二〇二一年二月(如月)一日(月)舊暦十二月廿日(庚辰) 曇りのち晴

 

ふ~む、鋭い! 中野孝次著 『実朝考―ホモ・レリギオーズスの文学』(講談社文芸文庫)、 堀田善衛さんの 『方丈記私記』 をよんでゐなかつたら、おそらく何を言ひたいのかがよく呑み込めなかつたかもしれないと思つた。はじめの數頁ですでに、堀田さんが示唆してくれた以上のことが述べられ、先が樂しみである。

それにしても、堀田さんがそこを出るしかないと言つた 「本歌取り宮廷美学(現実を拒否し、伝統を憧憬することのみを芸術とした文化)」世界に對して、中野さんは、「この国の遺産をもういちど生者の世界にとりもどす唯一の道」を切り拓くこうとして歩みはじめてゐる。つまり、日本古典文學をどのやうに讀んだらよいのかを探ろうとしてゐるのだと思ふ

 

晝は、西日暮里のうな鐵でうな丼と山かけをいただき、諏訪台通りを日暮里まで歩く。そして、上野のヨドバシカメラに行き、ソニーのFM・AMラジオを購入。毛倉野にゐた時求めた同じ型のがどうやら壽命がつきたらしいので新調したのだが、俄然音質がいい!

 

 

*山かけ と 諏訪神社の山車人形(鎭西八郎 源爲朝)

 


 

 

二月二日(火)舊暦十二月廿一日(辛巳) 曇りのち晴、あたたい

 

本の處分とは別に、臺所の納戸に保管しておいた木材やすす竹を中村莊の書庫へはこび、書庫の木工用の銘木、道具・工具とともに、さしあげる準備をしてゐたら、ちやうど夕方、造園の斎藤さんから連絡があつて、それらを取りに來てくれた。娘さんと思はれる女性と二人で、てきぱきとトラックの荷臺に積みこんでくれた。初對面だが、はなしがあひさうだ。

大事にしてゐた木材・銘木だつたけれど、重荷をおろしたやうでさつぱりした。惜しいとは思はないやうにした。

ローレンス・ブロックの探偵マット・スカダー・シリーズ第十三作 『処刑宣告』(二見文庫) よみすすむ。

 

 

二月三日(水)舊暦十二月廿二日(壬午・立春) 晴

 

母はデイサービス、妻は買物に出かけたので、お晝は驛前のタカノに行き、タンメンの少なめと餃子をいただいた。

その歸りのことだ。平和橋通りと川の手通りの交差點の角、いつもシャッターがおりてゐる “大八元” が開いてゐて、ちやうど中から厚化粧のおかみさんが出てきた。ので、お店は閉じてしまつたのかと聲をかけて聞いたら、いや、このコロナ騒ぎが終つたら再開しますよといふ。これは朗報だつた。ここのソース焼きそばは他では味はへない絶品である!

 

 

二月四日(木)舊暦十二月廿三日(癸未) 晴、春一番!

 

このところ食事がおいしい。食欲もあり、食べすぎと鹽分のとりすぎに警戒!

晝食後、中村莊の處分すべき本を、三箱詰めた。もう少し詰めてから 「日本聖書協会 古本募金」 に連絡しよう。木材と道・工具が處分できたので、あとはただ大量の本のみ。

ローレンス・ブロック著 処刑宣告』 讀了。文庫本にしても五〇〇頁あるとよみごたへがある。面白かつた。何が面白いといつて、毎回どんな謎解きと犯人捜しが展開するか、じつくりとそのお手並みを堪能できるからだ。

で、中野孝次著 『実朝考』 を途中から再開。『吾妻鏡』 を手もとにおく。

 

 

二月五日(金)舊暦十二月廿四日(甲申・下弦) 晴

 

晝、お花茶屋のオリンピックに買物がてら、近くのえびす亭といふ中華の店にはじめて入り、スーラータンメンを食べた。うまかつた。

歸宅後、中村莊の本を、今日は二箱詰めた。もう、ISBNコードの有無を氣にしないで詰め込んだ。

中野孝次著 『実朝考』 繼讀。

注文した、「すばる 文芸季刊誌 1971冬 第3号 特集:根源的な問い」(集英社) が小樽からやつと屆いた。すると、期待してゐた中野孝次さんの文章(「怨念の散歩─実朝、ホモ・レリギオーズスの文学」)が、今讀み進んでゐる 『実朝考』 とまつたく同じもの、つまり單行本化する前の發表作品であることがわかつた。ダイジェストか要旨、あるいは 『実朝考』 の紹介文程度のものかとおもつてゐたので、がつかりといふより、無駄買ひしてしまつてがつくり。

