七月(文月)一日(金) 舊暦六月三日(乙卯) 晴、猛暑

今日は、西宮から神田君が出てきたので神保町で待ち合はせ、一緒にアルカサールで和風ステーキを食べ、また喫茶店でつきぬ昔話をかたりあつた。たぶん、明學、靑學、そして關學へと、ふたり一緒に歩んだからこそできたことではなかつたかとうなづきあつた。ただそれからは、ぼくは怠惰な人生、といふか、いやなことはしないといふ生き方をつらぬいてしまつた。かれは大學にのこつて今では名譽敎授さまだ。この明暗、推して知るべし。

ところで午前中、古書會館の古本市に立ちより、舊字舊假名の文庫本をはじめ、また煮染めたやうな和本、『三寶名義章』 を求めた。 

今日の歩數・・・五〇七〇歩

 

七月二日(土) 舊暦六月四日(丙辰・半夏生) 晴、猛暑

見延典子 『賴山陽 上』(徳間文庫) 讀了。まあ、噂にたがはず賴山陽とはなんていふ人物なのだらう。夏目漱石や永井荷風などが山陽を好きでなかつたのもうなづける。書き手もうまくて、面白かつた。森外の史傳の伊澤蘭軒とともに、北条霞亭も登場。このあと中下とつづくが、今しばらく森外の 『伊澤蘭軒』 にもどりたい。 

 

七月三日(日) 舊暦六月五日(丁巳) くもり、しばしば雨、猛暑

外の 『伊澤蘭軒』 をよみすすむ。友人や師たちとの書簡や漢詩のやりとりとその内容の分析、とくに友人關係の探索。広辞苑にもないやうな漢字が續出。まあ、讀み飛ばすしかないところも多々。それにしても、伊澤蘭軒、賴山陽もしかり、ともに文化文政時代に生きた人だけれども、當時の幼兒の亡くなり方がすごい。多く生まれても半數が成長できるかどうかといふ現實だ。例へば、

「賴氏では此年山陽の次男辰藏が生れた。里恵(りえ)の始めて生んだ男兒である。山陽は喜んで母に報じた。しかし辰藏は後僅に六歳にして夭扎(えうさつ)した」。

 

七月四日(月) 舊暦六月六日(戊午) 雨のち曇天

外の 『伊澤蘭軒』 をよみすすむ。ところが、見延典子 『賴山陽』 をよむことによつて、外の述べんとしてゐることが、より理解しやすいとわかつたので、その「中」をよみはじめる。見延典子さんの 『賴山陽』 は大長編で、交友關係も詳しく、それだけに山陽の人物像にもせまつてをり、「山陽の人物像に嫌悪をおぼえ」る人が多いのもうなづける。

 

七月五日(火) 舊暦六月七日(己未) 曇天

今日は、慈惠醫大病院と日本橋の齒科へ通院。通院のはしごだ。午前中慈惠に行き、また檢査結果はじつに良好。ぼくの不調感にそぐはないいい結果だ。午後の齒科も順調に治療がすすみ、いつもながら氣持いい。

晝は時間があつたので、上野廣小路の “玄品” へ行き、正午膳のコースをいただいてしまつた。旨かつた。

今日の歩數・・・5930歩

見延典子さんの 『賴山陽 中』、讀了。賴山陽、京都における「六度目の転宅」先が、「東には鴨川が流れ、遥か向こうには比叡山をはじめ東山三十六峰が望める」東三本木の家で、水西荘(「山紫水明處」)といふ。 

寫眞は、二〇一七年十月廿五日、歴史紀行の 《平安京編五・藤原道長紀行》 で訪ねた、賴山陽の書齋 「山紫水明處」


 

七月六日(水) 舊暦六月八日(庚申) 曇天

今日も慈惠醫大病院へ通院。ペースメーカー外來で確認していただいたら、充電のための入院が半年ほど先でもいいことがわかり、ちよいとホッとする。 

食欲がない。體重がいままでで最低か?

