二〇二一年正月(睦月)元日(金)舊暦十一月十八日(己酉) 晴
ふだんとかはりない朝だけれど、お雑煮と酢だこがおいしかつた。
夜、ヨッちやん(三輪愛博君)と出會つた時からの寫眞を、ファイルにまとめてみた。濱岡時代に出會ひ、川和時代を經て、毛倉野時代まで七十枚を選び出せた。
萩 耿介著 『イモータル』(中公文庫) 讀了。本の帶に 「佐藤優氏推薦! とにかく面白い。古今東西の最良質の哲学を小説に組み込んだ傑作」 とあつたので、興味半分で讀んだけれど、あまり面白くなかつた! どうりで、一〇〇圓で買へたわけだ。むしろ、同じ著者の 『炎の帝』 のはうが面白さうだ。
今年の讀書豫定。日本古典文學は、できるだけ變體假名(和本・複製・影印)で讀むこと。『源氏物語』 は靑表紙本で繼讀。
説話文學、軍記文學、紀行文學は、元版群書類從特別重要典籍集(和本)の、〈雑部選〉と〈合戰部〉と〈紀行部〉にあるものを主に、和本か複製・影印本で讀む。
説話文學は、『日本現報善惡靈異記』 を繼読中。
軍記文學は、『將門記』 以降を、年代順に。
箱根驛傳をみながら、猫たちとともに過ごした。グレイが可愛い。
リチャード・スターク著 『悪党パーカー 人狩り』(ハヤカワ文庫) よみはじめる。
正月三日(日)舊暦十一月廿日(辛亥) 晴
正月四日(月)舊暦十一月廿一日(壬子) 晴
三輪愛博君のお兄さんに、『追憶 弟 三輪愛博の生涯』 の禮状を書かうとしたら、文字が思ふやうに書けない。携帶 やパソコンのメールばかりにたよつてゐたからだらう。愕然とした!
妻がこのところ咳と痰がとまらず、堀切中央病院へ行つたところ、念のためにPCR檢査を受けさせられた。結果は明日の夕か、明後日になるといふ。陽性でなければよいが。
リチャード・スターク著 『悪党パーカー 人狩り』 讀了
『高倉院嚴嶋御幸記』 をよむために、『平家物語 卷第四』 の 「嚴島御幸」 をよむ。「元和九年刊行の片仮名交り附訓十二行整版本を底本」とした講談社文庫でよんだのだが、古典文庫の「百二十句本」とはだいぶ内容が異なつてゐることがわかつた。
正月五日(火)舊暦十一月廿二日(癸丑・小寒) 晴たりくもつたり
夕方、妻がPCR檢査をうけた病院から連絡があり、結果が陰性であることがわかつた。こころからほつとした! が、安心してはゐられない。
正月六日(水)舊暦十一月廿三日(甲寅・下弦) 晴のち曇天
寒くて終日ベッドのなかで讀書。
『高倉院嚴嶋御幸記』 よみすすむ。
正月七日(木)舊暦十一月廿四日(乙卯) 晴、強風
今日も寒くて横になつたまま 『高倉院嚴嶋御幸記』 をよみすすむ。
夕食後、母の體温が、三七度だいからいきなり三八度になつた。九時過ぎには三九度にまであがる! 我が家も緊急事態をまぬがれさうもない。
正月八日(金)舊暦十一月廿五日(丙辰) 晴時々くもり
猫を抱いてテレビを見、寢床に入ればうとうとと讀書もままならず。
幸ひ母は風邪のやうで、PCR檢査は必要ないやうだ。しかし、食事をずらしたりして、母との接触を避けた。
正月九日(土)舊暦十一月廿六日(丁巳) 晴
日中は猫を相手にテレビを見、疲れたらベッドで讀書。
正月十日(日)舊暦十一月廿七日(戊午) 晴
昨夜、源通親著 『高倉院嚴嶋御幸記』 讀了。
