五月十一日(月)舊三月十九日(甲寅) 晴、暑い

 

今朝は月例の齒科通院。じつはちよいと心配で、先に行つた妻に樣子をただしたら、先生が心配しないで來なさいと言つてゐるといふので、ひと月ぶりに外出して通院した。すると、まあ、先生も齒科衛生士の女性もみな重装備で、コロナをうつしてもうつされてもならぬといつた雰圍氣なのにはおどろいた。が、それにくはえて、先生の息子さんがぼくの缺けた齒を修復してくださつた。 

と言ふことは、現在の先生の祖父である醫師に(僕が小學生のときに)診てもらひ、そして先生とその息子さんだから、一代とびこえて三代の先生にぼくはかかつたわけだ。ありがたいし珍しいことかも知れない。 

つづいて齒科衛生士にいつものやうにクリーニングしていただいて歸路につく。 

 

つづいて、書類のかたづけをおこなふ。 

かたづけるといふことは、要するに思ひ出の品々を處分することであり、まあ、いはば自分の過去を淸算することでもあるのだ。例へば、文房具も手紙類も寫眞類も、そして書類にしたつて、みな思ひ出がいつぱいなのだ。それらを處分となると身を切られる思ひがするのは當然で、「断:入ってくるいらない物を断つ」 や 「捨:家にずっとあるいらない物を捨てる」 まではわかるにしても、「離:物への執着から離れる」 とは、とくに思ひ出深いものへの執着をすてろといはれても、凡人のぼくにはむずかしい。 

とくにぼくはものを集めるのが好きだから、捨てるとなると人一倍苦しいのだらう。でも、中仙道はじめ、あちらこちら歩きまはつていただいてきた資料やパンフレット類を思ひ切つて捨てた。身を切つて! 

 

また、先日につづいて、今日は書齋の東向きのまどの網戸を補強する。これで三方から風が入り、抜けていく。猫たちも涼しいだらう。 

 

 

五月十二日(火)舊三月廿日(乙卯) 晴

 

けふもひるまシャワーを浴びた。けふで何日になるのだらう。かたづけがどうにか順調なのはいいけれど、暑くて汗をかくし、腰もいたい。 

書類と書いても、かみるいと呼びたいものの廃棄はダンボール箱で三箱か四箱になつたであらうか、殘念だけど、旅や散歩で得たパンフレット等のかみ類はほとんどすべて捨てた。 

 

ふと氣がついたら、明日はぼくと美知子さんの結婚記念日ではないか。あれから幾星霜を經たのやら、一九七三年だから、ぢき五十年になる。それまでは元氣でゐなくては申しわけないな。すくなくとも母を殘して先には逝けない。 

 

昨夜、田中小実昌著 『ほのぼの路線バスの旅』 讀了。おもしろかつたが、地圖とにらめつこしてゐると時間がかかる。まあ、年月はかかつたとはいへ、よくも東京から鹿児島まで路線バスを乘り繼いで旅ができたものだ。感心してしまふ。小実さんの路線バスの旅は要するに、 

「知らない町にいき、夕方、どこでまず飲むか、とさがしまわるのは、ノンベエのひそやかなたのしみだ」 と言ひ、このやうに、「飲みながら、なにかちょいとたべるのが、ぼくの晩ゴハンなので、洋風のバーではなく、すこしたべるものもありそうないや、たとえ量はすくなくても、たべるものが断然おいしそうな和風の店をさがす」 

といふ一言、二言に極まる! 

 

つづいて、田中小実昌著 『バスにのって』 を讀みはじめる。これぞバスの旅と思つて讀みはじめたら、また哲學の紹介といふか、哲學小説のやうなのだ。はたして・・・。 

内容紹介・・・老人。でもバスがあるし、パスだってある(使ってないけどさ)。歳をとることはいろんなしがらみやわずらいを忘れて自由になること(身体は不自由になるけどさ)。バス、本、映画、飲酒、居候、旅…いよいよ極まるコミさんの脱力弛緩ライフのすすめ。 

 

 『宇治拾遺物語 卷第六』 を讀んでゐたら、意味深長なことが書いてあつたので、その八、「帽子の叟(そう=翁)孔子と問答の事」 の全文をうつしておく。 

 

