二〇二二年十一月(霜月)一日(火) 舊暦十月八日(戊午・上弦) 曇天

月はじめに現在よみつづけてゐる本をあげたいけれど、何册も數が多いので省略したい。ただ、本と讀書にかんするもの、文壇ばなしと人物傳、そして追悼文集などをよみちらかしてゐて、小説や物語がすくない、といつたところ。

目黒考二(北上次郎) 『活字三昧』(角川文庫) 讀了。著者の知られざる生ひ立ちや父親のことなど、興味深くよんだ。またたくさんの本を敎へられた。 

 

十一月二日(水) 舊暦十月九日(己未) 晴

久しぶりのペースメーカー外來への通院日。診察は午後からなので午前中は神保町の古本まつりをちよいとだけ見て回ることができた。収穫なんてものではないけれど、いままで手に取ることのなかつた小林信彦の 『本は寢ころんで』(文春文庫) と 『〈超〉読書法』(同) が目に飛び込んできたのでお買ひ上げ。

晝食は “たかせ” で天せいろをいただき、その後三田線で病院へ。ところが、豫約時間を一時間過ぎても呼ばれず、聞きに行こうかと思つたところで呼ばれて診察、といふかペースメーカーをチェックされ、その結果、まだ電池があることがわかつたので、覺悟してゐた入院は來春にまはされた。ほつとしていいものやら?

小林信彦 『本は寢ころんで』(文春文庫) にはさまれた 「97文春文庫9月の新刊」案内の表に書かれた中島らもさんの文が面白い。ぼくもおなじやうにしてゐるので親しみがわく。

「文庫を読むときには、カヴァーも帯もみんなひっぺがして裸にしてしまう。文庫は 『ひえ~ごむたいな』 とか何かいって身も世もあらぬ風情だが、何、かまうことはない。裸にしてバッグに放り込んだり、ジーンズのポケットにねじ込んだり。読み終わるまでそういう扱い。読み終わった文庫は少しくたびれている。それに元のカヴァーをかけてやって、『さっきはごめんね』 の一言。これが僕の文庫との遊び方だ」 

今日の外出・・・七一八〇歩

 

十一月三日(木) 舊暦十月十日(庚申) 晴

今日も神田古本まつりに出かけた。最終日でしかも休日といふこともあつて、たくさんの人が出てゐた。それが、古本屋めぐりになれてゐない人たちばかりで、次々に見てあるくぼくみたいなものにとつては大障壁。かきわけかきわけたいへん疲れてしまつた。

西村寿行 『鬼の跫(おにのあしおと)』(講談社文庫) 讀了。案内には傑作ハード・ロマンとあるけれど、いやいやバイオレンスアクションといふべきだらう!

今日の外出・・・五五九〇歩 

 

十一月四日(金) 舊暦十月十一日(辛酉) 晴

今日は御茶ノ水驛前の “誠鮨” の壽司を食べたくて出かけた。ところがランチのちらし壽司は賣り切れてゐて、上にぎりをいただいた。久しぶりでじつに旨かつた。

ついでなので、坂をくだつて古書會館の古本市を訪ねた。さうしたら、なんと吉澤章さんの 『折り紙読本』(緑地社 昭和三十二年二月發行) があつたのである。これは、小學生のころ入院生活をつづけてゐたぼくに、父が買つてきてくれた本のなかの一册で、今なほ手もとにある貴重な本(ぼろぼろ)なのだが、手垢のついてゐない新しい本を見逃したくなくて買ひ求めてしまつた。それが二一〇圓であつた。しめしめ!

今日の外出・・・五三四〇歩  

 

十一月五日(土) 舊暦十月十二日(壬戌) 晴

坪内祐三 『文庫本福袋』(文春文庫) 讀了。じつにバラエティーに富んだ文庫本ガイドであつた。すでによんだものもあつたけれど、敎へられて買ひもとめたものも多い。また、手もとにすでにあるものでも、その新たなるよみ方を知り、讀書慾をかきたてられた。さらに、本は一度よめばよいといふものではなく、何度もよみ返すべきだとさとされた思ひがした。