「本書は院政期の天皇である高倉天皇(一一六一~八一)の厳島神社御幸を、近臣の源通親(一一四九~一二〇二)がかなで記した紀行文である。天皇の御幸は、治承四年 (一一八〇) 三月十九日に発し、陸路・海路を乗り継いで四月九日帰京するもので、後に 『平家物語』 の〈嚴島御幸〉の素材ともなった。
作者の源通親は、高倉天皇の近臣として仕えたが、平家没落のあとは後鳥羽天皇の乳父として頭角を現し、後鳥羽天皇の皇子が皇位につき土御門天皇となると内大臣に就いた。歌人としても知られる」
つづいて、同じ著者による高倉院の死去から一周忌までの様子を描いた 『高倉院升遐記(たかくらいんしょうかき)』 を、これは、岩波の新日本古典文学大系 「中世日記紀行集」 に入つてゐるのでよみだしたら、文章は漢籍を引用しての美辞麗句を連ねてゐるばかりなので、ただちにやめた。ちなみに、「『升遐』とは天皇や貴人の死のこと」とある。
そこで、ローレンス・ブロックの探偵マット・スカダー・シリーズの第十二作、『死者の長い列』 を讀みはじめる。安心してよめる。
正月十一日(月)舊暦十一月廿八日(己未) 晴
終日横になつて讀書。
考へたら、正月にはいつてから一度も外出をしてゐない。その運動不足がからだの水分をため込んでしまつてゐるのかもしれない。寢てゐても胸がくるしい。
*今日の新型コロナウイルスの国内感染者数は四八七六人、東京の新規感染者は一二一九人
正月十二日(火)舊暦十一月廿九日(庚申) 曇天のち小雨
受診豫定日ではなかつたけれど、慈惠大病院に通院した。あまりにも息苦しく、ペースメーカーを入れた直後に入院したときよりはげしい。ミカ先生の診察日であつたことにもよるが、檢査の結果、BNP値が先月では四七〇・一であつたのが、今日は七二七・三と驚くほど高い! それでも入院するほどではないやうで、要は尿をたくさん出すことにつきる、そんなことを感じた。それにしても息苦しくて、病院内では看護婦さんに車椅子にのせてもらつて移動するていたらくだつた。つまるところ、さらに二種類の利尿藥とカリウムを處方されて、タクシーで新橋驛まで乘り、歸路につく。
新年初の外出でもあるし、押上の天龍で餃子ライスをいただく。ところが、八つのうち三つしか食べられず、のこりはおみやげにしてもらつた。それにしても、ごはんと漬物とともに食べる餃子ライスは絶品、最高である!
夜、まだ一一時だつたけれど、三種類の利尿藥を飲んで寢た。
正月十三日(水)舊暦十二月一日(辛酉・新月) 晴
三種類の利尿藥がよく効いた。明け方までに八回トイレにかけこみ、六二・九キロあつた體重が一・七キロ減! むろんからだがらくになり、息苦しさもなくなつた。
それでも日中は横になつて過ごす。讀書すすまず。
「『日本のいちばん長い日』、『ノモンハンの夏』など昭和史に光をあてた作家の半藤一利(はんどう・かずとし)さんが死去したことが十二日分かった。九十歳だった」
正月十四日(木)舊暦十二月二日(壬戌) 晴、あたたか
今朝は五時三〇分に三種類の利尿藥をのむ。朝食までに六回トイレに行き、體重が一・三キロ減!
窓際があたたかいので、リクライニングチェアで讀書。
日中、洗髪。
つづいて、ローレン・D・エスルマン著 『シュガータウン』(ハヤカワ・ミステリ) といふ、初めての作家だが、帶に、「チャンドラーの心を継ぐ正統派 私立探偵小説大賞受賞」とあつたのでよみはじめた。
正月十五日(金)舊暦十二月三日(癸亥) 曇天
今朝は六時に利尿藥をのみ、六一・七キロあつた體重が朝食までに〇・七キロ減!
