正月十六日(木)舊十二月廿二日(戊午) くもり

 

佐々木譲著 『警察の掟』 讀了。 

「東京湾岸で男の射殺体が発見された。蒲田署の刑事は事件を追い、捜査一課の同期刑事には内偵の密命が下る―所轄より先に犯人を挙げよ。捜査線上に浮上する女医の不審死、中学教師の溺死、不可解な警官の名前。刑事の嗅覚が事件の死角に潜む犯人を探り当てたとき、物語は圧巻の結末になだれこむ。徹底したリアリティと重厚緊密な構成で警察小説の第一人者が放つ傑作長編」。 

といふ内容なのだが、最後のところの、「だけど、おれはたぶんあのとき、もう、死んでいたんだ」といふ眞犯人のことばの意味がよくわからない。惡人によつて死ぬやうな目にあつたから、惡人を殺すやうになつたとでもいふのか? 

 

評論家の坪内祐三さんが急性心不全のため死去された。六十一歳。急性心不全といふのは、突發だから防ぎやうがなかつたのかも知れないが殘念である。ぼくは慢性だから、それだけ注意できるから、突然といふことは避けられさうだが、いやいや安心はしてゐられない。慢性だからこそすぐにでも引き金が引かれてもおかしくないといふことなのだ。いつ爆發するか分からない時限爆をかかへてゐることは間違ひない。

 

 

正月十七日(金)舊十二月廿三日(己未・下弦) くもり

 

今日は、阪神淡路大震災が起つてから二十五年、またぼくの心臟手術後四十三年となる公私ともに忘れがたい日である。 

 

今日午前中、ユニコムの五十嵐さんが來てくださり、パソコンをみてくださつた。 

デスクトップW10の調子をみてもらひながら、W7の氣がかりなところを變更していただいたりして、ほぼ希望どおりになるかなと思つたら、W10のメールの送信エラーがどうしても直せず、結局、W10にアップグレードするW7のノートパソコンとともに持つて歸られた。 

 

 『源氏物語二十二〈玉鬘〉』(靑表紙本)、ここのところ、毎日數頁づつ讀み進んでゐる。内容は、玉蔓が源氏のもとに引き取られ、六條院の花散里に世話をたのんだあたりまで。殘りあとわづか。 

また今日から、今村翔吾著 『童の神』 を讀みはじめる。 

 

 

正月十八日(土)舊十二月廿四日(庚申) 小雨一時みぞれ

 

今日は散歩がてら神田の古書會館に行くつもりだつたけれども、あまりにも寒いのと、霙が降つてきたのでやめて、猫を三匹ひざと胸にだいて讀書に熱中した。 

 

今村翔吾著 『童の神』(角川春樹事務所) 一氣に讀了。面白かつた。 

平安時代は戰爭がなかつた稀有な時代だつた、と誰かさんが言つてゐたけれど。これを讀んだだけでも、そんなことが嘘つぱちであることがよくわかる。宮廷文化が花開いたのは世の中が平和だつたからだとも言はれてゐる。とんでもないことで、宮廷文化が花開くためにどれだけの人々が虐げられ殺されていつたかを考へてみなければ、歴史を正しく學んだことにはならないだらう。 

本書は、天延三年(九七五年)に生まれた主人公の桜暁丸(おうぎまる)が、京人(みやこびと)から、「夷、鬼、土蜘蛛、滝夜叉、山姥…などの恐ろしげな名で呼ばれ」て、蔑まれた人々とともに解放を求めて戰ひ、寛仁元年(一〇一七年)に朝廷軍と戰つて死ぬまでの物語である。 

「京人は我らを鬼と呼ぶ。土蜘蛛と呼ぶ。そして童(わらわ)と呼び、蔑む。理由などない。己が蔑まれたくはないから誰かを貶める」といふ、主人公の言葉そのままに、この物語は、いつの時代にも通ずる偏見や差別にたいする戰ひでもある。もちろん小説といふ構ではあるが、眞實はついてゐる。 

帶には、「皆が手をたずさえて生きられる世を熱望し、散っていった者たちへの、祈りの詩(うた)」であるとともに、「血湧き肉躍る歴史エンターテインメントの金字塔」などと記されてゐるが、これは嘘ではない。

 

 

正月十九日(日)舊十二月廿五日(辛酉) 晴、夕方より曇り

 

書齋は日がさすと暖かく、猫たちとぢやれあひながらも讀書がはかどる。 

今日は、屆いたばかりの、五木寛之著 『風の王国』(新潮文庫) を讀みはじめた。五木寛之の小説を讀むのははじめてではないかと思ふ。ぼくの讀みたいタイプではないと思ひこんでゐたためかも知れない。

 

それに、『源氏物語 〈玉鬘〉』 を讀み終へた。靑表紙本で一一六頁だつた。次は〈初音〉だが、これは四五頁。以降、「玉蔓物語」の〈眞木柱〉まではみな短いはなしばかりなので、はやく第二部に入りたいものだ。

 

 


 

 

正月廿日(月)舊十二月廿六日(壬戌) 

 

今日もあたたかい書齋で讀書。五木寛之著 『風の王国』 が意外に面白い。時代を感じさせるところはあるが、さう、ちよいと半村良さんの傳奇小説に似たところがある。それにしても、テーマは 「漂泊民・サンカ」 である。沖浦和光さんの著書を讀んだり、沖浦さんとの對談ののちに書いたといふのならわかるが、それよりも二十年も前、今からだと三十五年も前にこのやうな小説を書いてゐたとは、五木さんを見直すといふか、とにかく感心してしまつた。沖浦さんによると、サンカの末裔の方々もこの書を讀んでゐたといふのだから、さらにびつくり!

 

つづいて、その五木寛之さんと沖浦和光さんとの對談 『辺境の輝き 日本文化の深層をゆく』 を讀みはじめたら、五木さんは、その二四頁で次のやうに語つてゐる。 

「サンカと呼ばれていた人たち、そして遊行者や遊芸民など、いろんな生業(なりわい)をやっている漂泊の民が、この列島の各地を流動して暮らしていた。そして、あたかも体の中を巡っているリンパ球のように、定住民の村や町を回遊していたわけですね。そういう人たちによって、この日本列島の文化というものが広められ、またたえず活性化されていたのではないか、というのが、ぼくの年来の幻想なのですが」 

そして、沖浦和光さんは 

「歴史の表へ出ることなくずっと裏街道を歩いた人たち、ひっそりと雑草のように生きて歴史の闇に消えていった人びと──そういう人たちの系譜をなんとか表へ出したい」

とおつしやつてゐる。なんとも頭のさがる思ひである。

 

 

 

 

正月一日~廿日 「讀書の旅」   ・・・』は和本及び變體假名本)

 

正月二日 五木寛之著 『隠された日本 中国・関東 サンカの民と被差別の世界』 (ちくま文庫) 

正月七日 三國連太郎・沖浦和光対談 『「芸能と差別」の深層』 (ちくま文庫) 

正月九日 日本冒険作家クラブ編 『夢を撃つ男』 (ハルキ文庫) 

正月十二日 野間宏・沖浦和光著 『日本の聖と賤 中世篇』 (人文書院) 

正月十三日 佐々木讓著 『暴雪圏』 (新潮文庫) 

正月十六日 佐々木譲著 『警察の掟』 (新潮文庫) 

正月十八日 今村翔吾著 『童の神』 (角川春樹事務所) 

正月十九日 紫式部著 『源氏物語二十二〈玉鬘〉』 (靑表紙本 新典社) 

正月廿日 五木寛之著 『風の王国』 (新潮文庫)