二〇二〇年五月(皐月)一日(金)舊四月九日(甲辰・上弦 八十八夜) 晴

 

新しい月を迎へても、代り映えのしない日々がつづきさうである。いや、より生活が窮屈になつていきさうであるが、まあ、このやうなときこそ讀書に沈潜するのがふさはしいのだらう。今日も田中小実昌さんの 『ないものの存在』(福武書店) を讀み進んだ。

 

はじめの 「ないものの存在」 の章は、小実さんの小さなバスの旅だつたもので、これは息抜きになると思ひきや、途中からいきなり三木淸の 『哲学入門』 と 『パスカルにおける人間の研究』 との對話がはじまつた。とはいへ、兩册とも岩波新書と文庫で出てゐるので手ごろではあるが、けつこう手ごはい。 

ぼくは、『パスカルにおける人間の研究』 を全集本で、さうとう昔、一九六七年五月だから明學二年生の時に讀んで、とても感銘を受けた。洗禮を受けたばかりのころだつたから、よりこころに響いたのだらうが、再度讀み返してもよいと思ひ、のちに文庫本でも購入した。ところが、文字が當用漢字と現代假名遣ひにあらためられてしまつたので、がつかりしたまま積讀状態になつてしまつた。

 

つづく 「クラインの壺」 の章はちんぷんかんぷん。「言うということ」 は、小実さんの娘さんあいての思ひ出ばなし(註)。そして、「出がけのより道が」 の章の出だしがやつと西田幾多郎で、おもしろくなるかなあと思ひはじめたら、そこに「より道」だといふ波多野精一が現れたのにおはおどろくやら、うれしいやらで、氣持ちがひきしまつた。波多野精一には次の著作がある。 

1901年(明治34年) - 『西洋哲學史要』 

1908年(明治41年) - 『基督敎の起源』 

1935年(昭和10年) - 『宗敎哲學』 

1940年(昭和15年) - 『宗敎哲學序論』 

1943年(昭和18年) - 『時と永遠』 

これでほぼすべての著作だから、いかにも寡作といふのだらうか、もちろんすべて手もとにあるけれど、このうちぼくは二册半讀んでゐる。 

『西洋哲學史要』(角川文庫) を半ばで挫折、『基督敎の起源』(同) は熟讀、それに 『宗敎哲學序論』 は關學の神學部で、テキストとして讀み、松村克己先生にきびしく指導されたことを忘れてはゐない。

 

西田幾多郎を丁寧に讀んだことはないけれど、西田幾多郎にくらべたら、波多野精一はだんぜん讀みやすく信仰の糧になる。ぼくの人生の目標の一つが、『時と永遠』 をじつくり讀むこと、いや、讀めるやうになることだ。最近文庫本になつたといふけれど、きつと、文字は當用漢字と現代假名遣ひにあらためられてしまつてゐるのであらう。 

その波多野精一との對話だから、とても參考になつた。それにしても、小実さんの視野のひろさといふか、射程が深くてするどいといふか、イレブンPMに出てゐたころの小実さんを知つてゐるものには、まるでわけがわからないといつたところだらう。

 

註・・・小実さんの娘さんは、田中ちえといひ、『ちくわのいいわけ』 とか 『やさしく、ねむって』 などの本を出してゐるが、「2013712日、子宮がんで死去」されたといふ。 

 

 

五月二日(土)舊四月十日(乙巳) 晴、暑いほど

 

終日讀書。その合間に、書齋の網戸を補強する。だいぶ暖かくなり、風を通したいと思ふのだが、猫たちが、とくに子猫のグレイが網戸にしがみついたりのぼつたりですぐに破けてしまひさうだからである。事實、ココが子猫のときには二、三度脱走した經緯がある。北側の臺所と南側の書齋の窓に、だいぶ汗を流して金網を取りつけることができた。 

 

田中小実昌著 『ないものの存在』(福武書店) 讀了。最後の 「たんきゅうする」 の章は、『西田幾多郎哲学論文集Ⅱ』 について、その内容には触れずに、どんな讀み方をしたかが細かく書かれてゐて興味深かつたのと、ぼくが手に取つたことはもちろん讀んだこともない柄谷行人著 『探求Ⅱ』 を俎上に載せての對話であつた。 