丸谷才一編 『私の選んだ文庫ベスト三』(ハヤカワ文庫) はぼくの座右の書だが、何を讀まうかといふときの手引きでもある。野坂昭如は誰の何を選んでゐるのかとみたら、なんとアンデルセンなのである。で、昨日、神保町で、野坂昭如が第一に選んでゐる 『アンデルセン自伝』(岩波文庫) と第二位の 『完訳 アンデルセン童話集 』(同 改訳版) を求めてきたので(舊版では十册、改譯版では七册)、あるその第一册をよみはじめてみた。

じつはを求めて、岩波書店アネックスで新本を買つてしまつたが、小宮山書店のガレージセールをのぞいたら、舊版の 『アンデルセン童話集 』 を見つけた。これは舊字舊假名でぼく好み。はやまつたかと思つたけれど、 はなかつたのでほつとした。 

ちなみに、野坂昭如を選んでゐるのはジャック・ラローズといふ京都大學でフランス語を敎へてゐる方だが、その①『エロ事師たち』、②『骨餓身峠死人葛』、③『戦争童話集』であつた。

 

十一月六日(日) 舊暦十月十三日(癸亥) 晴

あぐらをかいたその右腿にモモタ君、左腿にグレー、そしてあぐらの中にココちやんをかき抱きながら讀書。まづ、安岡章太郎 『私の東綺譚』(新潮文庫) をよみあげ、つづいて導かれるやうにして、永井荷風の 『東綺譚』(岩波文庫 舊字舊假名) をよむ。玉ノ井はなんどか訪ねたことがあつたが、ただぶらついただけだつたので、近々本書をポケットに、荷風お氣に入りの場所を歩いてみたく思つた。

日曜日、午前十時からの 「乗れない鉄道の旅情」 といふ番組がいい。すでに三回みてゐるが、驚くやうな路線ばかりだ。今日は、製鐵所の溶鉱炉から一三〇〇度の溶けた銑鐵を、同じ敷地内にある製鋼所へはこぶ鐡道だ。口ではいひつくせない! 

 

十一月七日(月) 舊暦十月十四日(甲子・立冬) 晴

日本橋の齒科へ通院。この一月から通院しはじめて、やつと新しい義齒(入れ齒)ができた。ところが、なれるのを待つしかないのか、うまく物が食べられない。舌のうらを噛んでしまつたのには痛いやらびつくりするやら、これはどうしたものだらうかと考へてみた。よくよく口を動かしてみると、噛むといふ動作は、上下の齒が食べ物をかみ砕いて咀嚼できればいいわけで、つよく噛む必要はないのであるが、強く噛むのはかんたんなのだ。しかし、弱くといふか、ほどよく噛むのがじつはじつに難しいことがわかつた。ぼくは強くかみしめるくせがあるから、それこそゆつくりかまないと口の中は傷だらけになりかねない。

ところで、歸路、新橋驛のSL廣場で今日からはじまつた古本市をたずねた。文庫本ばかりだが、野坂昭如の 『エロ事師たち』(新潮文庫) と 『骨餓身峠死人葛』(中公文庫) をみつけたときはうれしかつた。

 今日の外出・・・四七四〇歩 

 

十一月八日(火) 舊暦十月十五日(乙丑・滿月) 晴

西新橋の慈惠醫大病院へ定例通院。血液檢査と心電圖檢査の結果はいつものやうに良好。ただ、近所の調劑藥局で、アスパラカリウムの藥が入りにくくなつたといふことをミカ先生に傳へたら、直に藥局に電話をかけてくれた。ひとつには最近カリウムが日本に入りにくくなつてゐるといふ。まさかと思つた・・・!

晝は神保町のたかせでとろろそばを、早めの夕食は町田の柿島屋まで遠出して馬刺を食べた。上馬刺と冷奴、それにはじめて酢の物をいただいた。酢の物はキクラゲで、こりこりして口に心地よかつた。どうにか新しい齒がなじんできたやうだ。

歸路、綾瀨驛まで迎へに來てくれた妻とともに、車の中から「皆既月食」とやらをながめた。

今日の外出・・・七九四〇歩 

 

