十二月(師走)一日(水)舊暦十月廿七日(癸未) 晴

今日も眠かつた。施術の好轉反應と思ひたいけれど、あまり寢てばかりゐては讀書にもさしつかへる。

佐高信の 『魯迅烈読』(岩波現代文庫) よみはじめる。たしかに魯迅の小説の解説をしてくれてゐるやうで、うすうす理解が深まる。

 

 

十二月二日(木)舊暦十月廿八日(甲申) 快晴

今日は古本散歩。久々に開催されてゐる所澤驛前・くすのきホールの 《第100回 彩の国 所沢古本まつり》 に行つてきた。八階の會場があまりにも廣すぎて、いつものことだが、休み休み長時間かけて見てまはるしかない。

買はないやうに買はないやうにして見て回つたが、結局求めたのは文庫本ばかり數册。長いこと探してゐた、平田篤胤著 『仙境異聞・勝五郎再生記聞』(岩波文庫)、紀野一義 『名僧列伝(四)一遍・蓮如・元政・辨榮聖者』(講談社学術文庫)。それに珍しいのが先に立って、河上徹太郎譯 『アラビアン・ナイト(艶笑傑作選)』(新潮文庫) を求めた。それと、はじめて見かけた 『法然思想Vol.1』(草愚舎) を義務感で買ひ求めてしまつた。

しかし、偶然見かけた、奈良原春作 『斎藤別当実盛伝 源平の相剋に生きた悲運の武者』(さきたま出版会) はがまんした。先日、『平家物語 百二十句本』(古典文庫) で、〈實盛〉の最期をよんだばかりだつたので、よみたくはあつたが、すぐにはのめり込めさうにもないのであきらめた。

歸りがけに窓の外を見たら、富士山がシルエットになつてきれいに見えた。

今日の歩數・・・六〇八〇歩  

 

十二月三日(金)舊暦十月廿九日(乙酉) 晴

佐高信の 『魯迅烈読』(岩波現代文庫) 讀了。

内容・・・フェアプレイは時期尚早。敵の卑劣な攻撃には、どんな手を使ってでも闘うべし―。寛容を説く「聖人君子」の正論に真っ向から立ち向かった魯迅。その反骨精神は何を私たちに教えるのか。魯迅の著作を「思想的故郷」とする著者が、その核心に熱く迫り、現代日本人を叱咤激励する、佐高流魯迅案内。

つづいて、アーナルデュル・インドリダソン著 『声』(創元推理文庫) をよみはじめる。シリーズ第三彈である。

また、歴史紀行、『中仙道を歩く(五) 桶川宿~箕田追分』 までの改編終了。

 

十二月四日(土)舊暦十一月一日(丙戌・新月) 晴

アーナルデュル・インドリダソン著 『声』 をよみふける。

アマゾンのレビューのひとつに、「『湿地』、『緑衣の女』 そして、この 『声』 と読み進めてきました。ミステリーとはいえ、これらは、派手なアクションとか、手の込んだトリックとか、そういう類のお話ではありません。一つの事件をきっかけに、隠されていた過去や、切れていた家族の繋がりが、少しずつ絡み合いながら表に出てきて、やがて真相に至るという、派手さはないものの、心に沁みるような小説です」。とあつたが、同感! たしかに地味な内容のやうだが深く味はいがある。

今日も風呂にはいり頭を洗つた。そんなぼくを見て妻は、坊主頭になつたら品位が問題なのね! とのたまふた。

歴史紀行、『中仙道を歩く(六) 箕田追分~熊谷宿』 までの改編終了。ツアー終了後、忍城をたづね、さらにさきたま古墳群と源經基館跡をたづねたことが偲ばれた。 

 

十二月五日(日)舊暦十一月二日(丁亥) 晴

終日讀書。アーナルデュル・インドリダソン著 『声』 をよみつづける。

午後、純子さんに來にきていただいた。今回で四回目の施術だ。あひかはらずからだがかゆくて眠い。

 

十二月六日(月)舊暦十一月三日(戊子) 曇天

朝、かかりつけの齒科へ定例通院。クリーニングのほか、ちよつと氣になつてゐたところを診てもらつて安心する。

昨日屆いた「古書目録」に、『法然上人行状畫圖』(全四十八卷二十四册揃ひ、元禄十三年版) が出てゐたので、コンビニへ行つてFAXで注文した。この四月に、同じものと思はれる和本を手放してしまつたけれど、それはすべて揃つてをらず、よみとほしたときには、缺けた部分は岩波文庫でほそくしたのだつた。手放してしまつてから、惜しいことをしたと反省してゐたので、全卷揃ひといふこともあつて、思ひ切つて再度購入することにした。ただし他の人が注文すれば抽選になるので入手できるかどうかは十七日までわからない。