しかし、「翻訳以外に、自分が初めて書いた自分の声であり、これが遅い出発点であった」と述べてゐるやうに、著者、四十七歳の記念碑的作品であることは間違ひない。

 

*タカノのタンメン・餃子 と えびす亭のスーラータンメン

 

 


 

 

二月六日(土)舊暦十二月廿五日(乙酉) 晴、あたたかい

 

昨日、不動産屋だか建設業者だかが來て、裏の尾池さんの土地に、五軒の建賣住宅が建てられるので、すべて取り壊すことになつたと知らせてきた。といふことは、庭木の生ひ茂つた廣い庭もなくなるといふことで、まづ最初にノラ猫やエサをついばみにくるたくさんの鳥たちが可哀さうだなと思つた。

 

 

 

 

中野孝次著 『実朝考』 繼讀。讀んでゐて、實朝の魅力がどこにあるかがわかつてきた。魅力といつては失禮だが、次のやうに述べられてゐる。

「彼が新古今歌人らと決定的に違うのは、そのゆたかで鋭敏な感性のアンテナがつねに生きている者の世界に向って張られていて、それになによりも深く感じてしまう己をどうしようもなかったことだ」。それにたいして、

「この地下(ぢげ─宮中に仕える者以外の人々の称)の現実への共感、というより想像力のなさが、宮廷人とよばれる支配者たちの最大の特徴なのだろう」

「問題は、それにもかかわらず、なおこういう豪奢に暮し洗練されきった宮廷人たちが、貧しく野蛮な生者たちには 『貴人』 と見えるということで、ここに伝統と文化のもつ危険な性格がある」。

以上の點は、堀田善衛さんが、『方丈記私記』 の冒頭でのべてゐることを裏付けてゐるとおもふ。ところが、中野さんは、さらに次のやうに言ひきつてゐる。ちよいとあひだを飛ばすが、

「彼らの典雅で完成された挙措は、様式をもたぬ田夫野人を恥じいらせるし、かれらの学識才能は野蛮人を圧倒し、完璧なまでに整ったその儀式の荘重さ、容儀の華麗は、その背景に光輪のように輝いている歴史の重さと相俟って、地下の者に絶対的な威圧感を、ほとんど恐怖を与える。承久の戦の前に鎌倉での最大の問題は、この恐怖感をどうするかという、その一事だったくらいだ。当時でさえも 『それ自体において尊厳で絶対的価値である朝廷』 という威圧感はそれくらい大きかったのである」。

「繰返していうと、問題は、この(宮廷人の)労働しない手を(地下人の)骨ばった手より美しいと感じる感受性を、ぼくらがいったい自己のうちでどこまで完全に払拭できるかどうかということだ。(中略) 日本の国学の伝統はそれをそういうものとして承認する方向にだけ流れてきたようだが、ぼくはそれを美しいと感じることを、自己にたいする倫理的命令として拒否したい。ぼくは、自分自身をふくめて、十何世紀かにわたって 『君』 に支配されてきた者たちの怨念の深さにおいてそれを拒否したい」。

よくも言つてしまつたものだと思ふが、たしかに、堀田さんが微妙に避けたところをはつきりと言ひきつてゐる。實朝は、このやうな絶對的な朝廷と野蛮人とのはざまにあつて、不幸にも暗闇のなかに獨りたたずんでゐるのである。

 

* ミュージカル映画 『サウンド・オブ・ミュージック(The Sound of Music)』 などで知られるクリストファー・プラマー(Christopher Plummer)さんが死去。91歳。

 

 

二月七日(日)舊暦十二月廿六日(丙戌) 晴、あたたか

 

中野孝次著 『実朝考―ホモ・レリギオーズスの文学』(講談社文芸文庫) 讀了。

昨日讀んだあたりがぼくにとつては最も刺激的で參考になつたが、期待してゐたやうなくくり方ではなかつたのが惜しい。だが、西行とともに、宮廷歌壇のありかたをその根底からゆさぶつた實朝の功績がどこにあるかがよくわかつた。

そこで、小林秀雄の 『無常といふ事』(角川文庫) を出してきたけれど、つい志水辰夫の 『暗夜』(新潮文庫) に引かれて讀みだしてしまつた。潤滑油だ!

