外出・・4700歩  


 

10月12日(木) 晴

終日家にあり。逢坂剛 『逆襲の地平線』(中公文庫) 讀了。つづきがあるのなら讀んでみたい。

夕方まで猫たちとすごす。みなかはいい。 

 

10月13日(金) 晴

外食・古本散歩。まづ神田の古書會館で探書。つづいて御茶ノ水驛前の誠鮨でちらし鮨をいただき、さらに一驛水道橋驛下車、白山通りを神保町交差點にむけて散策。日本書房と西秋書店をのぞき、波多野書店とワンダーで荷風および風太郎を求めて曳舟関屋驛經由で歸路につく。

歸宅後夕方まで猫たちとすごし、夕食後風呂。

山田風太郎 『秘鈔金瓶梅』(東都書房) 讀了。

今日の収穫・・『日和下駄』 『秘稿小説ひとりごと』 『荷風前後』 『忍法甲州路』 

今日の外出・・5730歩 

 

10月14日(土) 晴

古本散歩。高円寺の古書會館へ探書。荷風關係を求め、ギョウザの滿州でタンメンとギョウザを食べて歸路につく。

歸宅後猫たちとすごしてゐると、すこし開けた窓から金木犀の花のかほりがただよつてきて秋がきたのだとしみしみと感じた。

川本三郎 『荷風と東京(上)「断腸亭日乗」私註』(岩波現代文庫) 讀了。(下)に入る。

今日の収穫・・『荷風散人傳 こうの命』

今日の外出・・3170歩 

 

10月15日(日) 雨のちやむ、寒い

晝食後シャワーを浴び、猫たちとすごす。純子さんこられて整體を受ける。

ウィリアム・モリス 『ユートピアだより』(岩波文庫) 讀了。批判してやまない社會にあつて、ではどういふ社會と暮しが望ましいのか、工藝家らしい發想でたいへん示唆的だつた。

塩見鮮一郎 『四谷怪談地誌』(河出書房新社) とどき、これで 『東海道四谷怪談』(新潮日本古典集成) を讀みはじめられる。 

 

10月16日(月) 晴

上の差し齒の齒ぐきが痛くなり、日本橋の齒科に電話して通院。途中青砥驛の手打ちかとうで鴨南蛮を食べ、浅草線で日本橋に向かふ。診ていただいたら樣子見となり抗生劑をもらつて歸路につく。

堀切菖蒲園驛に着くとバスがゐてひとバス停乘つて南郷さんに至る。ところががらんとしてゐてゐて患者がゐない。看護婦さんがみな家族の發熱で勤といふ。藥だけいただいて歸宅。注射はあす。よく歩いた。

『東海道四谷怪談』 讀みつづける。

今日の外出・・6170歩 

 

10月17日(火) 晴

南柏驛前の古本市がはじまつてをり、さつそく古本散歩。収穫は 『岩波新書解説総目録』 のみ。晝食は柏驛の天外天で担々麺、大平書林にもたちよつて歸宅。

歸宅後夕方まで猫たちとすごす。猫たちもぼくのふところで寢るのが日課となつてしまつたやうだ。

『東海道四谷怪談』〈初日序幕〉につづき〈初日中幕〉に入る。

今日の外出・・3410歩 

 

10月18日(水) 晴

高円寺の古書會館で今日明日と均一祭り、今日はオール¥200、明日はオール¥100といふので散歩の氣分もどこへやら、混雑きわまつた會場内をかきわけて探書。國文學や歴史關係の専門書も多く目についたけれど、求めたのはほとんど文庫本の9册。ところが會計したらまとめて900圓だといふのでびつくりやらうれしいやら。全品100円ならもつとと欲がでなかつたわけではなかつたがここは自制した。結局、坪内祐三さん編集の 『明治文學遊學案内』 と 『植草甚一自伝』 と 『四谷怪談の女たち』 が掘り出し物かもしれない。

歸り、東西線經由で神保町に出、成光さんのラーメンを食べて歸路につく。

歸宅後は猫たちとすごし、夜讀書。吉行淳之介 『恐怖対談』(新潮文庫) 讀了。

今日の収穫・・『四谷怪談の女たちー子殺しの系譜ー』 『明治東京逸聞史2』 『植草甚一自伝』 『明治文學遊學案内』 『伊賀の聴恋器』 『忍法陽炎抄』 他 

今日の外出・・4590歩 

 

10月19日(木) 晴

終日家にあり。

『東海道四谷怪談』 〈初日中幕〉につづき〈初日三幕目〉に入る。いやあすごい!