今日の歩數・・・4170歩

 

七月七日(木) 舊暦六月九日(辛酉・小暑・上弦) 曇天

見延典子 『賴山陽 下』(徳間文庫) 讀了。よみでがあつた。

つづけて、ダヴィド・ラーゲルクランツ 『ミレニアム4 蜘蛛の巣を払う女』 (ハヤカワ文庫)

 

七月八日(金) 舊暦六月十日(壬戌) 晴たり曇つたり

高圓寺の古書會館で開催中の古本市に出かけた。今日の掘出し物は、藤原定家著 佐佐木信綱校註 『拾遺愚草(一)』(改造文庫) であらうか。

晝食は日本橋の高島屋まで行き、八階の “とん吉” で、ひれかつをいただいた。順番を待つてゐたときである、となりに座つてゐたご婦人がいきなりスマホをつきつけ、安倍元首相が撃たれたやうよ、と敎へてくれた。そして、夕方になつて、死んだことがわかつた。

ダヴィド・ラーゲルクランツ 『ミレニアム4 蜘蛛の巣を払う女 上』(ハヤカワ文庫) 讀了。下にはいる。おもしろい。

今日の歩數・・・五〇二〇歩

 

七月九日(土) 舊暦六月十一日(癸亥) くもり

ひと月半ぶりに床屋に行き、さつぱりする。

ダヴィド・ラーゲルクランツ 『ミレニアム4 蜘蛛の巣を払う女 下』(ハヤカワ文庫) 讀了。「スティーグ・ラーソンは生きていたの?」 と言ひたくなるやうな出來だ! 

 

七月十日(日) 舊暦六月十二日(甲子) くもり

今日も、『伊澤蘭軒』 と 『デルスウ・ウザーラ 沿海州探検行』 を交互によみすすむ。また、よみかけてゐた 胡桃沢耕史の 『六十年目の密使』(徳間文庫) もよみだす。

午後、今日も純子さん來りて、整體をほどこしてくださる。

 

七月十一日(月) 舊暦六月十三日(乙丑) 晴れたり曇つたり

弱つてきたモモタを抱きながら讀書。二〇一六年六月に保護してからすでにまる六年。そのとき何歳だつたのか、飼ひ主にすてられてずぶ濡れの状態で保護したのだつた。ココ、グレーのなかでいちばん病氣がちだが、もう少し長生きさせてあげたい。

『伊澤蘭軒 上』(『鴎外選集 第七卷 史伝二』 岩波書店) 讀了。文政十二年(一八二九年)三月十七日に蘭軒が没するまで。賴山陽が脱藩の咎で自宅に幽閉されたといふ記事からはじめられたが、伊澤蘭軒と賴山陽は三歳しか違はない。そして共通の師である菅茶三や蘭軒とのかわされた手紙や詩歌をてがかりにして、「埋没してしてゐた蘭軒の事蹟を掘り起こして傳記を立てる」といふ「至難の業」がなされてゐる。おもしろくないはづがない。  

*“とん吉” の特上ひれかつ と 急に弱りだしたモモタ。


 

七月十二日(火) 舊暦六月十四日(丙寅) 曇天

日本橋の齒科に通院。今日は午後二時からの治療なので、お晝は上野の “ねぎし” でしろたんセットをいただき、また日本橋高島屋のメガネ賣場によつて修理にだした鼈甲の眼鏡をうけとり、それから齒科へ。順調に治療がすすみ、二回分二時間にわたつて治療をしていただいた。やつと先が見えてきた感じがする。

歸路、秋葉原のブックオフに寄り、ダヴィド・ラーゲルクランツ 『ミレニアム5 復讐の炎を吐く女 上下』(ハヤカワ文庫) をもとめる。 

 

七月十三日(水) 舊暦六月十五日(丁卯) 雨降つたりやんだり

胡桃沢耕史 『六十年目の密使』(徳間文庫) 讀了。二十二年ぶりの再讀である。胡桃沢耕史の大陸ものはどれもおもしろいが、これはまた 「血沸き肉踊り骨うずく」 内容だつた。