晝食後、今日は中村莊の本を三箱詰めた。計八箱になつたので、そろそろ連絡しよう。

 

 

二月八日(月)舊暦十二月廿七日(丁亥) 晴、さむい

 

今日も晝食後、中村莊の本を二箱詰め、計一〇箱になつたので、「聖書協会 古本募金」 に連絡した。明日の晝頃取りに來るといふ。

志水辰夫著 『暗夜』(新潮文庫) 讀了。

内容・・・弟は三年前、本牧埠頭に沈んだ愛車の中で発見された。腹をえぐられて死んでいた。榊原俊孝はその死の謎を追う。知らぬ間に、中国古美術の商いに深入りしていた弟。彼から母が預かった唐三彩の水差しは、混迷を解く鍵となるのか―。様々な思惑を胸に秘め、大胆に動き始める兄。日中両国、幾人もの欲望が渦を巻く危険なゲームが、そして、始まる。志水辰夫の新境地たる漆黒の小説。

まあね、一氣によませたけれど、こころにのこるやうな内容ではなかつたな。

 

 

二月九日(火)舊暦十二月廿八日(戊子) 晴、さらにさむい

 

小林秀雄の 『無常といふ事』(角川文庫) よみすすむ。

「西行」 に入つて、『方丈記私記』 と 『実朝考』 の論點とがみな重なりあつてきた。

「如何にして歌を作らうかといふ惱みに身も細る想ひをしてゐた平安末期の歌壇に、如何にして己れを知らうかといふ殆ど歌にもならぬ惱みを提げて西行は登場したのである。彼の惱みは専門歌道の上にあつたのではない。陰謀、戰亂、火災、饑饉、惡疫、地震、洪水、の間にいかに處すべきかを想つた正直な一人の人間の荒々しい惱みであつた。事もなげに古今の風體を装つたが、彼の行くところ、當時の血腥い風は吹いてゐるのであり、其處に、彼の内省が深く根を下してゐる點が、心と歌詞との關係に想ひをひそめた當時の歌人等の内省の傾向とは全く違つてゐたのであつた、彼の歌に於ける、わが身とかわが心とかいふ言葉の、強く大膽な獨特な使用法も其處から來る」

これは、實朝に變へても言へることで、中野孝次さんが 『実朝考』 で訴へてゐるところであつたと言つていいとおもふ。

『実朝考』 のなかの言葉を借りて言へば、「かれら(貴族文人とその美學)にとっては、現実を厭離し、古典(三代集以前の「ふるきことば」)によって強く黄金時代につながり、過去とのきずなをたしかめることが、歌をよむことの意味だった」のであり、そのことをふまへれば、西行が「いかにすべき我心」と、執拗に繰り返し續けたことは、瞠目すべきことであつたにちがひない。

小林秀雄は、「彼(西行)は、歌の世界に、人間孤獨の觀念を、新に導き入れ、これを縦横に歌ひ切つた人である」と斷言してゐる。

さう考へてみると、『方丈記私記』 にはじまつた探求が、『実朝考』 をへて、明瞭になつてきた。ただ、この西行の「人間孤獨の觀念」を歌ひきつたことと、實朝の孤獨とがどう違ふのか、小林秀雄の説を待ちたい。

ちなみに、發表年代順で言へば、小林秀雄 『無常といふ事』 が一九四六年(昭和二十一年)、『実朝考』 が一九七一年(昭和四十六年)一月、そして 『方丈記私記』 が一九七一年七月。つまり、中野孝次さんは、小林秀雄をすでに讀んでゐたであらうが、ただ自分の問題意識を深め、「自分の声」で書かれたことはあきらかであらうと思ふ。

 

晝に佐川急便が來て、本を詰めた段ボール箱十箱を持つていつてくれた。

 

 

*我が家の二階から見た裏の庭 と 段ボール箱。

 


 

 

二月十日(水)舊暦十二月廿九日(己丑) 晴のちくもり

 

今年になつてはじめての古本散歩に出かけた。場所は、柏驛のモディ柏店の古本市と太平書林、それに歸りによつたブックオフ綾瀨店。

古本市はからぶりで、はじめて購入した本は、太平書林で、真継伸彦著 『鮫』(河出文庫) と、辻邦生著 『嵯峨野明月記』(中公文庫)。綾瀨では、黒川博行著 『蜘蛛の糸』(光文社文庫) の計三册。

晝食は、昨日ネットで調べた、ふぐ料理の “玄品(げんぴん)柏店” といふ店に入つてみた。一番安いコース料理 「玄」 の、付き出しの湯引き、てつさ、てつちり、雑炊をいただいたがじつに美味しい。とくに、玄品ふぐこだわりの特製ポン酢の味がいい! ただ殘念なことに、〆の雑炊はほんの少ししか食べられなかつた。

途中で一組の男女が入つてきただけで、さびしいくらゐすいてゐた。

歸宅して氣づいたのだが、てつちりと雑炊の鍋を沸かすのにIHクッキングヒーターを使用してゐたのだつた。ペースメーカーには近づけてならなかつたと思ひ、ひやりとした!