十一月九日(水) 舊暦十月十六日(丙寅) 晴

寢ころんで終日讀書。

戸板康二 『あの人この人 昭和人物誌』(文春文庫) 讀了。内容・・・江戸川乱歩、小泉信三、三島由紀夫、徳川夢声、有吉佐和子など昭和を彩った文化人34人の素顔。これらの人々と親交深かった著者だけが知り得た珍しいエピソードや新事実で鮮やかに人間性を描出している。「ちょっといい話」に通じる知的面白さと、滋味あふれるエッセイの楽しさを兼ね備えた稀有な評伝集。 

 

十一月十日(木) 舊暦十月十七日(丁卯) 晴

今朝も日本橋の齒科へ通院。新しい義齒の調整をうける。口の中が快適になつたのはたしかだけれども、舌やほほを噛んでしまふのは、まあ、なれるしかないやうだ。ゆつくり意識して食べるしかない。

終了後、神田經由中央線快速電車で高圓寺に直行し、まづ、“ぎょうざの滿州” で麺半分のタンメンと三つぶ餃子をいただいた。タンメンがとてもいい味してゐて野菜をすべて食べることができた。舌もほほも噛まないですんだ。

五反田古書會館古本市でも文庫本探し。と、見まはつてゐたら、なんと 『續々群書類從 第八 地理部一』 が三〇〇圓。なかには、林羅山の「本朝地理志略」をはじめ、山城國に關する初の總合的・體系的な地誌である「雍州府志(ようしゅうふし)」、それに「江戸名所記(えどめいしょき)」などがはいつてゐる。とても重たいので迷つたけれど買ひ求めてしまつた。

歸路、再び新橋驛前の古本市に行き、うまく見つかつたので、『私の選んだ文庫ベスト三』 のなかで半藤一利さんが①と③に選んでゐる漱石の 『漱石書簡集』(岩波文庫) と 『漱石文明論集』(同) を求めた。まだ手もとになかつたものだ。

夕食は、上野のアトレで “とん久” の上ひれ定食をいただいた。これもいい味してゐて旨かつた。

青木正美 『古本屋四十年』(福武文庫) 讀了。青木書店は息子さんが引きついで、今も堀切菖蒲園驛のならびで營業されてゐるが、そもそもぼくが古本屋に入つたのは、この青木書店がはじめてであつた。中學生の頃だと思ふが、漱石の 『吾輩は猫である』(角川文庫) を買つた記憶がある。最近、他の古本屋でその同じ角川文庫の古本を發見し、もちろん即買ひした。

今日の外出・・・五四四〇歩 

 

十一月十一日(金) 舊暦十月十八日(戊辰) 晴

今日は、昨年三月の大處分以來はじめて藏書の整理をおこなつた。二階の書齋とベッドのまはりに積み上げられた文庫本の整理を目的として、まづ、昨年來空になつてゐた階下の應接間の括り付け本棚に、同じ部屋の壁側に据ゑた本箱に収めておいた群書類從と大日本史料の殘部と明月記、玉葉、吾妻鏡、それに世界の名著(中公バックス)、日本の名著(同)、日本の思想(筑摩書房)、新潮日本古典集成の諸シリーズを括り付けのはうに移した。これには妻の助けを受け、たいへん助かつた。つぎは、二階から文庫本を運んでくることである。まづ、明治以降年代順にならべた文學の文庫本を籠に入れて何往復もくだりのぼり。息が切れたけれど、體力がついてきたのだらう、すぐにはへたばらずにすんだが、休み休み。夕食時になつて途中であつたがやめた。

北上次郎さんの 『活字三昧』(角川文庫) をよみ、今日は、小林信彦 『本は寢ころんで』(文春文庫) をよみすすんだが、本の書評といふか紹介文をよんで、もうよみたくなつて仕方ない。すでにアマゾンに四、五册注文してしまつた! 

