二月十一日(火)舊正月十八日(甲申) 

 

晝、BSで “七人の侍” を見た。といつても、百姓たちが用心棒の侍七人を集めるまでの、はじめの一時間ばかりだつたが、七人のなかで、志村喬は別格として、ぼくは宮口精二が大好きだ。柴田錬三郎似の姿かたちがいい(寫眞の一番右)。 

初登場シーンにおける浪人との果し合ひ、その劍さばきにはしびれてしまふ。久蔵(宮口精二)は、修業の旅をつづける凄腕の劍客といつた役柄だが、表情がじつに格好いい。 

 


 

江匡房著 『傀儡子記(かいらいしき)』 を讀んでみたら、まるで「サンカ」のことなのだ。一〇八七年~一〇九四年頃の著作といふから、白河上皇の院政がはじまり、後三年の役が終つた平安中期から後期にいたる、源義家が活躍した時代である。源平の戰ひまでまだ一〇〇年もある。そんな時代を想像しながら、次の意譯をご覽ぜよ! 

 

「くゞつ(傀儡子)には定まつた家がない。テント住居をしながら水草を逐(お)つて流れ歩いて行く。その様子は頗る北狄(蒙古人)の風俗に似てゐる。男は皆弓馬を習ひ、狩猟を事とする。或は双剣を跳ね上げ、匕(アイクチ)を弄び、また木人(人形)を舞はし、桃梗(これも人形)を闘はせて、まるで生きた人間のやふにあつかふ。或は沙石を変じて金銭となし、草木を化して鳥獣となし、人目をおどろかす。女は様々のメーキャップよろしくあつて、みだらな歌を歌ひ、淫楽の友として媚びを売る。親も亭主もそれを一向苦にしない。行人旅客と逢つて一夜の佳会をなすことも敢て辞さない。客は可愛さの余り、千金でも与へる。そこで錦?の衣装から、金のかんざし装身具の類まで、何でもかでも持たぬものはない。彼等は一畝の田も耕さず、一枝の桑も採らない者で、県官の支配を受けないから、土民ではなく流浪の民だ。上に王公のあるを知らず、少しも地方の役人を怖れない。課役もないので、一生を安楽に暮らしてゐる。夜は百神を祭り、太鼓をたゝき踊り騒いで神の助けを祈る。東国の美濃、三河、遠江などのやからが最も豪気なもので、山陽の播磨、山陰の但馬などのやからがその次、西海(九州)のやからは最下等とされてゐる。名高いくゞつ(あそびめ)には、小三、百三、千歳、萬歳、小君、孫君などがある。何れも歌舞に妙を得て音声 いとも美しく、聞く者感に堪えざるものがある。今様、古川様、足柄、竹下、催馬楽、里鳥子、田歌、神歌、棹歌、辻歌、満週、風俗、咒師、別法士の類、何でもやる。これも天下の一物だ。誰か哀れをもやうさぬものがあろう。」

 

以上、ここに描かれた風俗は、先月讀んだ、五木寛之著 『隠された日本 中国・関東 サンカの民と被差別の世界』、三國連太郎・沖浦和光対談 『「芸能と差別」の深層』、野間宏・沖浦和光著 『日本の聖と賤 中世篇』、今村翔吾著 『童の神』、五木寛之著 『風の王国』、五木寛之・沖浦和光著 『辺境の輝き 日本文化の深層をゆく』、それに、『梁塵秘抄』 の世界とどこが違ふであらうか、といふより、想像や小説上のことではなかつたことがわかる。このやうな世界に生きる人々を「化外の民」として、我が國の歴史でまともに取り上げてこなかつたとは、そのことはうが驚きである!

 

 

二月十二日(水)舊正月十九日(乙酉) 

 

澤田ふじ子著 『王事の惡徒 禁裏御付武士事件簿』 を讀みつづける。この第三彈は、各短編がみなちよいと詰めがが甘いといふか、事件の解決があつけなさすぎる。 

 

グレイがぼくの胸もとにたびたび出入りするのを見てゐたモモタが、自分も甘えたいと思つたのだらうか、グレイがはなれてゐるすきをねらつて、もそもそと入つてきたのである。今までこんなことはなかつたのに、人まねは猫でもするのだと感じ入つた。ただモモタは大きくて胸もとに入りきれないのだが、どうにかチャックを壞すことなくおさまつた! 