 

10月20日(金) 晴

今日の古本散歩は五反田古書會館。青砥驛から直通五反田驛下車。収穫はまあまあ。中でも杉浦明平の 『椿園記・妖怪譚』(講談社) の「妖怪譚」が面白くて一氣に讀了。松崎慊堂をめぐる話だが、著書 『渡辺崋山』 の後日譚として書いたにしては面白い。

歸路、淺草線大門驛で大江戸線に乘りかへて門前仲町驛下車、深川心行寺をさがして 『東海道四谷怪談』 の著者鶴屋南北の墓をたずねた。空靑く風が心地よい。公園のベンチでしばらく憩ふ。

歸宅後夕方まで猫たちとすごし、すこしはやい夕食。やまいもの磯辺揚げが旨かつた。夕食後シャワー。

今日の収穫・・『民間日本学者9今和次郎』 『晩年の高村光太郎』 『椿園記・妖怪譚』 『「風流夢譚」事件以後』 『三茶日記』 

今日の外出・・6330歩


10月21日(土) 晴、夕一時雨

終日家にあり。あれこれの讀書を通して、また日本の古典、特に説話集を讀みたくなつた。『宇治拾遺物語』 が途中どまりなのだが、和本のつづきがどこかに隠れてしまつてゐてゐるからで、まづ 『地蔵菩薩霊験記』(古典文庫) を手に取つた。漢字カタカナ本の複製だからちよいと讀みにくいが意味は讀みとれるので挑戰してみたい。

妻がしきりにすすめるので、山口周 『武器になる哲学』 をアマゾンを通して注文した。圖書館でよく探してくるものだ!

ベッドのまはりに積み上げられた本をかたづける。 

 

10月22日(日) 晴

終日家にあり。あれこれ讀書、みな面白い。 

 

10月23日(月) 晴さわやか

日本橋の齒科に通院。齒の痛みはなく小鼻のわきを押さなければ概して痛くもないのだが、差し齒をはづして根つこの治療に入る。しばらくはまた毎週の通院となる。

歸り、水道橋驛から神保町まで探書しながら散歩。途中の日本そば屋の「桂」でカレーうどんを食べ、交差點から専大交差點までぶらぶら歩いて半蔵門線で歸路につく。腰を暖ためてゐたせいか痛みをほとんど感じないてすんだ。

毎日ベッドに入るのが7時半から8時ごろ、起床は朝の8時前後、といふことはほぼ12時間、およそ半日をねどこですごしてゐることになる。それは讀む本があるからこそであり、五時間から七時間集中して讀めるのはありがたい。むろんテレビは見ない。

今日の外出・・5440歩 

 

10月24日(火) 晴

終日寝床にあり。

『東海道四谷怪談』 〈後日序幕〉につづき〈後日中幕〉に入る。いよいよクライマックスのはづだが? また、吉行淳之介 『恐・恐・恐怖対談』(新潮文庫) 讀了。森繁久彌との對談がきはめつけ!

今日の収穫・・山口周 『武器になる哲学』(KADOKAWA) 届く。「無教養な専門家こそ、われわれの文明にとっての最大の脅威」であるといふ語りかけは意味深長である  

10月25日(水) くもり夜半雷鳴

終日家にあり。

鶴屋南北 『東海道四谷怪談』(新潮日本古典集成) 讀了。はたしてどのやうに感じたらよいのやら? すぐに志村有弘編 『怪奇・伝奇時代小説選集(2)』(春陽文庫) の中の「伊右衛門夫婦」「実説・四谷怪談」「霊媒の巫女に殺されたお岩」「隠亡堀」を讀み、物語のすじをたしかめた、が、念のため高橋克彦 『高橋克彦版四谷怪談』 を讀んでおきたい。

 

10月26日(木) 晴

古本散歩、南柏驛前の古本市にふたたび參上、まではよかつたけれど、驛北の「蕎麦真」でいただいた天ぷらそが半分しか食べられなかつた。

歸宅後、筒井康隆 『七瀬ふたたび』 を再讀しはじめたが、まつたく覺えてゐないのはいつもながら不思議だ。

昨夜より和田萬吉編 『謠曲物語』(白竜社) を讀みはじめる。少しづつでいい、讀み通したい。

今日の外出・・2470歩 

 

10月27日(金) 晴

今日から神田古本まつり。さつそく出かけて古本探索を樂しんだ。まづは古書會館の古本市で腕ならし。なんだか今週は高價な初版本やら和本ばかりでつまらない。が、歸りがけに洛東二絛専念寺藏版といふ和本 『圓光大師前知録』 と出會つて大滿足。