また、ダヴィド・ラーゲルクランツ 『ミレニアム5 復讐の炎を吐く女 上』(ハヤカワ文庫) をよみはじめる。 

 

七月十四日(木) 舊暦六月十六日(戊辰・滿月)  雨降つたりやんだり

ダヴィド・ラーゲルクランツ 『ミレニアム5 復讐の炎を吐く女 上』(ハヤカワ文庫) 讀了。下にはいる。

 

七月十五日(金) 舊暦六月十七日(己巳)  雨降つたりやんだり

ヴィド・ラーゲルクランツ 『ミレニアム5 復讐の炎を吐く女 下』(ハヤカワ文庫) 讀了。『デルスウ・ウザーラ』 よみすすむ。

新型コロナウイルスぶり返し、第七波か。東京の新規感染者は19059人、國内感染者數は10萬人を超えて、103311人。

 

七月十六日(土) 舊暦六月十八日(庚午)  雨降つたりやんだり

アルセーニエフ著 長谷川四郎訳 『デルスウ・ウザーラ』(東洋文庫) 讀了。デルスウ・ウザーラの死をもつて探検は終はつたが、せつなかつた。内容はまるで博物誌。

つづいて、『伊澤蘭軒 下』 をよみはじめる。今朝の東京新聞に、「森鴎外 自筆原稿を発見」とあり、そのなかに、「『澀江抽齋』 推敲の跡も」 とある。「鴎外記念館が購入し、今秋一般公開」といふので、一目見てみたい。

 

七月十七日(日) 舊暦六月十九日(辛未)  曇天のち晴

『伊澤蘭軒 下』 よみすすむ。蘭軒没後第三年、「天保三年(一八三二年)九月二十三日に賴山陽が五十三歳で没した」 ことから、鷗外の關心は 「山陽の終焉及其没後の事」 に向けられ、まへもつて賴山陽についてよんでおいてよかつたと思つた。外の筆は、山陽をとりかこむ人々について、讀者がみなすでに了解してゐることを前提にして、たとへば、山陽の夫人の名さへ説明なくすすんでいくからである。

ネレ・ノイハウス、六作目になる 『悪しき狼』(創元推理文庫) 併讀開始。

 

七月十八日(月) 舊暦六月廿日(壬申)  晴

今日はどうしても歩いて汗をかきたかつた。食事は二の次。そこで日暮里まで行き、驛近くのそば屋で腹ごしらへ、それから歩いた。

いちおう散歩ではあつたが、しんどかつた。谷中墓地を通りぬけ、左角に交番のある信号機を右折すると、すぐ右手に目指すお寺があつた。感應寺である。森外が、『澀江抽齋』 のなかで、「わたくしは谷中の感應寺に往つて、抽齋の墓を訪ねた。墓は容易く見附けられた。南向の本堂の西側に、西に面して立つてゐる」 と述べてゐる、その墓である。眞夏の日差しのなか、タイムマシンで時代をさかのぼつてきたかのやうで、感無量であつた。

また、感應寺の手前に古本屋(“古書木菟”)があり、ついのぞいてしまつた。いやあ、そんじよそこらにない硬派な本がそろつてゐた。

そのまま上野公園まで歩き、途中、たまたま見かけた、東京藝大の展示室をのぞいてみた。ポスター(「工芸総合演習2022『工芸という行為』」)にある工具類が見たかつたのだが、ちんぷな作品ばかりなのですぐに出て、上野驛まで歩きとほした。

歸宅後、シャワーをあび、いい汗をながした。 

今日の歩數・・・六二七〇歩


七月十九日(火) 舊暦六月廿一日(癸酉)  晴

モモタをはじめて動物病院へつれていつた。はじめてといふのは、今までおとなしくケージに入れることができなかつたからだ。今日は妻と連携して入れることができたけれど、入れてから歸つてくるまで鳴きどおしだつた。診てもらつた結果は、ダニとノミによるかさぶたといふことで、やはり年を取ると仕方ないさうだが、注射を打つてもらひ、首筋にフロントラインをつけただけで歸された。