今日の歩數・・・六三五〇歩。

 

小林秀雄の 『無常といふ事』(角川文庫) 讀了。一九六七年二月に讀んで以來、何度も手に取つてはゐたが、やつとその内容がわかつてきたと言へやうか─小林秀雄は、その 「實朝」 の冒頭で、「僕等は西行と實朝とを、まるで違つた歌人の樣に考へ勝ちだが、實に非常によく似たところのある詩魂なのでる」と述べて、「眞淵によつて主張され、子規によつて拍車をかけられた、萬葉による實朝の自己發見といふ周知の假説」を否定はしてゐないけれど、そのやうな詮索は、「實朝といふ詩人について何を語るものでもあるまい」と、退けてゐる。

むしろ、「西行と實朝とは、大變趣の違つた歌を詠んだが、ともに非凡な歌才に惠まれ乍ら、これに執着せず拘泥せず、これを特權化せず、周圍の騒擾を透して遠い地鳴りの樣な歴史の足音を常に感じてゐた異樣に深い詩魂を持つてゐたところに思ひ至ると、二人の間には切れぬ縁がある樣に思ふのである」と、小林秀雄流のもつて回つた言ひ方ではあるが、はつきりと述べてゐる。

つまり、「周圍の騒擾を透して遠い地鳴りの樣な歴史の足音を常に感じてゐた異樣に深い詩魂を持つてゐた」といふところが大事で、ここに、周圍の現實を排して古き言葉に執着する宮廷歌人らとの決定的な違ひがあり、この二人によつて、和歌の歴史が斷絶されたのだと言つていいのだと思ふ。このやうに考へれば、中野孝次さんと堀田善衛さんは、そこからさらに飛躍したといふか、宮廷歌人の文化の問題に結集したと言へるのではないか。

それにしても、西行と實朝、もう少し探つてみたくなる。

手もとにある、『山家集』、『山家心中集』、それに、『金槐和歌集』 を、まづはよんでみよう。

ちなみに、『山家心中集』 は、「西行(一一一八~一一九〇)晩年の歌集の一つである。花、月、恋、雑からなり、西行自詠歌三六〇首など、計三七四首を収めている。末尾には藤原俊成(一一一四~一二〇四)との贈答歌があり、承安末年(一一七五)頃の成立と推定される。巻末に自跋などがある鎌倉時代中期に遡る唯一の完本として貴重である」

 

 

*“玄品”の 湯引きとてつさ、てつちり。ポン酢が絶品!

 


 

 

二月十一日(木)舊暦十二月卅日(庚寅) 晴

 

ドナルド・キーン著 『日本文学史 - 古代・中世篇三』(中公文庫) のうち、「説話文学」の章を讀み、『日本現報善惡靈異記』 につづく説話の讀む順番を確認する。

それと、『日本文学史 - 古代・中世篇四』 の、西行、源實朝、鴨長明の項目と、それ以下の佛敎説話の項目を讀む。

 

 

二月十二日(金)舊暦一月一日(辛卯・朔) 晴

 

古本散歩、今日は今年はじめて神保町に出かけた。綾瀨から新御茶ノ水驛下車、驛前の新お茶の水ビル地下の“誠鮨”でランチのちらし壽司をいただいてから、水道橋驛まで電車に乘り、古本屋街を歩きはじめる。

探し出したかつたのは無住の 『雑談集』 だつたが、結局見つけられなかつた。が、以下五册の収穫があつた。

求めた順に、日本書房では、無染居士著 『道歌心の策 全』(林喜兵衛板、幕末頃刊) の古びた和本。ワゴンのなかで三〇〇圓。

つづいて、西秋書店では、田中裕編 『正徹物語』(和泉書院影印叢刊) と 吉本隆明著 『源実朝』(ちくま文庫)。お久しぶりといふことでおまけをして下さつた。

さらに、一誠堂書店では、店頭のワゴンの中から、樋口芳麻呂校注 『金槐和歌集』(新潮日本古典集成)。最後に八木書店を訪ねたが、その途中の澤口書店の店頭で、きれいな文語譯の 『新約聖書 改譯』(日本聖書協会) が二〇〇圓だつたので入手。

八木書店では、求めたい本に出會はなかつたので、靑年店員さんに新年のあいさつをしただけで歸路についた。

また、歸宅すると、神戸の昼猫堂から、斎藤茂吉校訂 『新訂 金槐和歌集 増補新版』(岩波文庫 昭和十四年) が屆いてゐた。

出がけに目についた、嵐山光三郎著 『西行と淸盛』(中公文庫) を持ち歩き、よみはじめる。

今日の歩數・・・六二四〇歩。

 

 

二月十三日(土)舊暦一月二日(壬辰) 晴

 

嵐山光三郎著 『西行と淸盛』 よみつづける。

 

