正月十一日(土)舊十二月十七日(癸丑・望) 晴、冷える

 

昨日は一日座してパソコン作業をしたので、今日は散歩に出た。

 

書き忘れたのだが、昨日、パソコンをノートパソコンのW7からデスクトップW10にかへたのを見てゐたかのやうに、OCNから次のやうな連絡があつた。 

「Windows7の延長サポート期間が、2020年1月14日に終了予定であることはご存知でしょうか。サポートが終了すると、パソコンを常に最新の情報に保つためのセキュリティ更新プログラムの提供が停止し、お使いのパソコンをリスクにさらし続ける事になります」。これは、「超特価なWindows10搭載パソコンのご案内」であつたわけだが、ノートパソコンのW7は、ネットから切り離して、ワープロのやうにこれからも使へるだらうか? 

 

今日は土曜日、散歩は當然神田と高圓寺の古書會館をめぐるものとなつた。新御茶ノ水驛から駿河臺下は小川町郵便局となりの古書會館まで歩いたが、今までにない寒さだつた。古本にめぐり逢ひたくてはじめた散歩だが、近ごろは散歩のはうに重點が置かれるやうになつてきた。まあ、いい本に出會へればそれにこしたことはないが、まづは歩くことだ。はたして、東京古書會館にも、西部古書會館にもさしてめぼしい本は見られなかつた。 

東京古書會館では、親鸞の 『顯淨土眞實敎行證文類』(通稱『敎行信證』) の和本上下のみ。序文の末尾には、「天保癸卯(一八四三年)十一月廿有八日 二十四世法孫眞導拜撰」とある。古いが丁寧に讀まれたと思はれる和本で、大きさは文庫本とほぼ同じ、朱筆でところどころ書き入れもある。岩波文庫と角川文庫ですでに手もとにあるが、どうせ讀むなら原文でと思つてゐたが、すべて漢文、梅原眞隆譯註の角川文庫四册本が手放せないだらう。これが上下で千圓。 

高圓寺のはうは、「均一祭」と稱して、全館すべて二百圓。さすが二百圓と聞いて欲しいものもあつたがぐつと我慢をした。それでも求めたのはやはり和本の 『類題草野集 戀全』 といふ和本。このはうは、全十二卷のうちの一册で、戀の歌を集めたもの。目録のおはりに、「文政五年(一八二二年)九月 木村定良識」とあつた。塙保己一が亡くなつた翌年である。綴じ糸が切れてゐるが二百圓では仕方なからう。 

ちなみに、木村定良(きむらさだよし)とは、「江戸時代後期の歌人。安永十(一七八一)年三月生まれ。幕府の先手与力をつとめる。加藤千蔭の門人。弘化三(一八四六)年三月死去。六十六歳。号は橿園。家集に『橿園和歌集』、編著に『類題草野集』」とある。与力と和歌にどのやうな結びつきがあつたのだらう?

 

これだけではちよいと寂しかつたので、神保町へ引き返し、二册一〇〇圓の店で、高橋克彦著 『鬼』(講談社文庫) と、池永陽著 『走るジイサン』(集英社文庫) といふ題名に惹かれて、無駄買ひしてしまつた。ついでに、新年はじめてアルカサールで和風ステーキを食べてから歸宅。だいぶ鹽分を攝り過ぎたので、しばらく自制しよう。でもうまかつた! 

今日の歩數、五五九〇歩。いい散歩だつたかどうか?

 

 

正月十二日(日)舊十二月十八日(甲寅) 曇天、ときどき日差しと小雨

 

野間宏・沖浦和光著 『日本の聖と賤 中世篇』 を讀了。半ばからは専門的なはなしになつてきたので、苦勞した。つづいて、佐々木讓著 『暴雪圏』 を讀みはじめる。 

 

パソコンのデスクトップW10を使ひはじめたら、一年ぶりだからだらうか、再起動せよとの指示が出されたのでやつてみたら、なんと五時間あまりかかつた。しかも更新したといふけれど、何をどのやうに更新したのかはまつたくわからない。ぼくはこのやうな仕組みが大嫌ひである。といへば、今の時代、電製品から車もみなさうであるが、かと言つて説明されても決して理解できないであらうことも確かなので、いづれ、使ひつづけるか、やめるかの決斷をせまられるのではないかと思ふ。 

 

昨年(二〇一九年)の讀書の册數をかぞへてみたら、合計二二八册であつた。月々平均十九册といつたところだ。まあ、月報や雜誌の小論文なども含めてだから、嚴密な册數ではないが。