今は昔、唐(もろこし)に孔子、林の中の岡だちたるやうなる所にて逍遙し給ふ。我は琴を彈き、弟子どもは書(ふみ)を讀む。ここに、舟に乘りたる叟の帽子したるが、舟を葦につなぎて陸(くが)にのぼり、杖をつきて、琴の調べの終るを聞く。人々あやしき者かなと思へり。この翁(おきな)、孔子の弟子どもを招くに、一人の弟子招かれて寄りぬ。翁曰(いは)く、「この琴彈き給ふは誰(たれ)そ。もし國の王か」 と問ふ。「さもあらず」 といふ。「さは國の大臣か」、「それにもあらず」。「さは國の司か」、「それにもあらず」。「さは何ぞ」 と問ふに、「ただ國の賢き人として政(まつりごと)をし、惡しき事を直し給ふ賢人なり」 と答ふ。翁あざ笑ひて、「いみじき痴者(しれもの)かな」 といひて去りぬ。 

御弟子不思議に思ひて、聞きしままに語る。孔子聞きて、「賢き人にこそあなれ。とく呼び奉れ」。御弟子走りて、今舟漕ぎ出づるを呼び返す。呼ばれて出で來たり。孔子のたまはく、「何わざし給ふ人ぞ」。翁の曰く、「させる者にも侍らず。ただ舟に乘りて、心をゆかさんがために、まかり歩くなり。君はまた何人ぞ」。「世の政を直さんために、まかり歩く人なり」。翁の曰く、「きはまりてはかなき人にこそ。世に影を厭(いと)ふ者あり。晴れに出でて離れんと走る時、影離るる事なし。陰にゐて心のどかに居(を)らば、影離れぬべきに、さはせずして、晴に出でて離れんとする時には、力こそ盡くれ、影離るる事なし。また犬の屍の水に流れて下る。これを取らんと走る者は、水に溺れて死ぬ。かくのごとくの無益の事をせらるるなり。ただ然るべき居所占めて一生を送られん、これ今生の望みなり。この事をせずして、心を世に染めて騒がるる事は、きはめてはかなき事なり」 といひて、返答も聞かで歸り行く。舟に乘りて漕ぎ出でぬ。孔子その後ろを見て、二度拜みて、棹の音せぬまで拜み入りてゐ給へり。音せずなりてなん、車に乘りて歸り給ひにける由、人の語りしなり。 

 

以上で全文だが、このままほとんど間違ひなく理解できる。『源氏物語』 など難文の平安文學との決定的違ひは何なのだらう。それは語句の意味や使ひ方が、すでに中世を經て、こんにちとそれほど變らないからだらう。かうなつたらやめられません。變體假名でも(ほぼ)すらすらであります。 

とは言へ、『源氏物語二十六〈常夏〉』(靑表紙本) を讀みはじめたら、わりとスムーズなのである。もんだいは心理描寫なんだとはわかつてゐても、すらすらはうれしい。

 

 

五月十三日(水)舊三月廿一日(丙辰) 晴のちくもり

 

四十七年目の結婚記念日。母はデイサービスだつたので、ふたりしてお晝にステーキを焼いてたべた。美味しかつた。

 

夜、濱口君の奥さんから電話で、信一君が昨日の夜亡くなつたと知らせてきた。昨年の暮れあたりに病状を聞いた覺えがあるが、會ひにいくのもはばかられ、姿を見られたくなかつたらうし、そのままになつてゐたが、たうとう亡くなられたのだつた。死は二人稱だと養老先生がおつしやつてゐたけれど、たしかに死は親しいものの死以外にはないのだ。 

信ちやんちは路地をへだてたお向かひさんで、家族ともどもといふか、同じ町内會で一緒に育つてきた遊び友だちだつた。メンコやビー玉を競ひあつた。中學では同級生となり、社會人となつても同窓會では顔をあはせてゐたのに・・・。 

 

*下は父の葬儀の時、左が信ちやん。右は、子ども時代!

