月六日(土)舊閏四月十五日(庚辰・望) 曇天、夜雷雨

 

昨日は、神保町探索といふよりも偵察であつた。まあ、買ひ込むことが目的ではないから、どこにどんな本があるかを見定めておくだけで十分滿足。まあ、ぼくにとつては、神保町ぜんたいが圖書館のやうなものだからである。

 

また、外出のときにはいつも手輕な文庫本を携帶してゐるけれど、昨日は、岩波文庫舊版のセネカの 『幸福なる生活・他一篇(人生の短さについて)』 を持つて歩いた。百頁たらずの短編であるとともに、翻譯であるにもかかはらず、正字・歴史的假名遣ひだから申し分なし。だが、中味は濃くて、しばしば熟考をしひられた。

 

「幸福なる生活を實現せしめるものは、一體なんであるか」、といふ問ひにはじまり、その冒頭に、「幸福への旅は最もよく踏みならされた途ほど、また最も人通りの多い途ほど、實は最も人を迷はしめるものだ」との前置きをしるして、けつこう迷はせるやうな途をたどりはじめる。イエスさんのいふ、「狹き門」だな! 

「何よりも最も大切なことは、我々は牧畜の群のやうに、前を進む群のあとを追ふべきではない。自分の判断を下さうと思はず、むしろ人のいふことを信じたがる間は、我々は翻弄され、うち倒されてしまふからである」 

かうも述べてゐる。 

「民衆とはおのれ自身の害惡をかばひ、理性に反する態度をとるものである」 

「爲すべき最善のことを求めようではないか。眞理を逸脱した者は誰一人として幸福なる者とはいひ得ないのだから」 

「あるがままの現在に甘んじ、自分の境遇に親しんでゐる者こそ幸福である。自分の境遇のあらゆる生活環境を理性によつて改良してゐる者こそ幸福者なのだ」 

まあ、あたりまへのことではあるが、昨日のところまでで最高のことばは、 

「人間のゐるところは何處でも、親切を盡すべき場所である」 

このやうなまつたうな言葉にふれることで、ぼくもどうにか精神の均衡をたもたれてゐることを思ふ。ありがたいことである。 

 

平家物語 百二十句本』 が、「きわう」 の章が終つて區切りがいいので一休みし、『史料綜覽 卷一』 をさらに進むことにした。それと、ここで、『源氏物語三十〈藤袴〉』 を讀んでしまひたい。三十三帖で第一部が終るので、あと四帖、どうしてもがんばりたい。 

それにしても、平家だ源氏だといつて、まるで源平の合戰みたいだけれど、讀書だとおもへば時空を超えて樂しむことができる。

 

さて、『史料綜覽』 は、けふは、長保二年(一〇〇〇年)から讀みはじめた。その前年に一條天皇に入内してゐた彰子さんが、二月十日に立后の宣旨をうけ、廿五日には中宮となる。ところが、その同じ日に中宮定子さんを皇后としてゐるのは、彰子さんをどうしても一條天皇の中宮にしたかつた道長のごり押しとしかいひやうがない。そのいひわけだからだらうか、皇后定子さんのはうは、四月十七日に、皇子敦康が親王となつてゐる。 

ところが、その定子さんは、同じ年の十二月十五日に皇女()を産んだ、その日に「崩御」。「是冬、疫死甚盛ナリ」とあつても、やはり運命の殘酷さを感じてしまふ。このあたり、淸少納言の 『枕草子』 でたしかめてみたい。

 

また、長保三年(一〇〇一年)四月二十五日には、紫式部の夫、藤原宣孝が「卒」してゐる。物語作家は、このへんの歴史をおさへてさまざまな構想をねるにちがひない。 

そのほか、藤原行成がこの年頃能筆として活躍してゐる。あちこちで重寶がられたやうで、長保元年(九九九年)七月に、「右大將藤原行成ヲシテ、年中行事御障子ニ書セシム」とはじまり、長保二年(一〇〇〇年)三月十九日には、「右大辨藤原行成ヲシテ法華經外題ヲ書セシム」。同年七月十六日は、「右大辨藤原行成、殿舎門等ノ額ヲ書ス」。 