夜、一一時すぎに地震がある。福島、宮城兩縣で最大震度6強を觀測したといふから、ちやうど一〇年前の東日本大震災の再來のやうな大地震であつた。

 

 

二月十四日(日)舊暦一月三日(癸巳) 晴

 

朝、尾池正ちやんが、明日から家と庭の解體工事がはじまると知らせにきた。庭の植物はご自由にと言つてくれたので、近所の方々と、水仙やらふきのとう、木賊やブルーベリーの木などを掘つていただいてきた! ただ、サクランボのなる櫻の木や金木犀、ヒメシャラ、ツバキ、松などの太い木には手が出せなかつた。久しぶりにスコップを使ひ、汗をかいた。

妻が、そのふきのとうでふきみそを作つたので、夕食で味はつたら、ほろ苦い春の香りがした。

 

嵐山光三郎著 『西行と淸盛』 讀了。

カバーの内容紹介によると──「武士としての身分を捨て、出家したものの、大臣家に仕え、鳥羽上皇や崇徳院とも知遇を得ていた西行は、おのずと天皇と上皇が争う政治状況に巻き込まれていく。北面の武士としての同僚、清盛が権力の中枢にのぼりつめていく一方で、歌を詠むことで遁世者たらんとする西行。同じ花弁の表裏のような二人の男を描く時代小説」 とある。

が、本文で面白かつたのは、「西行は人に思われているほど旅をしていない。西行を 『旅の歌人』 と規定するのは、のち、西行をしたって 『奥の細道』 を旅した芭蕉がいいふらした影響がある」 と述べられてゐるところで、それにしても、西行が没した一一九〇年の二年後に誕生したにしろ、實朝にまつたくふれてゐないのがものたりなかつた。

さういへば、明日二月十五日が “西行忌” だつたはづだ。 

 

 


 

 

二月十五日(月)舊暦一月四日(甲午) 雨のちやむ、強風

 

今日は、太宰治の 『右大臣実朝』(近代文庫) をよみはじめた。

内容──太宰治の短編小説。初出は 「右大臣実朝」[錦城出版社、1943(昭和18)年]。12歳の頃から実朝に仕え、その没後出家したかつての近習「私」が、実朝の死から20年経った時点から、その人柄や後半生を回想しつつ語る作品。「私」によって明かされる実朝像が緊張感のある展開を生んでいる。

また、『源氏物語三十五〈若菜下〉』(靑表紙本) もすこしづつよみ進んでゐる。

 

 

二月十六日(火)舊暦一月五日(乙未) 晴

 

今日は慈惠大病院に通院。血液檢査と心電圖檢査の結果がすこぶるよくてほつとする。IHクッキングヒーターについても、鍋をつつつくくらゐは問題ないと言はれて安心し、歸路、マキさんと上野廣小路の松坂屋角で待ち合はせてゐたので、一緒にだうだうと“玄品(げんぴん)上野店” に入つた。今回も 「玄」 のコースを注文し、二人でにこやかに味はふ。今回は雑炊もデザートも味はいつくすことができた。

食後、梅の花がほころびはじめた湯島天滿宮をへて、御茶ノ水驛まで歩いて別れた。

今日の歩數・・・八一二〇歩。

 

『右大臣実朝』(近代文庫) をよみすすむ。だが、段落がなく文字が紙面をびつしりうめつくしてゐるのはなんともよみづらい。 

 

 


 

 

二月十七日(水)舊暦一月六日(丙申) 晴のち曇天

 

今日は朝から、裏の庭の木々がチェーンソーで切り倒される悲鳴のやうな音に耐へられなくなり、ちやうど古本を取りに行く用もあつたので外出した。といふのも、新潮日本古典集成の 『山家集』 が板橋の古本屋にあることがわかつたので、送つてもらふより取りに行つたはうがはやいので出かけたのであつた。

池袋から東武東上線で二つめの下板橋驛下車。この驛は、《東京散歩》 の 〈コース番號3〉 で、ときわ臺驛をスタートしたコースのゴールであつたことを思ひだした。二〇一七年四月のことであつた。「谷端川緑道」に沿つてしばらく歩いていくと、大山金井町につきあたり、その一角にめざす水たま書店はあつた。店主は誠實さうな靑年で、『山家集』 を受け取つた後で、處分しはじめてゐるぼくの本のことを話すと、なんと、すべて買ひ取つてくれるといふ。しかも家まで取りに來てくれるといふのだからありがたい。あらためて近日中に連絡することを約束して歸路についた。

歸りは、大山驛まで歩き、池袋の東武百貨店で天龍の餃子を食べようとしたら、なんと百貨店が全店お休みだつた。といふことで、急遽銀座に向ひ、本店の銀座天龍で餃子ライスをいただくことができた。それも、八個のうち今日は六個食べることができて萬々歳であつた。ただ、池袋店だつたら一皿六個を選べたので完食できたのに殘念だつた。ついでに、上野廣小路のブックオフにも立ち寄つた。