ひる、綾瀨に行つてそばを食べ、ブックオフで、文庫本三册を求めた。

小松左京の 『自選恐怖小説集 霧が晴れた時』(角川ホラー文庫) と、フェルディナント・シーラッハといふはじめての作家の 『犯罪』(創元推理文庫) と 『罪悪』(同) といふ連作短編集である。

また、歸宅すると、佐々木正編 『法然思想』(草愚舎) の創刊号(二〇一五年)が屆いてゐた。その卷頭言で、梅原猛さんは、「法然はマルティン・ルターに比すべきひとであると私は思う。・・・神あるいは仏の下ではすべての人が平等に立つ新しい宗教が誕生したのは、日本が西洋より四百年も早いのである」 とおつしやり、「法然の主著 『選択本願念仏集』 に語られる平等思想は実に理路整然としている」 と書いてをられる。またあらためて法然にとりくんでみたい。

昨夜、アーナルデュル・インドリダソン著 『声』(創元推理文庫) 讀了。譯者のあとがきによれば、本書は 「卓越した才能を持った子どもの、その後の人生を描いた作品です。またこの本は、親が子どもの味方にならないでどうする? と強く訴えるものでもあります。子どもに秀でた才能があろうとなかろうと、子どもの性的個性がどうであろうと、その子の一番の味方になれとインドリダソンは読む者に訴えかけます」、とある。感動した作品であつた。 

 

十二月七日(火)舊暦十一月四日(己丑・大雪) 曇天夕刻より雨

今日は慈惠大學病院へ通院。檢温なく入れる。血液檢査の結果は先月にくらべて以前の状態にもどつてしまつたやうだが、心電圖檢査は不整脈がまつたく見られず、みか先生が擔當醫になつてからはじめての快擧(!)。それと、半年後の六月にPMの電池を交換することになつてゐるが、聞いてみたら、一週間から十日入院することになるといふ。ちよつとショック!

午後、マキさんを見舞ふために築地の聖路加病院を訪ねたところ、家族の了解がなければ面會できないといふ。おくさんに電話したけれど留守のやうだし、殘念だつたけれど會へないまま歸路についた。

今日の歩數・・・九四九〇歩

 

十二月八日(水)舊暦十一月五日(庚寅) 雨

終日讀書。橋本峰雄編 『思想読本 法然』(法藏館) をよみつづける。内容は、〈人間像〉と〈歴史的展望〉と〈思想と信仰〉に分かれてゐて、それぞれに多彩な方々が書いてゐる。といふより、多くの文獻から借用といふか引用して編集されてゐるので、法然の全體像を把握するのにはいいかも知れない。

 

けれど、なんと言つても法然自身の著作をよむべきで、ふと思ひついたので、先日求めた古びた和本の 『圓光大師法語集』 と 一信者の女性が書寫した(?) 『選擇本願念佛集』 のほぐれて切れてゐた糸を綴じ直した。その女性とは赤松サキといふ方で、大正六年一月に書寫して寄附をしてゐる。ただ、もしお寺のやうなところに寄附をするなら、「寄贈」と記すだらう。それで、本の裏に、「赤松禪道所持」とあることから、この禪道さんが親族のサキさんに寄附したものか。それとも、やはりサキさんが勉學中の(?)禪道さんに書寫して寄附したものか、なんとも理解にくるしむ。けれど、よほど人生をかたむけた篤信者の方なのだらう。

 

十二月九日(木)舊暦十一月六日(辛卯) 晴

今日は妻の誕生日。けれど、樂しみにしてゐた外出が、母がデイサービスを休んだためにふいになつた。

それで、横になつてあれこれ本をよんですごす。

 

十二月十日(金)舊暦十一月七日(壬辰) 晴

今日も古本散歩。神田の古書會館と高圓寺の古書會館をはしごし、さらに神保町の古書店街を散歩。収穫は、嘉永元年(一八四八年)版で文庫本大の 『俳諧 一茶發句集』 と 『義士夜討高名咄 上下』(泉岳寺藏版) といふ和本二册。

夕方早めに、アルカサールでリブロース・ステーキをいただいて歸る。

今日の歩數・・・六七一〇歩

 