晝めしは、靑空掘り出し市をひやかしながらすずらん通りの小諸そばでかき揚げせいろをいただいた。さらに靖國通りを専大交差點まで探書しながら歩き、半藏門線經由で歸路につく。

夜、タウンゼント・ハリス 『日本滞在記(下)』(岩波文庫) 讀了。知識としては知つてはゐたが、ハリスの果たした日本への多大なる貢獻を忘れてはならないとおもつた。特に偉いとおもつたのは次の言葉だ。

「正午に神奈川でとまり、本陣に休憩する。・・・見物人の數が增してきた。彼らは皆よく肥え、身なりもよく、幸福そうである。一見したところ、富者も貧者もない。──これが恐らく人民の本當の幸福の姿というものだろう。私は時として、日本を開國して外國の影響をうけさせることが、果してこの人々の普遍的な幸福を増進する所以であるか、どうか、疑わしくなる。私は、質素と正直の黄金時代を、いずれの他の國におけるよりも、より多く日本において見いだす。生命と財産の安全、全般の人々の質素と滿足とは、現在の日本の顕著な姿であるように思われる。」(一八五七年十一月二十八日)

つづいて、アーネスト・サトウに入る前に、ハリスのおぜん立てにあづかつた他の諸外國の一つ、イギリスの公使、オールコックの 『大君の都』 にのぞまなければならない。

今日の収穫・・『圓光大師前知録』 『内田魯庵-気まぐれ日記』 『老いの荷風』 『ユリイカ-特集・永井荷風』 『着流し対談』 『門番の飼猫』

今日の外出・・4510歩 

 

10月28日(土) 晴

連日古本散歩。まづはいつもの高円寺古書會館。初日で混雑。つづいて中野驛のりかへの東西線で九段下驛下車。歩いて神田古本まつりの二日目を堪能。人混みをかきわけかきわけでいささか疲れた。いつものやうに半藏門線經由で歸路につく。

矢羽野隆男、ビギナーズ・クラシックス中国の古典 『大学・中庸』(角川ソフィア文庫) 讀了。やつとこさ讀み通したけれどほとんど理解できず。つづいて 『老子・荘子』(同) に入るがこのはうが少しはわかるだらう。

また、筒井康隆 『七瀬ふたたび』(新潮文庫) 再讀了。

今日の外出・・5560歩

 

 

10月29日(日) 雨曇天のち晴

朝、双葉理容に電話豫約して出かけ、ひと月ぶりにさつぱりする。午後は純子さんこられ妻につづいて施療していただく。

夜は讀書。數册を讀みすすむ。

 

 

10月30日(月) 晴

日本橋の齒科に通院。治療繼續。

日本橋のたもと地下から半藏門線で神保町へ出て、成光さんのラーメンを食べてからまた神田古本まつりを探書。吉行淳之介との對談で知つた立原正秋が讀みたくなつて何册か見つけだす。いやあ月曜日といふのにすごい人出である。

百目鬼恭三郎 『奇談の時代』(朝日文庫) 讀了。長いことかかつたが實に面白かつた。〈使用文献〉の數がまたすごい! 日本古典文學の日陰者といつた説話や奇談が滿載。讀みたくなるものばかりだ。まあ、あわてずに 『宇治拾遺物語』 『地蔵菩薩霊験記』 『謠曲物語』 などを少しづつ讀んでいくしかない。

今日の収穫・・『麻布襍記』 『第三阿房列車』、立原正秋 『風景と慰藉』 『合わせ鏡』 『他人の自由』、『小説阿佐田哲也』 『ばれてもともと』

また、『恐怖・恐怖対談』 が届く。

今日の外出・・5020歩 

 

10月31日(火) 曇天

慈惠大學病院に通院。第五週なので檢査がすいてゐた。その血液とレントゲンと心電圖の結果は、今回も體調のわるさに比して良好だつたのは不思議だ。ただ、肝臟の値が異常で、これは齒の治療でもちいた抗生劑のためだといふことであつた。

晝は病院の地下ではじめてビーフシチューとカレーパンをいただいてみた。まあまあだつた。なんとなく疲れたので古本まつりはあきらめてすぐに歸宅。夕方まで猫たちとすごす。

歸ると筒井康隆の七瀬シリーズ第三作 『エディプスの恋人』 が届いておりすぐに讀みはじめる。

今日の外出・・3900歩