七月廿六日(日)舊六月六日(庚午)  雨降つたりやんだり、ときどき靑空

 

村上陽一郎著 『死ねない時代の哲学』 讀了。ふーむ。重い内容だつた。最終章の 「死を準備する」 には感動して、胸があつくなつた。「死の準備でいちばん大切なことは、いかにして上手に死を迎えるか、というより、いまをどう生きるかということなんです」といふことばは、よく聞かれるとしても、医療や介護の進歩から「なかなか死ねない社会」が到來し、そこで、ご自身、「癌を患いながらも、伸ばされた時間の贅沢を享受していることに、深い感謝の念を感じています」といいつつ、すばらしいお仕事をなされてをられる。さう言へる著者の生き方に共感と勵ましを覺える。

また現在、ニュースをにぎはしてゐる、「難病のALS(筋萎縮性側索硬化症)患者の女性を殺害したとして、嘱託殺人容疑で醫師が京都府警に逮捕された」といふ問題について(本書では觸れてゐないが)、ぼくはこれを讀みながら考へさせられた。今回の事件は、要するに、「安楽死」の要件を逸脱してゐるといふのであらう。しかし、たとへ、安樂死が法制化されたとしても、これまでにもたくさん起こつてきた同樣の事件に解決が與へられるかといへば、「お上の判断」にまかせてしまへるやうな問題ではないといふことを著者は述べてゐる。むしろ、「公的な基準を設定することが、一面では危険」であるとも言つてゐる。

にもかかはらず、ご自身は「カトリック信徒」で、「安楽死は、基本的には自殺」だから、「私は、自らの信じる宗敎的な戒めに、少なくとも消極的には背いていることになります」が、と言ひつつ、「だから、私は、自分が信じる宗敎の一般的教義に忠実なら、安楽死にも、PADにも、決して賛成しない、といふべきなのでしょう。しかし、私はその立場をとることが出来ないのです。理由は、すでに述べてきたことすべてのなかに含まれています。」

と言ふやうに、繰り返し讀むべき著書だと思ひ、圖書館の本では線を引いたり、書き込みもできなかつたので、すぐにアマゾンを通して注文した。

そもそも、村上陽一郎さんの本は、これまでにも讀みかけた書は何册かあつたけれど、むずかしくて讀み通せなかつた。それにくらべて、本書はとてもわかりやすい。

 

マキさんから、採りたてのモモが屆く。ちなみに、『徒然草 第百十七段』 に、「よき友三あり。一には物くるゝ友、二にはくすし、三には知惠ある友」 とある。

 


 

七月廿七日(月)舊六月七日(辛未・上弦)  雨降つたりやんだり

 

昨夜、『源氏物語〈藤裏葉〉』 讀了(靑表紙本で六二頁)。二〇一七年の春から讀みはじめた 『源氏物語』、この三十三帖めの〈藤裏葉〉で、第一部が終了した。三年半かかつたことになるが、影印の靑表紙本で、次第に讀む速度も速くなり、しかも少しも苦にならなくなつてきた。

まあ、内容もめでたしめでたしの結末であつた。が、大野晋先生と丸谷才一さんによれば、ここまでは「前篇」で、これからが紫式部が書きたかつたことだといふ。さて、一度中斷するか、繼續して讀みすすむか。思案のしどころである。

 

ここらあたりで、と思ひ出し、『宇治拾遺物語 卷第八』 をよみはじめたら、すらすらと三分の二ほどよみ通してしまつた。

 

 

七月廿八日(火)舊六月八日(壬申)  雨降つたりやんだり

 

ここのところ食欲がない。たうぜん體重も落ち、からだもだるい。それで橫になつて讀書が進んだ。

『宇治拾遺物語 卷第八』 讀了。

坂本賞三著 『藤原賴通の時代 摂関政治から院政へ』(平凡社選書) がおもしろくなつてきた。律令國家からつづく平安時代を、前期王朝國家と後期王朝國家に分け、その後期王朝國家への變革期に藤原賴通が位置してゐることを示し、莊園整理令がなぜ出されたかの説明にはふかく納得した。 

 

注文した、村上陽一郎著 『死ねない時代の哲学』 が屆く。

 


 

 

七月廿九日(水)舊六月九日(癸酉)  曇天

 

ますます食欲がなくなり、外出する氣力もうせ、終日橫になつて讀書。夕食のうどんすきがおいしく食べられたのが救ひだつた。新しく處方されたカリウムのクスリのせいかとも思はれるので、朝晩一錠づつのうち夕食後の分を飲まないことにした。

それで、頭腦の冴えもいまいちだつたけれど、『藤原賴通の時代』 を讀みすすんだのだが、これがおもしろい。かゆいところに手がとどく感じがして、賴通と後三條天皇の對立、そして後三條天皇の子・白河天皇が、攝關家に對抗するために院政をはじめたのは、後三條天皇にすでにその意圖があつたからではないかなど、攝關家と天皇・院との力關係があますところなく論じられて、寢るに寢られない。