十二月十一日(土)舊暦十一月八日(癸巳・上弦) 晴

アマゾンに注文した座椅子が屆いたので、猫たちを抱きながらも、落ち着いて讀書ができた。 

*屆いた日本製の座椅子とごきげんのモモタ


 十二月十二日(日)舊暦十一月九日(甲午) 晴

座椅子が快適で讀書もすすむ。猫たちも居心地がよささうだ。

佐々木正編 『法然思想Vol.0』(言視舎)、寄稿された原稿のうち一篇をのぞいた他の七篇をよむ。發起人兼編集者である佐々木さんが 〈創刊のことば〉 のなかで言ふには。

「『法然思想』 がさらされ続けた、これまでの誤読を払拭すると共に、『前期法然』 を捨象しつつ、『後期法然』 の革命的言説を選び出し、読み解くことを主眼として、『法然思想』 の創刊を発起するものである」。

梅原猛さんなんかは、「たしかに法然なくして親鸞は存在しないが、親鸞なくとも法然は存在しうる。法然はデカルトにも比すべき明晰な理性をもってルターにも比すべき偉大な宗教改革を成し遂げた稀有な人物であると思ふ」 と書いてゐる。

他に、發起人の 「なぜ 『法然思想』 なのか」 と大澤真幸といふかたの、「仏教史・私論〈序〉」 が勉強になつた。これは連載されるといふ。

また、「四十八卷伝」(法然上人行状繪圖) の現代語譯とその解讀が連載されるのも期待される。

一方、『思想読本 法然』(法藏館) のはうは、〈人間像〉と〈歴史的展望〉と〈思想と信仰〉に分かれてゐるうちの〈歴史的展望〉まできたら、がぜん難しくなつた。小田切信夫先生の 「パウロと法然」 は神學書のやうで、坊主になつたぼくにはかたいスルメをかむやうだ。

 

十二月十三日(月)舊暦十一月十日(乙未) 晴

妻の誕生日には外出できなかつたので、今日は二人して上野に出、すこし早めの晝食をいただくことができた。

それから、妻とは別行動、川野さんからお誘ひのあつた講演會に行つてきた。會場はニッショーホールだといふので、銀座線虎ノ門驛から虎ノ門病院めがけて歩いたら、なんとその場所が建てかへ工事中、ニッショーホールが消えてなくなつてゐたのである。通りがかりの人に聞いてもわからない、タクシーの運ちやんに聞いてもわからない。川野さんに電話したら、新橋驛のそば、中央通り沿ひにあるといふので、もういちどタクシーをつかまえたら、昔ヤクルトホールだつたといふ會場にどうにか到着することができた。いやはや、ちかごろこんなに焦つたことはない!

川野さんはすでに待つてゐて、《NPO日本朗読文化協会》主催といふ講演會と朗讀會に間にあつてよかつた。講師は上野誠先生。演題は 「令和と万葉集と」 で、本來ならば昨年か一昨年に催されるはづだつたもの。「令和」の語義をあきらかにするために、『萬葉集』 のなかの 「梅花宴歌を読む」 の解説をおもしろおかしく演じられてゐた。ぼくはいつ 『萬葉集』 について話しが聞けるのかと思つてゐるうちに終了してしまつたのはどういふわけなのだらう。

『萬葉集』 の朗読のはうは、まあ、當時の衣装をこらしての熱演! ゆつくりやすむことができた。

歸路、川野さんとはなしをかはしながら銀座まで歩き、敎文館に寄り、それから銀座線で上野広小路驛下車、例の“玄品”到着。美味しいフグ料理で滿腹することができた。

今日の歩數・・・六六九五歩

夜、ユーチューブで、春風亭柳昇の 『忠臣藏』 を聴く、といふか觀た。

 

十二月十四日(火)舊暦十一月十一日(丙申) 雨、晴

終日猫を抱きながら讀書。外は寒いが、猫たち三匹がまるで湯たんぽのやうで暖かい。

今晩は、春風亭柳昇の 『カラオケ病院』 を聴く。 

 

十二月十五日(水)舊暦十一月十二日(丁酉) 晴

昨夜、『法然思想Vol.1(言視舎) 讀了。

つづいて、梅原猛さんの 『梅原猛の仏教の授業 法然・親鸞・一遍』(PHP文庫) をよみだす。わかりやすい。『法然思想』 を創刊・編集してゐる佐々木正さんのことも書かれてゐた。その佐々木さんの出された 『親鸞始記』 によつて、親鸞の玄孫にあたる存覺が書いた 『親鸞聖人正明伝』 が僞書ではなく本物であることが確信できたとのくだりは、とても興味深い。