もう一件、長保三年(一〇〇一年)五月十五日、宣孝が「卒」した次ぎの月になるが、「右大辨藤原行成ヲシテ清涼殿ノ御障子ニ書セシム」、と記録されてゐるやうに、書家として超一流だつたとおもはれる。その行成に同年八月一日、男子が誕生。「藤原行成ノ室、觀音ノ驗應ニ依リテ、男子ヲ平産ス」。このとき行成二十九歳! それにしても「觀音ノ驗應」とは何だらう。觀音さまの靈驗といふことだらうか。 

もつともこれらの記録のもとになつた史料は、行成自身が書き記した日記 『權記』 だから、詳しいといつてももつともなはなしなのである。 

 

 

六月七日(日)舊閏四月十六日(辛巳) 晴、風さわやか

 

『史料綜覽 卷一』 を讀みすすむ。參考書には、小松茂美編集 『日本の絵巻 () 年中行事絵巻』(中央公論社)(註) がいい。見て樂しみながら勉強になる。 

 

註・・・『年中行事絵巻』 12世紀後半(平安末期)、後白河法皇の命により宮廷や公家の年中行事、四季の遊楽などを記録するため制作された60余巻にも及ぶ絵巻。原本は蓮華王院(三十三間堂)宝蔵に収蔵され、宮中典儀の軌範となったが、しだいに散失し、ついには江戸初期の内裏の大火で焼失してしまった。わずかに残った原本を1661(寛文1)前後に住吉如慶・具慶父子が模写した朝覲行幸、斎会、賭弓、内宴などを内容とする16巻をはじめ、諸家に伝わる模本類によって、わずかに当初の3分の1ほどの図様をしのぶにすぎない。 

 

 

 

六月八日(月)舊閏四月十七日(壬午) 晴

 

『史料綜覽 卷一 平安時代之一』 讀了。〈六國史〉につづく、宇多天皇の仁和三年(八八七年)から後一条天皇の萬壽元年(一〇二四年)までの一三七年間の歴史年表であつた。なんと、八一三頁。藤原道長晩年の時代で終つたが、ひきつづいて 『史料綜覽 卷二 平安時代之二』 に入る。これは七七一頁。それでも保安四年(一一二三年)までだから、保元・平治の時代までとどかない。幸ひ飛び飛びに讀んではゐるが、あらためて讀み通すしかないだらう。

 

卷一の後半で氣になつたのは、道長に追ひはらはれたひとびとの行く末だつた。まづは、道長の兄・道隆の子たちである、定子さんとその子女たち、とくに敦康親王がときどき記録に姿を見せてゐるのだが、そのたびにせつなかつた。なかでも、長和三年(一〇一四年)十一月九日、「敦康親王、脩子内親王ヲ訪ヒ給フ」なんてところは、「小右記」からの記事だが、姉と弟がなんのために會ひ、なにを話したのか、氣になつて仕方ない。 

それと、藤原氏によつて道を閉ざされた源高明とその子孫である。娘の明子は道長の妻となつたが、その息子・能信などは、道長から勘當されたこともあり、この先どのやうな道を歩んでいくのか氣になる人物のひとりである。 

さらに、道長に反感を抱いてゐる三條天皇とその子たちの運命である。三條天皇自身は、「御眼ヲ疾ミ給フ」て、たうとう天皇の座を再び道長の娘・彰子の息子である後一條天皇に讓らなくてはならなかつた。が、その子女たちについても目が離せなかつた。父の讓位ののち、皇太子だつた敦明親王は、小一條院といふ牙を抜かれた貴族に押しこめられ、さぞ息苦しい人生が待ち受けてゐるだらうと思ふと、その行く先を確かめてみたい。 

さうだ、出家する人物が多々記録されてゐるけれども、その幾人かはすでに最期を悟つての出家で、數日後には死を迎へてゐる。ちなみに、かの源信は寛仁元年(一〇一七年)六月十日に「寂」してゐる。三條法皇「崩御」のちやうど一月後である。 

 

また、五味文彦著 『平家物語、史と説話』(平凡社選書) の第三章「記録と史書のはざま」を讀む。『平家物語』 のもととなつた史料・古記録(日記)は誰が書いたものなのか。「『百錬抄』との相関関係」 とか、「補論『百錬抄』と『古今著聞集』」も面白かつた。 