ついでに、ココとグレーにもフロントラインをつけた。若いからだらうが、ココとグレーにはかさぶたもできず、とても元氣である。

ネレ・ノイハウス 『悪しき狼』(創元推理文庫) よみすすむ。

 

七月廿日(水) 舊暦六月廿二日(甲戌・下弦)  晴れたり曇つたり

昨夜、といふか今朝はやく、ネレ・ノイハウス 『悪しき狼』(創元推理文庫) 讀了。ハラハラドキドキ、じつに面白かつた。

また、『私の選んだ文庫ベスト3』(ハヤカワ文庫) の、エドワード・G・サイデンステッカー選による丸谷才一、そこに選ばれてゐる 『樹影譚』(文春文庫) 讀了。つづいて、『たった一人の反乱』(講談社文芸文庫) をよみはじめる。

*今日の新型コロナウイルスの東京の新規感染者は 20401人、全國感染者 152535人、 全国30の府と縣で過去最多!

 

七月廿一日(木) 舊暦六月廿三日(乙亥)  晴れのちくもり

文机を前に座ると、すぐにモモタがひざもとに飛び込んできた。むねはドキドキ、ハアハアいつてゐる。撫でてみれば、あちこちにかさぶたがこびりついてゐて、もう最期がちかいのかしらと思はしめられる。ココとグレーにも氣をつかひながら、讀書のあひだずつと抱いてあげた。 

*今日の新型コロナウイルスの東京の新規感染者は 3萬人を超え、全國感染者は 18萬人を超えた! どちらも過去最多である。

 

七月廿二日(金) 舊暦六月廿四日(丙子)  曇天のち晴

今日も日本橋の齒科に通院。いよいよ新しい入れ齒の土臺づくりにかかり、この數日痛かつたその土臺となるはぐきを處置したことによつて、痛みも腫れもおさまつてきた。

金曜日は、東京古書會館の古本市。今週は「和洋会」、和本が多かつたが、丹念に探す氣力に缺け、一册も目にとまるものはなかつた。

今日の歩數・・・六一四〇歩

 

七月廿三日(土) 舊暦六月廿五日(丁丑・大暑)  晴

丸谷才一 『たった一人の反乱』(講談社文芸文庫) よみつづける。

 

七月廿四日(日) 舊暦六月廿六日(戊寅)  晴

丸谷才一 『たった一人の反乱』(講談社文芸文庫) 讀了。あまり面白くはなかつたけれど、ぼくが結婚する前の年に書かれた作品であり、學生運動の描寫もなつかしかつた。

マイクル・コナリー 『ラスト・コヨーテ』(扶桑社ミステリー)、一年ぶりによみはじめる。刑事ハリー・ボッシュ・シリーズ第四作である。

午後、今日も純子さん來りて、整體をほどこしてくださる。整體といつても、指壓でもないし、いはゆるカイロプラクティックでもない。力を入れずに不思議なタッチでツボらしきところをたどつてゆくだけなのだ。

 

七月廿五日(月) 舊暦六月廿七日(己卯)  晴

 『伊澤蘭軒 下』 と 『ラスト・コヨーテ 上』 よみすすむ。

 

七月廿六日(火) 舊暦六月廿八日(庚辰) 雨のち

昨夜、マイクル・コナリー 『ラスト・コヨーテ 上』(扶桑社ミステリー) 讀了。つづいて、『ラスト・コヨーテ 下』 も讀了。

 

七月廿七日(水) 舊暦六月廿九日(辛巳)

終日讀書。

*今日の新型コロナウイルスの全國感染者は二〇萬人をこえた! 二十五道府県で最多更新、都内は2万9036人の感染が判明。

 

七月廿八日(木) 舊暦六月卅日(壬午)