安原顕 『「編集者」の仕事』(白地社)、百目鬼恭三郎 『風の文庫談義』(文藝春秋)、トマス・チャステイン 『パンドラの匣』(ハヤカワ・ミステリ)、そして斎藤綾子のと、とめどがない。 

 

十一月十二日(土) 舊暦十月十九日(己巳) 晴

今日も古本散歩。千代田線で神田の古書會館に直行し、古書店街を一通りみてから成光さんのラーメンを食べて歸宅した。

ちかごろ食べるものがみな美味しい。義齒が新しくなつたからか、體調がよくなつてきたからか、うれしい。義齒はまだかみ合はせがよくないけれど、舌やほほを傷つけないやうにだけは氣をつけたい。

今日の外出・・・四九九〇歩 

 

十一月十三日(日) 舊暦十月廿日(庚午) 晴のち曇り

文庫本の移動と整理續行。丸谷才一編 『私の選んだ文庫ベスト三』(ハヤカワ文庫) にあげられた文庫本をチェックしてみたら、よんだものがけつこう多くあつた半面、まだ入手してゐないものも多く、あると思つてゐた芥川龍之介のものとか、田山花袋、志賀直哉、柳田國男、さう大岡昇平など一册もない。ほしいけれど、どうせなら角川文庫でも岩波文庫でも舊字舊假名版でよみたい。

午後、純子さん來りて整體をうける。 

 

十一月十四日(月) 舊暦十月廿一日(辛未) 晴のち曇り

誠鮨のランチちらしが食べたくて出かけた。ついでなので、神保町を散策し、『私の選んだ文庫ベスト三』 にあげられた文庫本のうち、よみたいものを何册か買ひもとめた。佐藤春夫の 『田園の憂鬱』(岩波文庫)、坂口安吾の 『桜の森の満開の下』(講談社文芸文庫) など。大岡昇平の 『野火』(新潮文庫) は、昨年の大處分のときに出してしまつたやうなので、これはよんだはづなのだが、買つておいた。

歸宅すると、日本の古本屋を通して注文した、岩手の本屋から、駒田信二編 『老年文学傑作選』(ちくまライブラリー) が屆いてゐた。

また、佐久に住んでゐる弟から封書がとどき、あらためると、「長らく社会と世間とのあいだに感じていた違和感の淵源を、自分なりに納得したいという気持ちがこれを書かせた」といふ添へ書きを同封して、『私説 日本人論』 なる册子が入つてゐた。風呂上がりによみはじめてみたが、よく書けてゐて面白い。ぼく自身も感じるところで、だからといつて違和感を感じるやうな世間や社會を避けて生きてきたぼくには、たださうかさうかとしか言ひやうがないが、とにかくよみ通してみたい。

今日の外出・・・六〇九〇歩 

 

十一月十五日(火) 舊暦十月廿二日(壬申) 雨のち曇り

今日は靑戸の慈惠醫大葛飾醫療センターへ通院。胆石の樣子をみるために超音波(エコー)檢査を受けた。けつこう大きな胆石が檢知されたやうで、來週の受診が氣になる。

昨夜、弟の書いた 『私説日本人論』 を一氣によみあげた。〈1世間と日本人〉、〈2家族と日本人〉、〈3言葉と日本人〉、〈4戦争と日本人〉、〈5戦後の日本人〉、〈6ムラ社会の日本人〉といふ六つの章にわたつて論じられる内容は、説得力があり刺激的で面白かつた。もつと肉づけするつもりだらうが、言ひたいことは言ひつくしてゐるのではないか。

斷片的に書き出してみると、以下のやうな主張になる。

「自己のアイデンティティの一貫性よりも 『場の親密性』 を優先させる、つまりはじめから、アイデンティティの一貫性など、この国の国民のはないのである」

「つまり、日本人とは、『場』 をあたえられれば、おそらく何でもする可能性を秘めているということだ。・・・思いやりのある親切な人にでも、情況によつては、無慈悲で残忍な人物にもなり得る可能性を秘めている」。関東大震災のときの朝鮮人虐殺、朝鮮や中國でおこなつた無意味な殺害のかずかずの例をあげてゐる。

日本人の行動基準は、「とにかく相手(一體感を共有してゐる『場』に属する人―ひげ淳注)の機嫌をそこねる事態を回避したいだけの対応なのだ」

きわめつけは、「そもそも反権力的な知性と倫理観というものがこの国では育ちにくい。歴史的時間や論理的思考、そして普遍的価値観にもとづく自立した個人というものが育ちにくい精神風土なのである」

とまあ、ぼくなどもくやしまぎれに言つたり書いたりするけれど、このやうにまとめられてみると、ひとつ大きな力になるのではないか。 

今日の外出・・・二九三〇歩

 