今日の歩數・・・七五七〇歩。 

 

 


 

 

二月十八日(木)舊暦一月七日(丁酉) 晴

 

處分する本を買ひ取つてくれることがわかつたので、さつそく選別を再開する。まづ、書齋と書庫の本棚の本を選り分け、すこしづつ處分部屋に運んだ。からだもかるくなり、息が切れなくなつたのが不思議なくらゐで、できるだけはやく選別し終へたい。

 

『右大臣実朝』 をよみ進む。じつくり讀ませるといふより、忍耐がゐる。

 

 

二月十九日(金)舊暦一月八日(戊戌) 晴

 

今日も書齋と書庫の本を選別、大鉈を振るふとはこのことかと思へるくらゐ大膽に選り分けた。ただ、階下へは古本屋さんが來てくれたときに運んでもらへばいいわけで、そこは無理することをやめた。

 

晝は、またお花茶屋のオリンピックに行き、えびす亭のスーラータンメンを食べた。ついでに、夕食のおかずに、「いとよりのお造り」だとか、お菓子や飲み物などを買ひ込む。

 

太宰治の 『右大臣実朝』(近代文庫) 讀了。つづいて、片づけてゐた本のなかにあつた、葉室麟の 『実朝の首』(角川文庫) をよみはじめた。『右大臣実朝』 が實朝が暗殺されたところで終りだつたので、そのあとを引き繼ぐやうな内容で面白い。

内容・・・建保7(1219)年正月、鎌倉・鶴岡八幡宮でおこなわれた右大臣拝賀式の夜、甥の公暁によって殺された源実朝。血で血を洗う骨肉の惨劇。公暁を指嗾した黒幕は? 忽然と消えた実朝の首をめぐって繰り広げられる権謀術数。歴史文学賞・松本清張賞受賞の気鋭が放つ書き下ろし歴史長篇力作。

 

 

二月廿日(土)舊暦一月九日(己亥・上弦) 晴

 

今日も書齋と書庫の本を選別、大鉈を振つて、讀みさうにない影印本をほとんど處分。とくに古典文庫を一册一册選り分けた。十二籠。

それにしてもよくからだが動いてくれる! 食事もおいしい。

 

 

二月廿一日(日)舊暦一月十日(庚子) 晴、あたたかい

 

今日は朝から夕方まで、書齋と書庫の本を選り分ける。この際思ひ切つて、「大日本史料」や古記録類も處分することにして見たけれど、すぐに運び切れないので、二度目に來てもらつたときまでに準備すればいいことにして、まづ、水たま書店に電話してみた。すると、廿四日水曜日の午後に來てくれることになつた。

それまでに、母屋二階の寢室と書齋と書庫の本の選別をしておきたい。

 

葉室麟の 『実朝の首』(角川文庫) 讀了。面白かつた。

たしかに、實朝が殺害された直後、公暁によつて持ち去られた實朝の首が、いつのまにか紛失してゐるのだ。『吾妻鏡』 には、「御首の在所を知らず、五體不具なり、其憚り有る可きに依りて、昨日公氏に給はる所の御鬢を以て御頭に用ひ、棺に入れ奉る」と記されてゐる。一筋の髪の毛を首のかはりにして 「勝長壽院の傍に葬」つたといふのである。

ものがたりは、この實朝の首を奪ひ合ふ者どうしの爭奪戰になるのだが、北條と三浦によつて滅ぼされた和田一族の殘党が活躍するのが氣持いい。また、實朝につづく鎌倉將軍家がなぜ京から迎へられたかについても語られてゐて勉強になつた。

かたづけてゐた本のなかに、室木弥太郎編 『舞の本 和田酒盛・夜討曽我』(和泉書院影印叢刊) があつたので、和田酒盛だけでも讀んでみようと思つた。ところが、同時に、大佛次郎の 『源実朝』(徳間文庫) が目に入つてしまつた。

内容・・・源氏の血統が自分で絶えることを予感し、官途の栄達を願った鎌倉三代将軍実朝。異例の早さで右大臣に昇進した翌年(承久11219)正月、鶴岡八幡宮での拝賀の式に臨んだ折、兄頼家の遺児・公暁に殺され、予感は的中した。死に臨み、その胸中に去来したものは何だったのか? 母政子の実家・北条氏の内紛にまき込まれ、政治から逃避、和歌・管弦に親しみ、渡宋をも企てた実朝の生涯を描く歴史小説の名作。

解説者によると、本書は、「昭和二十年八月十五日の敗戦をはさんで、その前後に執筆・発表された特異な作品である」といふ。

 