正月十六日(土)舊暦十二月四日(甲子) 晴、あたたかい
今朝は五時四〇分に利尿藥をのむ。
朝一で青島齒科に連絡し、治療していただいた。
午後、Eテレで、「TVシンポジウム 心不全パンデミック 高齢者の心臟を守る」をみた。參考になつたのは、漢方の利尿藥があることを知つたことだ。
『シュガータウン』 よみすすむ。
正月十七日(日)舊暦十二月五日(乙丑) 曇天
今朝は七時三〇分に利尿藥をのみ、朝食までに〇・九キロ減!
『シュガータウン』 よみすすむ。
柴又の川甚が今月いつぱいで閉店するといふ。ぼくと美知子が婚約(式)をしたときに利用したところだ。參道にある川千家はひよいと入りやすいが、川甚のばあいは氣輕に一人で入れはしない。會食をさけるとならば、利用する客も少なくなるといふものだ。
アマゾンを通して、「国産会津馬刺し モモ 200g(200g×1パック 特製辛子味噌だれ付)」を注文した。
正月十八日(月)舊暦十二月六日(丙寅) くもり、一時風花が舞ふ
今朝は五時に利尿藥をのみ、體重が朝食までに六〇・〇キロまでさがつた! とてもからだがらくになり、心臟も存在感を主張することなく、調子よく一日をすごすことができた。
晝食は久しぶりに喜久家に行くが、そばの汁が美味しくない。味がうすくてものたりない。でも、妻が氣にいつてゐるので通つてゐるが、できればほかのおいしいところをさがしたい。
正月十九日(火)舊暦十二月七日(丁卯) 晴、風が冷たい
四時三〇分、今朝はみぞおちが張つたので、早めに利尿藥をのむ。六〇・九キロあつた體重が朝食までに五九・五キロまでさがつた!
定例通院日。今朝は御成門驛からどうにかふつうに歩くことができた。で、檢査後、診察の前にペースメーカーの調子をみて、脈拍數の最低値を五五から七〇にあげたり、いつもより丁寧に調べたあとで診察。自作の「排尿表」を提示。BNP値があまりさがつてゐないのが氣になる。
會津の馬刺しがとどき、夕飯でたべた。モモ肉だからだらうか、齒ごたへがあつて、あまり味はひぶかくなかつた。次回は、ロースにしてみよう。
正月廿日(水)舊暦十二月八日(戊辰・大寒) 晴
利尿藥についての記録をつづけたいと思ふが、飲むのも朝早ければ、その結果を書きとめるのもめんどうではある。飲んだ時間とその時の體重、トイレの時間と回數。そして、朝食までの記録にしたい。
ローレン・D・エスルマン著 『シュガータウン』 讀了。ようやく讀み終へたといひたい。なにしろ讀み飛ばすことをゆるさない、粘りつこさがある。描寫が丹念すぎてはやく物語にもどれとなんども言ひたかつた。
つづいて、W・L・リプリー著 『夢なき街の狩人』(創元推理文庫)。
W・L・リプリー著 『夢なき街の狩人』 よみすすむ。『シュガータウン』 よりテンポがはやくてよみやすい。
正月廿二日(金)舊暦十二月十日(庚午) 晴
寝起きに利尿藥をのみ、排尿をうながしつづける。
午前か午後、猫たちとともにすごす以外、ベッドで横になつて讀書か居眠り。このところ、こんな日々の連續である。
『夢なき街の狩人』 よみすすむ。
正月廿三日(土)舊暦十二月十一日(辛未) 雨
『夢なき街の狩人』 讀了。
つづいて、堀田善衛の 『方丈記私記』(ちくま文庫) をよみはじめる。なんどかよみかけてはやめてしまつたが、今回はよみ通したい。