 

 

正月十三日(月)舊十二月十九日(乙卯) 

 

佐々木讓著 『暴雪圏』 讀了。讀みはじめたらとまらなくなり、ほとんど徹夜で讀み通してしまつた。これだからやめられないのだが、恐ろしい。 

つづいて、佐々木譲著 『警察の掟』 (新潮文庫) を開いたはいいが、日中もつぱら居眠りしてすごした。

 

パソコンのデスクトップW10が調子わるい。だめな品にあたつてしまつたのかも知れない。かといつて、買ひ替へるのもしんどいし、どうしたらいいだらう。 

 

 

正月十四日(火)舊十二月廿日(丙辰) 

 

きょうはまた、淺草の天健の天丼が食べたくなつて、出かけてきた。淺草壽町行きのバスが、龜有驛から出てゐて、堀切菖蒲園驛前を通るはづなので、驛まで行つたところ、なんと土曜日と日曜祝日のみの運行で、平日は動いてゐないのであつた。しかも、一時間に一本といふ、まるで過疎地を通るバスなみである。 

それで、堀切菖蒲園驛から關屋驛・牛田驛乘り換へで東武淺草驛に行き、北口を出て左折するとそのまま傳法院通り。めざす天健は、傳法院通りを通り抜けたところにあるはづ、だが、それがない。近所の方に聞いたら、やめて店を閉めたのだといふ。いやあ、がつかり。美味しくもない天丼を食はせる店が、道をへだてた隣りにまだ営業してゐると言ふのに、美味しい店がなくなるなんてなんといふ理不盡! 

斜向かひの地球堂で古本をざつとながめてから、上野に行くことにした。雷門通りに出て右に曲がり、突き當つたら国際通りを左折。銀座線田原町驛から乘るつもりで歩いてゐたら、「白レバー丼 500圓」と看板が出てゐたので、のぞくだけのつもりがつい入つてしまひ、天健とはくらべもにならないが、まあおいしく食べられた。が、自分が許せない。

 

上野広小路驛を出ると、上野風月堂側の角で恆例の古本市が開かれてをり、先日いただいたおまけの金券(お買ひ物券・五〇圓) を使つてしまはうと思つて入つた。そこで、すぐに目についたのが、貞心尼自筆の歌集である 『蓮の露 貞心尼筆 復刻』(考古堂) であつた。それもたつた五〇〇圓+税。原本複製(和本で當然變體假名)と釋文つきである。もうこれだけで今日は滿足、あと、ヨドバシカメラのパソコン賣り場をちよいとのぞいただけで歸宅した。五九三〇歩 

 

註・・『蓮の露』の内容良寛の略傳・良寛歌集・及び良寛・貞心唱和の歌(良寛禅師七十歳、貞心尼三十歳、二人が出会會つてから別れるまでの四年餘りが、あたかも物語のやうに綴られてゐる)・良寛禅師戒語。 

「蓮の露」が完成したのは、天保六年(一八三五年)五月一日、良寛没後四年目、貞心尼三十八歳の時。貞心尼はこの册子を肌身はなさぬほど大切にし、おかげで釋迦堂火災の難をも逃れたといはれてゐる。

 

 

正月十五日(水)舊十二月廿一日(丁巳) 小雨、寒い

 

今日は高齢者講習で平和橋自動車敎習所に行つてきた。二時間、講習といふにしては、何を言つてゐるのかよくわからない係のお喋りを長時間聞き、實車もさせられて、こちらのはうはいささか緊張。「終了証明書」をいただいて歸る。 

パソコンのことで、ユニコムの五十嵐さんに連絡したら、近日中に我が家に來てくれることになつた。希望は傳へたので、あとは専門家の意見に從つておまかせしよう。ひと安心である。

 

五木寛之著 『風の王国』(新潮文庫) がやつと屆いた。 

 

 

 

正月一日~十五日 「讀書の旅」   ・・・』は和本及び變體假名本)

 

正月二日 五木寛之著 『隠された日本 中国・関東 サンカの民と被差別の世界』 (ちくま文庫) 

正月七日 三國連太郎・沖浦和光対談 『「芸能と差別」の深層』 (ちくま文庫) 

正月九日 日本冒険作家クラブ編 『夢を撃つ男』 (ハルキ文庫

正月十二日 野間宏・沖浦和光著 『日本の聖と賤 中世篇』 (人文書院) 

正月十三日 佐々木讓著 『暴雪圏』 (新潮文庫)