暑かつたけれど、汗をかくために散歩に出た。京成日暮里驛で下車し、驛前でまたそばを食べ、たまたま驛の案内所でもらつたガイドにしたがつて、高村光太郎の碑を訪ねてみた。鐵道の東側にそつて西日暮里驛まで歩き、驛を左に回り込んで道灌山への坂を上がると西日暮里公園があり、そこで一息ついた。木々にかこまれて涼しく、道灌山についての案内板も興味深い。そもそもこの高臺は、現在の道灌山通りによつて切り裂かれたその南側半分で、まつたくもつて味氣ない。その公園の南入口わきが第一日暮里小學校校門で、その前に高村光太郎の石碑があつた。はじめフクロウの像が光太郎の作品かと思つたけれど、「正直親切」といふ文字が、この學校の卒業生である高村光太郎の直筆だといふのであつた。高村光太郎らしい心に直接に訴へる文字である。

公園からはじまる通りは諏訪臺通りで、日暮里驛方面に進むと左手に諏訪神社、右手には富士見坂。ちよいと有名な坂で、今日はその坂を下り、さらに左折して谷中銀座の通りに出、夕焼けだんだんを上がつて日暮里驛にもどつてきた。思つた以上に汗をかいた。

 

今日の歩數・・・四四四〇歩


 

七月廿九日(金) 舊暦七月一日(癸未・新月)

日をおいてよみついできた長谷川四郎 『シベリヤ物語』(講談社文芸文庫) 讀了。内容は悲慘なはづだが、不思議な面白さがある。天沢退二郎さんは解説で、「どれも、全集本でだいたい十頁から十五頁くらいの、〈シルカ〉 からはじまって 〈犬殺し〉 にいたる、『シベリヤ物語』 を構成する連作短編をひとつ、またひとつ、読み終るたびごとに、思わず知らず、とりあえずまず、深々と息をつかずにはいられない」 と書いてゐる。さう、ため息がでてくるそんな内容である。 

 

七月卅日(土) 舊暦七月二日(甲申)

つづいて、M・コナリー 『トランク・ミュージック』(扶桑社ミステリー) をよみはじめる。刑事ハリー・ボッシュ・シリーズ第五作である。

 

七月卅一日(日) 舊暦七月三日(乙酉) 晴、猛暑

M・コナリー 『トランク・ミュージック』 よみすすむ。

 

 

 

七月一日~卅一日 「讀書の旅」

二日 見延典子 『賴山陽 上』 (徳間文庫)

五日 見延典子 『賴山陽 中』 (徳間文庫)

七日 見延典子 『賴山陽 下』 (徳間文庫)

八日 ダヴィド・ラーゲルクランツ 『ミレニアム4 蜘蛛の巣を払う女 上』(ハヤカワ文庫)

九日 ダヴィド・ラーゲルクランツ 『ミレニアム4 蜘蛛の巣を払う女 下』(ハヤカワ文庫)

十一日 外 『伊澤欄軒 上』 (『鴎外選集 第七卷 史伝二』 岩波書店)

十三日 胡桃沢耕史 『六十年目の密使』 (徳間文庫)

十四日 ダヴィド・ラーゲルクランツ 『ミレニアム5 復讐の炎を吐く女 上』(ハヤカワ文庫)

十五日 ダヴィド・ラーゲルクランツ 『ミレニアム5 復讐の炎を吐く女 下』(ハヤカワ文庫)

十六日 アルセーニエフ著 長谷川四郎訳 『デルスウ・ウザーラ』 (東洋文庫)

十九日 ネレ・ノイハウス 『悪しき狼』 (創元推理文庫)

廿日 丸谷才一 『樹影譚』 (文春文庫)

廿四日 丸谷才一 『たった一人の反乱』 (講談社文芸文庫)

廿五日 マイクル・コナリー 『ラスト・コヨーテ 上』 (扶桑社ミステリー)

廿六日 マイクル・コナリー 『ラスト・コヨーテ 下』 (扶桑社ミステリー)

廿九日 長谷川四郎 『シベリヤ物語』 (講談社文芸文庫)

卅一日 マイクル・コナリー 『トランク・ミュージック 上』 (扶桑社ミステリー)