 

夜、またアマゾンで、“ソルト” を見た。すでに二回か三回見てゐるはづだが、何回見ても面白いものは面白い。 

 


 

二月十三日(木)舊正月廿日(丙戌) 晴、暖かい

 

昨夜、澤田ふじ子著 『王事の惡徒 禁裏御付武士事件簿』 讀了。このシリーズはこれでお終ひのやうだ。 

つづいて、『源氏物語二十三〈初音〉』 を途中から讀みはじめたが、しばらく間があいたので十數頁復習した。 

 

午後、ユニコムの五十嵐さんが來てくださり、不調だつたメールの送受信を直してくださつた。これで、「毛倉野日記」も送れる、と思つたら、あとで確認したら、デスクトップパソコンのメールアドレスがすべて消えてゐたのである。アドレスは念のために控へておいたのだが、改めて書き入れていくしかない。 

それで、夜、アドレスを復元できた方々へ 「毛倉野日記(十九)」 をお送りする。 

 

 

二月十四日(金)舊正月廿一日(丁亥) 晴のち曇天、少々小雨

 

『源氏物語二十三〈初音〉』 とともに、五木寛之著 『日本幻論 ―漂泊者のこころ: 蓮如・熊楠・隠岐共和国』 を讀みはじめた。本書は著作といふより、著者が講演したものやインタビューにこたへたものであり、八つあるうち、最初の講演は、「隠岐共和国の幻」といふ題で、讀んでみたら、昨年十月に讀んだ、飯嶋和一さんの 『狗賓童子の島』 を彷彿とさせる内容で、若干異なつた角度からの復習となつた。例の廢佛毀釋の嵐は、五木さんによると、民衆の寺に對する憎しみだけでなく、最初に赴任した隠岐縣知事が實は宮司であり、島民たちの不滿とそのエネルギーを明治政府から出された廢佛毀釋令にのせて、發散させたのではないかといふのである。『狗賓童子の島』 では、廢佛毀釋については觸れてゐなかつたけれども、歴史といふのは、見る角度によつて違ふものだといふことを敎へられた。 

 

今晩は、アマゾンで、“ハンナ” を見た。これは、リメイクと言つたらいいのか、先日見た “ハンナ” と大筋で同じだが、尾ひれをつけてシリーズものに焼き直した映畫で、全八作。今夜はその半分をつづけて見た。 

 

 

二月十五日(土)舊正月廿二日(戊子) くもり

 

『源氏物語二十三〈初音〉』 讀了。靑表紙本で四五頁といふ短編で、内容は光源氏の六條院を舞臺に、住まはせた愛人を順繰りに年賀廻りするといふ、「華麗絵巻」であつた。 

 

古本散歩。今日は、うなぎが食べたくて、神保町のかねいちさんへ行つた。そのついでに、古本屋めぐりをしたけれど、とくに古本市があつたわけではなかつた。それでも、と言ふか、それだからと言ふか、じつくりと歩いたら何册かめぼしいものがあつた。 

三好京三著 『遠野夢詩人 佐々木喜善と柳田国男』 (PHP文庫) 三〇〇圓 

山折哲雄著 『愛欲の精神史3 王朝のエロス』 (角川ソフィア文庫) 三六〇圓 

鈴木重生著 『遊びをせんとや生まれけむ』 (菁柿堂) 二〇〇圓 

それと、澤田ふじ子さんのシリーズもの 「公事宿事件書留帳」 が三冊手に入つた。今日の歩數は、五三六〇歩。 

 

今晩も、アマゾンで、“ハンナ” のつづき、後半の四作を見た。 

 

*神保町の路地裏にある、和本專門の製本所 

 


 

 

二月一日~十五日 「讀書の旅」 ・・・』は和本及び變體假名・漢文)

 

二月五日 澤田ふじ子著 『神無月の女 禁裏御付武士事件簿』 (徳間文庫) 

二月九日 澤田ふじ子著 『朝霧の賊 禁裏御付武士事件簿』 (徳間文庫) 

二月十日 佐々木信綱著 『原本複製 梁塵秘抄』 (好學社) 

二月十日 大江匡房著 「遊女記」 (『群書類從 第九輯 文筆部』 所収) 

二月十日 大江匡房著 「傀儡子記」 (『群書類從 第九輯 文筆部』 所収) 

二月十二日 澤田ふじ子著 『王事の惡徒 禁裏御付武士事件簿』 (徳間文庫) 

二月十五日 紫式部著 『源氏物語二十三〈初音〉』 (靑表紙本 新典社)