 

それとまた、『源氏物語』 第二部にかからなければならないな、と思ひつつ、準備をはじめてみた。ところが、冒頭の〈若菜上〉と〈若菜下〉が、それぞれ靑表紙本で三百頁ほどもあり、註釋書の小學館の日本古典文學全集を分册に切り分けるのにも手間取り、綴じるにもホッチキスではまにあわなくて、クリップを用ゐて綴じた。といふことで、用意はできたけれど、いつになつたら讀みはじめられるか、樣子をみることにした。

ところが、ついでに讀んだ月報の論文、村井康彦著 「王朝の“変身”─平安貴族の出家願望─」 にはそそられた。

「今回配本分の 『源氏物語(四)』 に収める若菜上卷から幻卷までは、・・・『源氏物語』 のなかでも出家をめぐる話題が集中的に登場する部分である。・・・各所で語られる朱雀院や光源氏、紫の上たちの言葉を通して、王朝貴族の抱いた出家願望や出家観といったものの一端をうかがえるのもこれらの卷においてである。・・・

それにしても、現代のわれわれには文字通り生か死かという二者択一の人生しかないが、王朝びとには生と死の中間にもう一つの生活があったわけだ。その意味では王朝びとのほうが豊かな生活体験をもつことができたといえるかも知れない」

といふのであるから、すぐにでも讀みたい氣はするが・・・。

 

 

七月卅日(木)舊六月十日(甲戌)  曇天

 

坂本賞三著 『藤原賴通の時代 摂関政治から院政へ』(平凡社選書) 讀了。ひさびさに歴史の面白さにふれた。これで次にすすめる。

さて、『源氏物語三十四〈若菜上〉』(靑表紙本) を開いてみた。

 

 

七月卅一日(金)舊六月十一日(乙亥)  曇天のち薄日さす

 

〈若菜上〉を讀むにあたつて、大野晋・丸谷才一著 『光る源氏の物語(下)』 の冒頭を開いてみたら、丸谷さんと大野先生がこんなことを語つてゐた。

 

丸谷 いままでは長い長い伏線という感じがします。

大野 実は、昭和十四年か十五年に折口信夫先生が講演なされ、「『若菜』を読まなければ 『源氏』 を読んだことにならない、『若菜』を必ず読みなさい」ということでした。

丸谷 これから 『源氏物語』 を読んでみたい方は、ともかく「若菜」の卷は絶対お読みなさいと私は言いたい。

 

といふことは、せつかく「長い長い伏線」を讀んできたのだから、ここで中斷したり後回しにするといふのは、やはりもつたいない氣がした。ところが、初つぱなから初見の字母が、たどたどしい門出となつた。

 

また、藤原資房の日記 『春記』 について、三分の一まで讀んだので殘念な氣がするが、『藤原賴通の時代 摂関政治から院政へ』 を讀んだことで、道長以後、院政までの歴史の謎が解明されたので、中斷することにした。

そのかはり、著作順に再讀してゐる藤沢周平の 『雨』 をよみはじめた。

 

 

 

七月一日~卅一日 「讀書の旅」 ・・・』は和本及び變體假名・漢文)

 

二日 若松英輔著 『悲しみの秘儀』 (文春文庫)

四日 藤原伊織著 『てのひらの闇』 (文春文庫)

七日 山口博著 『王朝貴族物語 古代エリートの日常生活』 (講談社現代新書)

十日 藤原伊織著 『名残り火 てのひらの闇Ⅱ』 (文春文庫)

十二日 藤原伊織著 『テロリストのパラソル』 (文春文庫)

十二日 紫式部著 『源氏物語三十二〈梅枝〉』 (靑表紙本 新典社)

十四日 藤原伊織著 『雪が降る』 (講談社文庫)

十五日 藤原伊織著 『ダナエ』 (文春文庫)

十八日 藤原伊織著 『シリウスの道(上)』 (文春文庫)

十八日 藤原伊織著 『シリウスの道(下)』 (文春文庫)

十九日 森 詠著 『ソトゴト 公安刑事』 (祥伝社文庫)

廿六日 村上陽一郎著 『死ねない時代の哲学』 (文春新書)

廿六日 紫式部著 『源氏物語三十三〈藤裏葉〉』 (靑表紙本 新典社)

廿八日 『宇治拾遺物語 卷第八』 (第一話~第七話)

七月廿九日 村井康彦著 「王朝の“変身”─平安貴族の出家願望─」 (日本古典文学全集 『源氏物語(四)』 小學館、月報所収)

七月卅日 坂本賞三著 『藤原賴通の時代 摂関政治から院政へ』 (平凡社選書) 

七月卅一日 『春記(万寿三年~長久元年四月)』 (近藤出版社)