 

二月廿二日(月)舊暦一月十一日(辛丑) 晴、今日もあたたか

 

今日も朝から夕方、そして夜も、書齋と書庫の本を選別。計二十五籠。

さらに、殘しておく本を年代順ならべかへた。この本棚は影印本がほとんどで、『上宮正徳法王帝説』、『萬葉集』、『唐大和上東征伝』、『三敎指歸注』、『東大寺諷誦文稿』、そしてやつと、『竹取物語』 がでてくる。以降、『古今和歌集』 から一〇〇〇年代、一一〇〇年代、一二〇〇年代、一三〇〇年代、一四〇〇年代ころまで著作年を調べながら並べ替へた。不思議なことに、一五〇〇年代(室町時代後期~安土桃山時代にかけて)はほとんど著作がなされてゐないのだ! どうしてだらう。ただたんに、戰國時代だつたからとは言へないとぼくは思ふのだが。

その間、グレイがひざにのりたがつてたびたび作業が中斷し、休憩をとりつつおこなふ。モモタとココはぼくが作業してゐるときはほとんど近よらないが、グレイは赤ちやんのときから抱いてあげたり、胸のなかでやすませてゐたので、それで甘えてゐるのだらう。だけど、このグレイが來たおかげで、猫の可愛いらしさがほんとうによくわかつたと言ひたい!

 

 

二月廿三日(火)舊暦一月十二日(壬寅) 晴、強風

 

今日は誕生日。七十四歳になつた。母がよく言ふやうに、三十歳までと言はれた命がよくもこの歳まで生きながらへたものだ。ただただ妻がつくしてくれたおかげだと思ふ。感謝。

今日も一日、書齋と書庫の本を整理しながら選別、ほぼ終る。計二十八籠になつた。

ところで、妻と話し合ひ、MDプレイヤーを買ふことにした。新しくした車にはMDプレイヤーはなく、妻が使用してゐたケンウッドのCD・MDプレイヤーは故障。一昨日整理したCDの中からぼくが録音したMDが出てきて、無性に聞きたくなつたこともある。伊豆では車を飛ばしながら繰り返し繰り返し聞いたぼくが選曲したMDだ。

妻とぼくの希望が重なるなんてさうあることではないので、アマゾンで探したらまだまだ購入できることがわかつて安心した。もうすこし煮詰めてから注文することにする。

 

 

二月廿四日(水)舊暦一月十三日(癸卯) 晴

 

昨夜妻とMDプレイヤーを買はうといふことになり、晝食をいつものタカノでタンメン餃子をいただいたついでに、上野のヨドバシカメラまで出かけてみた。が、MDプレイヤーについて聞いてみたら、すでに販賣はしてゐないといふ返事だつた。さらに、有樂町のビッグカメラまで足を延ばして聞いても、やはり十年も前から販賣はしてゐないといふ。

といふことで、結局アマゾンで買ふことにして、再度妻とアマゾンの畫面を見ながら檢討して、“KENWOOD MDX-L1-H CDMD・ラジオパーソナルステレオシステム グレー” といふ機種を注文した。さあ、吉と出るか凶と出るか? お樂しみである。

 

午後四時過ぎ、板橋の水たま書店さんが輕のバンで古本を引き取りにきてくれた。ひと通り處分したい本をお見せした後、手順として、まづ二階の二十八籠の本を車に移し、次いで處分部屋の十籠、計三十八籠分の本を運びだしてくれた。輕のバンはそれだけで滿杯、タイヤがすこしへこんだ氣がしたけれど、無事歸られたかしら?

若いご主人とそのつれあひのやうな女性と二人で運んでくれたのだが、とても氣持ちのいいお二人で、本との別れもさびしくはなかつた。

すでに並べてある處分部屋と工房の本、それに母屋應接間の大日本史料等は後日取りに來てくれることになり、それまでにさらに選別を迫られた氣持である。

 

*誕生日を迎へたぼくと母  

 


 

 

二月廿五日(木)舊暦一月十四日(甲辰) 晴

 

今日からの作業は、①寢室の本をすべて書齋の隣室の書庫に運び、②その書庫の本を再度選別して籠に入れ、運び出しにそなへる。③そして、工房(中村莊)の中の本は、必要なものは二階の書庫に運んで、殘りはすべて處分する(中村莊には本をなくす)。

さうだ、④台所の納戸の本についても、③と同樣に、必要な本は二階の書庫に移し、あとは處分する、といふ順序ですすめたい。まだまだ大鉈を振るふ必要がありさうだ。

 

昨夜注文したCD・MDプレイヤーが屆いた。ところが、夕方、アウトルックに屆いたメールの屆け先の寫眞をみたら、別の家に配送されてゐたことがわかつた。それで同じ中村といふ家を見當をつけてたずねたらその家の前にあつた。なんてことだ!