正月廿四日(日)舊暦十二月十二日(壬申) 雨のちやむ、寒い
『方丈記私記』 よみすすむ。
金谷節子さんに、「高森昭先生追悼文集」 を宅急便で送る。
正月廿五日(月)舊暦十二月十三日(癸酉) 晴
突然熱がでた。朝一〇時頃に七度二分、一二時すぎには八度五分! すぐに、近くの堀切中央病院に電話したら、PCR檢査をしてくれるといふ。約束の午後二時すぎに病院へ行つたら、車中のままで、けらけら笑ふ明るい重装備の看護婦さんに、鼻から長い棒を突つ込まれて檢査をうけた。病人には看護婦さんが若くて明るいのが一番だと思つた。
熱はあがつたりさがつたり、下痢もとまらず、横になつてゐても寢苦しい一日だつた。
じつは明日、濱松の節子さんが上京するといふので、明學で同窓のマキさんやら秀子さんらと一緒に會ふ計畫を立ててゐたのだが、昨夜急遽中止といふことになつた。殘念だがよかつたと思つた。
正月廿六日(火)舊暦十二月十四日(甲戌) 晴
尿がですぎて體重が五九キロ代まで落ちたので、利尿藥を早朝飲むのをやめて、朝食後他のクスリと一緒に飲むことにした。
昨夜からの下痢と熱がとまらず、冬眠中のケモノのやうに萬年床化したふとんのなかでまるまつてすごした。
四時過ぎ、病院から妻のもとへ連絡があり、「淳ちゃん喜んで❗ 陰性だって これから馬橋迎えに行くね」 といふメールがあつた。一應ほつとした。
そのあと、安心してモモタたちとすごすことができた。
『方丈記私記』 よみすすむ。熱がでても讀書できるが、腹が痛いとさうもゆかない!
正月廿七日(水)舊暦十二月十五日(乙亥) 曇り、あたたかい
昨夜はかつたら、體重が五八・四キロにまでさがつた。下痢で食べられず、尿も出盡した感じだ。心臟の調子はわるくない。
やつと食べられるやうになつたのも救ひだ。
『方丈記私記』 よみすすむ。すこしづつよみ進むが、なんとしても手強い。何度も讀みかけてはやめてゐたのも無理はない。しかし論點はじつに急所を押さえてゐる。
それで、本書の肝心のテーマについて言及されてゐると示唆されて、中野孝次著 『実朝考―ホモ・レリギオーズスの文学』 (講談社文芸文庫) を讀みたくおもひ、今年初めて日本の古本屋を通して、靜岡の太田書店に注文してしまつた。
いづれにせよ、最後の章は、うまくまとめることなんかできやしないほど壓卷であり、王朝文學なんてやつてられないと叫びたくなつて、ぼくの讀書計畫を根本的に變へてしまふ豫感に溺れさうになつた!
それで、堀田さんの遺稿である 『故園風來抄』 を注文した。
正月廿八日(木)舊暦十二月十六日(丙子) 曇天のち雪
昨夜、堀田善衛著 『方丈記私記』(ちくま文庫) 讀了。讀後感をしるすには體力がないが、次の文章だけは寫しておきたい。
「この本歌取り宮廷美学(現実を拒否し、伝統を憧憬することのみを芸術とした文化)と相対して、私は、彼らの宮廷の美を認める者だ、認めざるをえない、そうして、しかもなお私は、認めた上で長明とともにかかる 『世』 を出ていく。無常の方へ行く。それが逃避であると見える人は、この国の業の深さを知らない人なのだ」
さて、どうして出ていかなければならないのかが、この本の主題であることは言ふまでもない。「王朝文學なんてやつてられないと叫びたくなつ」たのにもわけがある!