ただ、ものたりなかつたのは、二年前に讀んだ、池田利夫著 『河内本源氏物語成立年譜攷─源光行一統年譜を中心に─』(日本古典文学会・貴重本刊行会) と、庭山積著 『原平家物語の成立並びに源光行の生涯と作品に関する研究』(私家版) への言及がまつたくなかつたことである。 

とくに、前者を讀んでゐて、『平家物語』 の成立に關して「源光行一統」の關與は間違ひないと思つたものだから、不思議に感じた。これは文學からのアプローチと歴史からのアプローチのちがひといつてすませられるのだらうか。

 

それと、『史料綜覽 卷二 平安時代之二』 に入り、ついに道長が「薨」じたことが記されたところで、ふと思ひ出したので、本棚を探したら、山中裕著 『平安人物史』(東京大學出版會) と酒井みさを著 『上東門院の系譜とその周辺』(白帝社) が見つかつた。そして、目次をながめておどろいたのは、前者では、今ぼくが疑問、といふか、もう少し探りたいと思つてゐた、「敦康親王」と「敦明親王」についてそれぞれ一章を割いてゐることと、後者では、「道長の終焉」、「後一条院・後朱雀・後冷泉・後三条天皇時代」、「上東門院の弟妹」、それに 「彰子中宮方サロン」、「定子皇后方サロン」、さいごに、「彰子関係年譜」までも記されてゐて、まるでご馳走を目の前にならべられたみたいだつた。

 

『上東門院の系譜とその周辺』 は、二〇一二年三月に入手した本だが、それまでにも古書店で見るたびにあまりの高價でふみとどまつてゐたのだつた。それが所澤のくすのきホールで開催してゐた古本祭りで、二〇〇〇圓で出てゐたので、このときを逃したらもはや手に入ることはないだらうとの豫感に支へられて購入したのだつた。値札を見たら、三九〇〇圓の上に、訂正するやうに二〇〇〇圓の札が貼られてゐたことも、これ以上の誘惑はないと思ひきつたのもたしかだつた。さあ、讀まなければならない。 

 

 

六月九日(火)舊閏四月十八日(癸未) 晴のち曇り

 

今日は久しぶりの古本市に行つてきた。コロナ騒ぎ以降關東圏内初なのではなからうか。その一番乘りをはたしたかつたわけではないが、まあ、百貨店の片隅だし、他のお店と同列に考へての開催なのであらう。場所は、南柏驛南側、バスターミナルをへだてたビルの二階だから。千代田線の改札口からはフラットで、歩道橋を歩けばそのまま直行できる。何度も訪ねたことがある場所なので、こころ浮き立つほどではないけれども、やはり期待に胸がふくらんだ。 

で、新發見の文庫本が四册。發見順・・・。

 

阿井景子著 『花千日の紅なく 南方熊楠と妻』 (集英社文庫) 

逢坂剛著 『平藏の首』 (文春文庫)  

B・フラー著 『宇宙船地球号操縦マニュアル』 (ちくま学芸文庫) 

寺田寅彦著 『天災と国防』 (講談社学芸文庫)

 

逢坂剛さんの 『平藏の首』 は、插繪がお父上の中一弥さんなのがいい! この本を出してゐるのをはじめて知つた。シリーズ化されてゐるやうだ。

 

晝食は、柏驛の麻布茶房で五目あんかけ焼きそばをいただき、次いで、太平書林を訪ねたけれど収穫はなし。喫茶店でセネカの 『人生の短さについて』 をよみながら休憩したあとは、柏驛から東武アーバンパークラインに乘つて船橋驛經由、総武線錦糸町驛で半藏門線に乘り換へて押上に出た。そしてめざすは六階の天龍。四時三五分に入つたら、なんと一組三人のお客のみ。こんなに空いてゐる天龍ははじめてである。それが幸ひして、餃子が熱々で美味しくいただくことができた。要するに外國からのお客がゐなくなつたので靜かになり、これが本來の正常な姿なのだと思つた。 

今日の歩數、六五六〇歩。 

 

山中裕著 『平安人物史』 の「敦康親王」の章を讀んでゐたら、この親王についてはあまり史料がないといふことで、史料としては限界があるけれども、『榮華物語』 を用ゐるしかないと言つてゐる。手もとに、岩波文庫の上中下三册と、與謝野晶子譯の 『栄華物語 古典日本文学全集』(筑摩書房) があつたので開いてみた。けれど、讀みかけた跡があつたにしてはおぼえてはゐない。あまりここでのめり込まないやうにしたい。 