ぼくは、ドアホンがいつ鳴つてもいいやうに待つてゐたのに、もし我が家に屆けたとしても、ドアホンも押さないで置いていくだけなのだらうか。びつくりした!

 

大佛次郎の 『源実朝』 が地味すぎる。淡々としすぎて、太宰治の 『右大臣実朝』 より頁のすすみがおそい! まあ、がまんして讀んではみるけれど。 

  

體調が回復してきた。これが一過性のものか持續してくれるものなのかわからないところだが、まいにち手帳には體重と朝晝晩の食事で食べたものを記録してゐる。鹽分のとりすぎと體重の變化に氣をつけてゐることがよい結果をもたらしてくれてゐるのだらうと思ひたい。まあ、エンシュアリキッドも効いてゐるやうだし、最近はビールも多少のめるやうになつた。本代が浮いた分いろいろ美味いものを食ひ歩きたいものだ。 

 

 

二月廿六日(金)舊暦一月十五日(乙巳) くもり、風が冷たい

 

今日は選別作業を休み、神田の古本市へ出かけた。今年はじめてはもちろん、數か月ぶりの古書會館である。會場が地下なので心配ではあるが、人出は少なくてまあ安心して見て回ることができた。むろん見るだけだとしながらも、どうしても見て見ぬふりができなかつたのが、和本の 『百人一首一夕話』 と 『閑居友』 である。前者は、岩波文庫にもあるその上卷分。後者は 『発心集』 を意識して書かれ、『撰集抄』 に影響を與へたといふ説話集で、内容は、発心譚・遁世譚・往生譚が中心であるといふ。樂しみである。

晝食は、會館を出た明大通り向かひにある例のマジカレーである。これも久しぶりで美味しかつた。小さい店なのにさらに席をへらしてゐるので安心ではある。

さらに、折口信夫の 「女房文学から隠者文学へ─後期王朝文学史」 が讀みたくて探し歩いたが、澤口書店で求めることができた。岩波文庫の 『折口信夫古典詩歌論集』 に入つてゐたのだ。

それと、マルクス・アウレーリウスの 『自省録』(岩波文庫)、我が家のどこを探してもみあたらないので再度買ひ求めた。これは三省堂の四階の古書館で見つけることができた。本書は、探偵マット・スカダーの愛讀書でもある!

 

今日の歩數・・・五六六〇歩。

 

*順に、古書會館の會場、求めた和本、そしてマジカレー

 

 


 

 

二月廿七日(土)舊暦一月十六日(丙午・望) 晴

 

今日もからだがついてきてくれた。寢室の本と合板の小本箱を四つ、一箱殘してすべて書齋と書庫に運ぶことができた。ただ運んだだけでまだ選別はしてゐないが、どれだけ大鉈が振るへるかが課題である。殘すはあと二週間。

ついでにベッドを壁から離し、人が入れるやうにした。ベッドメイキングと掃除のためだ。本の量に押されて長年できなかつたことがやつとできた。やらうとしたことにからだがついてきてくれたからである。

夕食はうどんすきで、ビールが美味かつた。

 

 

二月廿八日(日)舊暦一月十七日(丁未) 晴

 

今日もいい天氣。作業も順調にすすむ。身近においておくもの以外、寢室の本をほとんど書庫にはこび、整理は多少したが選別はまだ。

書齋の本も少なくなつた。殘しておきたいものを最小にとどめ、選別のために書庫へ移した。

大佛次郎の 『源実朝』 をよみすすむが、作業しながらなのでなかなかはかどらない。

 

*昨夜の滿月 携帶寫眞ではこれが限度か。がつかり! それとグレイとともに 

 

 


 

 

 

二月一日~廿八日 「讀書の旅」 

 

四日 ローレンス・ブロック著 処刑宣告 (二見文庫)

七日 中野孝次著 『実朝考―ホモ・レリギオーズスの文学』 (講談社文芸文庫) 

八日 志水辰夫著 『暗夜』 (新潮文庫)

十日 小林秀雄著 『無常といふ事』 (角川文庫) 再々讀

十一日 ドナルド・キーン著 『日本文学史 - 古代・中世篇三』 のうち、「説話文学」 及び、『日本文学史 - 古代・中世篇四』 の、西行、源實朝、鴨長明の項目と、それ以下の佛敎説話の項目 (中公文庫) 

十四日 嵐山光三郎著 『西行と淸盛』 (中公文庫)

十九日 太宰治著 『右大臣実朝』 (近代文庫)

廿一日 葉室麟著 『実朝の首』 (角川文庫)