巻末の 五木寛之との對談も興味深かつたけれど、〈長明の定家批判〉のところで、せつかく堀田さんが振り向けた話題をすりぬけてしまつた五木さんにはがつかりした。
内容・・・1945年3月、東京大空襲のただなかにあって、著者は「方丈記」を痛切に再発見した。無常感という舌に甘い言葉とともに想起されがちな鴨長明像はくずれ去り、言語に絶する大乱世を、酷薄なまでにリアリスティックに見すえて生きぬいた一人の男が見えてくる。著者自身の戦中体験を長明のそれに重ね、「方丈記」の世界をあざやかに浮彫りにするとともに、今日なお私たちをその深部で把えて放さぬ伝統主義的日本文化を鋭く批判する名著。毎日出版文化賞受賞。
つづいて、鴨長明の 『発心集』(角川文庫) をよみだす。
とするなら、よみつづけてゐる 『日本現報善惡靈異記』 を角川文庫にかへてよみあげてしまほう。
正月廿九日(金)舊暦十二月十七日(丁丑・滿月) 晴
晝、妻とお花茶屋のオリンピックに出かけ、近くのそば屋(賀登利庵)で天ぷらそばと馬刺しを食べた。馬刺しは四種類でてきたが、みな硬くてそれほど美味しくはなかつた。腹は回復したやうだが、そばもおいしく食べられない。味覺が變調をきたしてゐるのだらうか。
中野孝次著 『実朝考―ホモ・レリギオーズスの文学』(講談社文芸文庫) と、堀田善衛著 『故園風來抄』(集英社) が屆く。兩者ともに今のぼくの關心に合致し、樂しみだ。
また、中野孝次さんが 『実朝考』 の前年に發表した 「実朝論 『怨念の文学』」 が讀みたくて、「すばる 文芸季刊誌 1971冬 第3号 特集:根源的な問い」(集英社) を日本の古本屋でさがして注文した。北海道小樽の本屋だ。
正月卅日(土)舊暦十二月十八日(戊寅) 晴、あたたかい
體調がもどつてきた。
『日本現報善惡靈異記 卷下』 讀了。だいぶ生臭ひはなしの連續で、いささか鼻につきはじめたらやつと終つた。
『故園風來抄』 は、「朝日新聞社刊 『冷泉家時雨亭叢書』 の月報に(1992年12月より98年6月まで、31回にわたって)連載された」遺作隨筆集であり、定家を批判した著者にしてはなぜここにといふ疑問がのこる。
ローレンス・ブロックの探偵マット・スカダー・シリーズ 『処刑宣告』 (二見文庫) をよみはじめ、すぐにぐぐつと引き込まれる。これは讀書の潤滑油だ!
正月卅一日(日)舊暦十二月十九日(己卯) 晴、今日もあたたかい
午前中、寢室の本をかたづける。書齋と書庫への移動が主だが、だいぶすつきりとした。
晝食は久しぶりに、即席だが美味しい冷し中華そば(明星中華三昧 涼麺)をいただく。
午後、宝町二丁目にある、美知子が通りすがりに、キリンの造形!に注目した造園屋さんの家を訪ねたが、出かけた樣子で會へなかつた。あいさつに、毛倉野の山で見つけた鹿の角をお持ちしたのを置いてきた。
堀田善衛著 『故園風來抄』(集英社) 一氣に讀了。
正月一日~卅一日 「讀書の旅」 (『・・・』は和本及び變體假名・漢文)
元日 萩 耿介著 『イモータル』 (中公文庫)
四日 リチャード・スターク著 『悪党パーカー 人狩り』 (ハヤカワ・ミステリ文庫)
九日 源通親著 『高倉院嚴嶋御幸記』 (元版群書類從特別重要典籍集)
十四日 ローレンス・ブロック著 『死者の長い列』 (二見文庫)
廿日 ローレン・D・エスルマン著 『シュガータウン』 (ハヤカワ・ミステリ)
廿七日 堀田善衛著 『方丈記私記』 (ちくま文庫)
廿八日 『日本現報善惡靈異記 卷中』 (元版群書類從特別重要典籍集+角川文庫)
卅日 『日本現報善惡靈異記 卷下』 (角川文庫)
卅一日 堀田善衛著 『故園風來抄』 (集英社)
正月に買ひ求めた本
廿九日 中野孝次著 『実朝考―ホモ・レリギオーズスの文学』 (講談社文芸文庫)
廿九日 堀田善衛著 『故園風來抄』 (集英社)