十一月十六日(水) 舊暦十月廿三日(癸酉・下弦) 晴

モモタ君が夜鳴きといふのか、晝間もしよつちゆう鳴いてゐる。今日はだから、NHK・BSでショーン・コネリー、ニコラス・ケイジ、エド・ハリス主演の 『ザ・ロック』 を觀ながらずつと抱いてあげた。からだにさわるとやせてきたのが明らかで、死期をさとつたのかもしれないと思ふ。先日死んだブンちやんも同じやうなやせかたをしてゐたので、ぼくたちのはうこそ覺悟しなければならない。

小林信彦 『〈超〉読書法』(文春文庫) 讀了。『本は寢ころんで』 に加へて、よみたくなるやうな本が次々に出てきた!

明日から一階のトイレと風呂、洗面所、それに臺所の水回りの改装工事がはじまる。我が家は、ぼくたちが結婚して西宮か淸水にゐたころに建て直されたから、そろそろ築五十年になる、そのため使ひ心地がわるいだけでなく、あちこちが痛んでゐて、とくにトイレが薄暗くてきたない。臺所の流しは妻の背丈には低すぎて年中こぼしてゐたものだ。

明日から、順番として風呂場と洗面所である。それで今晩、風呂場でラストシャワーを浴びた。 

 

十一月十七日(木) 舊暦十月廿四日(甲戌) 晴

工事がはじまつた。ドンドン、ザラザラ音がしてゐたが、夕方には風呂場の床から壁、天井まで解體されてしまつた。驚いたことに、築五十年にもなるのに、壁をはがした下地の板が腐つたり蟲に侵されることなく、きれいな状態であつたことだ。業者もこれにはびつくりしてゐた。 

 

以下、Eメールよりコピー

11月18日の日記

日本橋の齒科へ通院。新しい義齒の調整をうける。口の中が快適になつたのはたしかだけれども、舌やほほを噛んでしまふのは、まあ、なれるしかないやうだ。ゆつくり意識して食べるしかない。

歸路、といふか遠出して、京王線の南大沢驛に向ふ。南大沢驛前で古本市が開催されてゐたからだ。ところがその古本市は、冷たい風が通りぬけるところで、體が冷えたのだらう、弱つてゐた腰が痛みはじめ、町田で馬刺を食べ、歸りには歩くのもつらくなり、歸宅したとたん起きられなくなつた。無理してしまつたんだらう。妻には叱られるし、猫たちのそばにも行けない。ついに寝込んでしまつた。

朝食玉子かけご飯。晝食かき揚げ天ざる。夕食は柿島屋の馬刺。

 

11月19日の日記

腰痛は、横になつてゐれば痛みはないが、起きあがるときにははげしく痛む。それで、朝食はぬかし、晝食はベッドで横になつたまま小グラタン。夕食前に、猫部屋で猫たちとすごし、そのままどうにか階下におりて餃子で夕食をいただくことができた。

柴田錬三郎 『赤い影法師』(新潮文庫) 讀了。

 

11月20日の日記

いやはや多難地獄に突き落とされたやうで身動きがとれない。心臟はもとより齒醫者とも縁がきれない。そのうへいつ爆發するか知れぬ胆石をかかへ、こんどは腰痛である。横になつたままでゐれば痛みはないが、起きあがるときにははげしく痛む。午前中ひんぱんに排尿があるのでトイレに行くのがつらい。

朝食、クッキーと紅茶。晝食は仙臺そば。夕食は、ジャガイモとアジのフライ、レバーの煮物に湯どうふ。夕食前、今日も猫部屋で猫たちとすごし、そのまま階下夕食をいただいた。

筒井康隆の 『敵』(新潮文庫) が面白くて讀了。

 

11月21日の日記

腰痛が治らない。左足首の崑崙といふツボを強く指壓したところ、腰まで激痛がはしり、やつと落ちついてきた痛みが再び活性化してしまつた。

朝もお晝もほとんどたべられず、夕食のとろろ汁はご飯一杯とともに食べられてホッとした。

明日は靑戸の慈惠である。胆石をどうするのか? まづ、痛む腰を引きずつて行けるかどうか?