わからんことの多いなかで、ただ「他者」と「異者」との違ひについての次のことばはよく理解できた。 

「たとえば、イエスは、異者、すなわち当時の共同体において蔑まれ排除されていた取税人や売春婦たちとつきあい、そのことでパリサイ派から非難される。しかし、そのことを、イエスが異者を憐れんだとか、イエス自信が異者であったとかいうふうに理解してはならない。たんに彼にとって、「異者」なるものが存在しなかったのだ。彼はたんに「他者」を見いだしたのである」 

つづいて、先月入手したばかりの、小実さんの単行本未収録作品集 『くりかえすけど』 を讀みはじめる。 

 

「毛倉野日記(四十六)」(一九九八年正月)、ラムと出會つた月から寫しつづける。懐かしさがよみがへつてきた。若い時は犬、老いてきたら猫、と相場が決まってゐるのだらうか、現在もとても幸せな氣分だ。

 

 

 

五月三日(日)舊四月十一日(丙午・憲法記念日) 晴のち曇天

 

「日本國憲法前文」 を讀む。 

 

小実さんの 『くりかえすけど』 を讀みつづけるのがつらい。まあよく言へば哲學小説とも言へるのだらうが、目の隅のはうでなにかちらちらするものが見えるといふはなしや、中國大陸で歩哨にたつてゐたときに、列車でやつてきた旅團長閣下にションベンをひつかけてしまつたはなし、戰後米軍の施設の炊事場で働いてゐるとき、スティンカー(臭いやろう)と臭がられたはなし等々、讀むに堪へないと思ふときもあるが、ときたま、 

「宗教といえば、荘重だとか、おもおもしいものをおもうが、あれは寺院や儀式の世俗的なインチキで、ほんとうは、神により、仏によって、つまらない人間のカラが破られ、かるくさせられるのではないのか」 

なんてあるからやめられない。 

 

 

五月四日(月)舊四月十二日(丁未) 晴

 

小実さんの 『くりかえすけど』 を讀んでゐて、小実さんがどのやうにミステリーの翻譯をしたのかがわかつた。なにせ、ウィキペディアでざつと數へただけでも八十六册も譯してゐるのだ。しかも一九五九年後半から一九六〇年代の約十年間にである。 

そのきつかけは、進駐軍の研究所で働いてゐたときに、小実さんが書いた同人雑誌の短編を、同僚の女性が上司の中佐に「翻訳して読んでやった」ことがあつた。そして、それを知つた米軍の同僚が翻譯の仕事をすすめたやうなのだ。

 

「ぼくのために翻訳する原書をえらんでくれたのは、しっかりした推理作家のM・Tさんで、M・Tさんはミステリをだす出版社の編集長だった。ぼくは自分ではなにひとつ原書はさがさず、M・Tさんがえらんでくれるミステリの原書を、ただ受けとって翻譯していた。考えてみれば、かなりふしぎなことだった」 

まあ、かうでもなければ、あれだけの數の本を翻譯できるはづはないなと思つた。 

先日注文した、小実さんの 『ほのぼの路線バスの旅』(中公文庫) が屆く。 

 

先日來寫しつづけてゐた、「毛倉野日記(四十六)」(一九九八年正月) がどうにか仕上がつた。ラムと出會つたときの記録だから、ついつい冩すにも力が入つた。「毛倉野日記(十九)」(一九九五年十月)以降は未完だけれど、仕方ないだらう。ぼちぼち埋めていけばいいか・・・。  

 

 

五月五日(火)舊四月十三日(戊申・立夏) 晴のち曇天、暑くなる

 

終日讀書。といつてもなかなか進まず、猫とゐるとなんだか暑くなつてうとうとばかり。體調もあまりよくないのかも知れない。 

それなのに、妻が突然、年をとつたら清潔がいちばんなのよ、と言つてすすめたので、晝間だつたがシャワーを浴び、さらに奮發して髪も洗つてさつぱりし、下着も夏用に替へた。年をとるのもたいへんだ。

 


 

 

五月一日~五日 「讀書の旅」 ・・・』は和本及び變體假名・漢文)

 

二日 田中小実昌著 『ないものの存在』 (福武書店) 

 

 

五月に買ひ求めた本

 

四日 田中小実昌著 『ほのぼの路線バスの旅』  (中公文庫)