また、現代語譯の藤原道長の日記、『御堂関白記 上中下』(講談社學術文庫) と、藤原行成の日記、『権記 上中下』(同) があるのも思ひだして出してきた。このはうは引用個所だけでも當たることができさうだ。 

 

*本日求めた文庫本 

 

  

 

*古本市と麻布茶房の店内 

 


 

 

六月十日(水)舊閏四月十九日(甲申・入梅) 晴

 

山中裕著 『平安人物史』 のうち、「第五章 敦康親王」と「第六章 敦明親王」を讀む。これらによれば、定子皇后の皇子・敦康親王と三條天皇の皇子・敦明親王は同樣の手口で道長の前から排除されていつたことがよくわかつた。ただ、脩子内親王と敦康親王姉弟は、道長にとつては姪と甥にあたる定子さんの子どもたちである。定子さんが亡くなつた直後は、その脩子内親王と敦康親王姉弟にたいして、道長は娘の彰子さんとともにとても親身になつてお世話してゐるのである。ちよいと意外! 

そのなかでも、おや! と思つたのは、このとき十歳をむかへた脩子内親王の成人の儀式である「裳着」を、道長自身が手がけ、「裳着の儀の腰を結」んでゐるのである。これは、先日讀んだ、『源氏物語〈行幸〉』 の中の一こまを彷彿させるできごとではないか、と思つたのである。以下、内大臣(頭中將)が夕顔と自分の子である玉鬘に會つて、裳の紐を結ぶ場面。

 

「内大臣は重重しく振舞ふのが好きで、裳着の腰結(こしゆ)ひ役を引き受けたにしても、定刻より早く出掛けるやうな事をしない筈の人であるが、玉鬘のことを聞いた時から、一刻も早く逢ひたいといふ父の愛が動いてとまらぬ氣もちから、今日は早く出て來た。行屆いた上にも行屆かせての日の設けが六條院に出來てゐた。よくよくの好意がなければこれ程までに出來るものではないと内大臣は有り難くも思ひながらまた風變りなことに出逢つてゐる氣もした。夜の十時に式場へ案内されたのである。形式通りの事の外に、特にこの座敷に置ける内大臣の席に華美な設けがされてあつて、數數の肴の臺が出た。燈火を普通の裳着の式場などよりもいささか明るくしてあつて、父が廻り合つて見る子の顔のわかる程度にさせてあるのであつた。よく見たいと大臣は思ひながらも式場でのことで、單に裳の紐を結んでやる以上のことも出來ないが、萬感が胸に迫る風であつた」(與謝野晶子譯) 

 

さらに今日は、酒井みさを著 『上東門院の系譜とその周辺』 を讀みはじめた。 

 

アマゾンで注文した、路上観察学会の 『昭和の東京 路上観察者の記録』 が屆く。 

 

*昨日食べた、五目あんかけ焼きそばと天龍の餃子ライス 

 


 

 

 

六月一日~十日 「讀書の旅」 ・・・』は和本及び變體假名・漢文)

 

二日 林丈二著 『猫はどこ? 街歩き猫と出会う』 (廣済堂出版) 

八日 東京大學史料編纂所編纂 『史料綜覽卷一 平安時代之一』 (東京大學出版會) 

八日 五味文彦著 『平家物語、史と説話』(平凡社選書) のうち、「第三章 記録と史書のはざま」 

十日 山中裕著 『平安人物史』(東京大學出版會) のうち、「第五章 敦康親王」と「第六章 敦明親王」 

 

 

六月に買ひ求めた本

 

五日 路上観察学会 『中山道俳句でぶらぶら』 (太田出版) 

五日 大森北義編集 『太平記 (新潮古典文学アルバム)』 (新潮社) 

九日 阿井景子著 『花千日の紅なく 南方熊楠と妻』 (集英社文庫) 

九日 逢坂剛著 『平藏の首』 (文春文庫) 

九日 B・フラー著 『宇宙船地球号操縦マニュアル』 (ちくま学芸文庫) 

九日 寺田寅彦著 『天災と国防』 (講談社学芸文庫) 

十日 路上観察学会 『昭和の東京 路上観察者の記録』 (ビジネス社)