 


 

小実さんの 『バスにのって』 讀み進む。讀んでゐたら、小実さんの文章にはなぜ漢字が少ないかがわかつた。それは、小実さんがミステリィの翻譯をしてゐたときに、「翻訳のお師匠さん」に、「きみは漢字がおおいねえ。名詞以外は、ぜんぶ仮名にするぐらいの気持ちでいたまえ」と言はれたといふのである。 

考へたら、平安文學なんてほとんどが假名だ。だから意味が瞬時にはつかめずに苦勞する。それを眞似しようとは思はないが、ぼくももうすこし漢字を少なくしてもいいかも知れないと思つた。ただ、少なくしても、正字だと複雑でいかにも込み入つてみえるところがつらい。それと、小実さんはこんなことも書いてゐる。 

「習慣くらいおそろしいものはない。世の中のことは、たいてい習慣できまってしまう。戦争も習慣だ。世の中の習慣にさからう気持ちがなくては、習慣で戦争にながされる」 

 

昨夜、『宇治拾遺物語 卷第六』(第一話~第九話) 讀了。つづいて、交互といふことで、『源氏物語二十六〈常夏〉』(靑表紙本) を讀みはじめた。 

 

*猫たちのごはんの入れ物を、金物からぼくが毛倉野で作つた孟宗竹のお皿にかへてみた。 

 


 

五四月十四日(木)舊三月廿二日(丁巳) 晴

 

小実さんの 『バスにのって』、昨夜讀了。なんてことはない、これはバスの旅はほんの添へやくみたいで、東京、シアトル、ロサンゼルス、アムステルダム、ブレーメン、シドニー在住の友人知人たちとの交遊録であつた。まあ、世界中を飛び回つて、飲んで、食べて、インシュリン注射を毎日打つて、いやはやいそがしい小実さんの晩年のひとときでした。 

この本の奥書の頁に、なんと高原書店のレシートがはさんであつた。二〇〇一年五月七日に、古本として買つたやうだ。どこのだれがどこで讀んだのだらう。その高原書店も今では消えてしまひ、なつかしい感じがする。 

 

それでけふは、『源氏物語〈常夏〉』 をよみつづけた。久しぶりだつたが、なんとなくよみやすくなつた感じがする。それで、書齋のソファーにもたれながら、けつこう讀み進んで、靑表紙本の約半分まできた。「和琴論」と呼ばれる有名なところもぶじに通過かと思つたところで、こんなことが書かれてあつた。源氏が、玉鬘と和琴について語る場面である。

 

「いてひきたまへさえは人になむはちぬ」(さあ彈いて御覽なさい。藝事は人に恥ぢてゐては進歩しないものですよ。與謝野晶子譯)

 

いい言葉ではないか。 

それにしても、こんにち原文と稱して出版されてゐる 『源氏物語』 は、みな校註者の翻譯である。例へば、註釋書としてぼくが使用してゐる小學館の日本古典文學全集 と 新潮社の新潮日本古典集成 では、「いてひきたまへさえは人になむはちぬ」 を、兩者とも、「いで弾きたまへ。才は人になむ恥ぢぬ。」 としてゐる。 

假名が漢字にかへられ、句讀點も加へられ、濁點まで加筆されてゐるのがこんにちの「原文」であり、それでも、まことの意をくむのはむずかしいのが古典文學なのであらう。 

 

「倉野日記(四十九)」(一九九八年四月) うつして終る。つづいて 「倉野日記(五十)」 にはいるが、(四十八)と(四十九)をまとめて友人たちに送付した。 

 

 

五月十五日(金)舊三月廿三日(戊午) 晴のち曇り

 

けふも、『源氏物語〈常夏〉』 をよみつづけた。 

 

ひるには妻と龜有のアリオに買物にでかけ、ついでに近くのそば屋で天ざるをいただいた。アリオはまだほとんどのお店が閉じられたゐて、マーケットにも人はまばらであつた。

 

 

 

五月一日~十五日 「讀書の旅」 ・・・』は和本及び變體假名・漢文)

 

二日 田中小実昌著 『ないものの存在』 (福武書店) 

六日 田中小実昌著 『くりかえすけど』 (銀河叢書 幻戯書房) 

十一日 田中小実昌著 『ほのぼの路線バスの旅』 (中公文庫) 

十二日 『宇治拾遺物語 卷第六』 (第一話~第九話) 

十三日 田中小実昌著 『バスにのって』 (青土社) 

 

 

五月に買ひ求めた本    

 

四日 田中小実昌著 『ほのぼの路線バスの旅』 (中公文庫) 

七日 田中小実昌著 『バスにのって』 (青土社) 

七日 田中小実昌著 『田中小実昌紀行集』 (JTB)