讀書は、小林信彦おすすめの 『パンドラの匣』(ハヤカワ・ミステリ) を讀みはじめた。

 

11月22日の日記

今日は先週のエコー檢査の結果を聞きに慈惠靑戸病院の外科へ通院。つまり胆石については樣子をみつづけることになり、また一年後にエコー檢査をする豫約。

ついでに整形外科にまはしてくださり、レントゲンを撮つたところ、腰をグキリとやり、それをきつかけにして吐き氣に襲はれ、痛いやら吐きたいやらで、診てはもらひ藥もいただいたけれど、どうやら骨折らしいが、歸宅しても胸のムカムカがおさまらず、吐いたのは昨夜食べたレバーの殘りものだつた。腰の痛みより、このムカムカがひどくて寢るに寢られず。

9月につづき、魔の火曜日の一日だつた。

 

11月23日の日記

一日横になつて過ごす。腰が痛んで本も讀めず。朝におかゆ。晝過ぎ甘酒を少しのむ。

 

11月24日の日記

痛くてたまらず、救急車を呼んで慈惠醫大靑戸醫療センターまではこんでもらふ。

 

11月25日の日記

昨日、生まれてはじめて自分のために救急車を呼び、病院まではこんでもらつた。今日の胃カメラ檢査の結果は問題がないといふが、腰痛からきてゐるのかどうか? しばらく入院のやうだ。

 

11月26日の日記

若い看護婦さんに全身を拭いてもらつて感激!

 

11月27日の日記

緊急入院して4日。また胃カメラをのんだ結果問題がないことがわかり、お腹のぐあいもよくなつてきたのだが、腰の痛みがおさまらず、業者がきてコルセットの寸法をはかつていつた。痛いと本も讀めない! それに心臟のぐあいも動悸がはげしくなつたりして、まあ慈惠系列の總合病院でよかつた。 

 

 

 

11月28日の日記

腰痛、動くとまだまだ痛い。また、便が出ない。食事は半分以上食べてゐるので、水分が足りないからか? 今日再び看護婦さんにからだを拭いてもらふ。美知子、パジャマなど屆けてくれる。

  

1月29日の日記

午前中、骨密度とレントゲン檢査。その間にベッドが窓際に移され、明るくて本も讀めさう。またたまつてゐた便が出てスッキリ。ただ腰痛はあひかはらず。

 

美知子からのメール・・・業者が入れ替わり立ち代わり、猫えさ、馬橋の送り向かいと何かと小間切れ時間を過ごしています、昨日も胃腸の調子が悪く一日食べずに居たので今朝大江病院へ初診で行ったら予約以外診ないって、個人病院なのに。今日はどうにか食べてます。雑音のなか、読書してます。

 

 

11月30日の日記

やつと宿便が出た。二回、三回と時間をおいてあらかた出つくしてスッキリした。そのたび車椅子でトイレに行くため看護婦さんにこゑをかけるのがわるかつたが、一人では行かないでと念をおされたのでは仕方ない。また、係りの女性に頭を洗つてもらひ、こちらもサッパリした。

食事もお粥を半分、副食はほとんど食べることができる。だが、腰痛はよくならず、コルセットをつければ痛みはなくなるといふのだが半信半疑だ。

今日美知子には、水のボトルと幸田露伴の 『太郎坊』(岩波文庫) を届けてもらつた。

 

 

 

 

十一月一日~卅日 「讀書の旅」 

一日 目黒考二(北上次郎) 『活字三昧』 (角川文庫)

三日 西村寿行 『鬼の跫』 (講談社文庫)

五日 坪内祐三 『文庫本福袋』 (文春文庫)

六日 安岡章太郎 『私の東綺譚』 (新潮文庫)

同 永井荷風作 『東綺譚』 (岩波文庫 舊字舊假名)

九日 戸板康二 『あの人この人 昭和人物誌』 (文春文庫)

十日 青木正美 『古本屋四十年』 (福武文庫)

十一日 小林信彦 『〈超〉読書法』 (文春文庫)

十四日 中村勝美 『私説 日本人論』

十六日 小林信彦 『〈超〉読書法』 (文春文庫)

十九日 柴田錬三郎 『赤い影法師』 (新潮文庫)

廿日 筒井康隆 『敵』 (新潮文庫)

同 長谷川町子 『いじわるばあさん②』 (朝日文庫)