 

十二月十六日(木)舊暦十一月十三日(戊戌) 晴

昨夜、『法然思想Vol.2(言視舎) 讀了。

梅原猛さんの 『梅原猛の仏教の授業 法然・親鸞・一遍』(PHP文庫) 讀了。法然と親鸞と一遍のそれぞれのすばらしさがよくわかつた。ともかくも法然なんだなと思ふ。

今日も純子さんに來にきていただき、妻とともに五回目の施術をうける。まあ、ひろく言へば整體なのだらうけれど、むやみに力をいれてやらないところが微妙である。 

 

十二月十七日(金)舊暦十一月十四日(己亥) 晴、風強し

古本散歩。神田と五反田の二か所をはしご。まづ、神田古書會館の古本市では、先日注文した 『法然上人行状畫圖』(全四十八卷二十四册揃) の抽選の當否をたずねたところ、殘念ながらはづれてしまつた。そのかはり、親鸞の 『御傳繪略解』〈「常陸国稲田」「明法房」「箱根山」「平太郎」「聖人御遷化」「大谷佛閣」繪入〉(法橋中和画 北村四郎兵衛他板 文化七年刊) と 一茶の 『おらが春』(慶應四年寫) の二册の和本を得る。

晝食は御茶ノ水驛前の誠鮨でちらし壽司をいただき、そしてはじめて、中央線の代々木驛乘り換へで五反田へ出、南部古書會館をたずねた。

歸宅すると、村上龍の 『オールド・テロリスト』 (文春文庫) がとどいてゐた。これは、『法然思想』 の對談で興味がひかれて注文したのだが、今日大阪の心療内科クリニックで、患者の男が火を付けたことによつて、男女二十四人が死亡した放火殺人事件が起こつたので、おどろいた。

今日の歩數・・・六一三〇歩

 

十二月十八日(土)舊暦十一月十五日(庚子) 晴

終日讀書。『法然思想Vol.3』 が面白い。雑誌(?)ですべての内容を讀み通すなどとははじめてのことではないだらうか。なにしろ多彩な執筆陣で、今號ではとくに加藤典洋氏の 「『称名』と呼びかけ─素人の感想─」 には感動した。

また、親鸞の 『御傳繪略解』 をよみとおす。といつても、挿繪が多くてよみやすく、「聖人越後國より、常陸の國にこへて、笠間の郡、稻田の郷に庵室をむすひ給ふ」、からはじまり、「祖師聖人御遷化より十一年の後」、大谷に佛閣をたてたといふところまで。 

 

 十二月十九日(日)舊暦十一月十六日(辛丑・滿月) 晴

ふたたび床屋に行き、今度は三ミリの長さにそろへて刈つてもらつた。さつぱりした。

夕方、弟と妹がやつてきて夕食をともにする。母が寢たあと、妻もまじへ、お寺のお墓をどうするかなどのことを話しあつて了解す。

終日讀書。村上龍 『オールド・テロリスト』(文春文庫) よみすすむ。文庫本で六〇〇頁以上あるのでよみでがある。また、『法然思想』 をよんでゐるせいか、違和感がない。

 

十二月廿日(月)舊暦十一月十七日(壬寅) 晴

『オールド・テロリスト』、徹夜してよみすすんだため、日中は寢てすごす。

淸水のマリちやんからミカンがとどく。

 

十二月廿一日(火)舊暦十一月十八日(癸卯) 快晴

古本散歩。今日は、南柏驛前のフィールズ南柏古本市と、柏驛の太平書林さん、それにブックオフをたずねた。

太平書林さんでは、よみはじめた 『法然思想Vol.4』 の冒頭に、梅原猛さんと佐々木正さんの對談があり、その中で、梅原さんが 親鸞の評伝、『親鸞「四つの謎」を解く』 を書くきつかけとなつたといふ、佐々木さんが書かれた 『親鸞始記 (「親鸞聖人正明伝」全文付き)』(筑摩書房) を見つけることができた。これは偶然といふのはあまりにもありがたい出會ひだつた。

ひるは柏の天外天で担担麺の麺少な目をいただいた。すると二百円以上も安かつた。どこでも麺を少なくしても同じ値段ですよと言はれるのに、安くしてくれたのはここがはじめてである。しかも美味い。

柏に馬刺しを食べさせる店を何軒か見つけたのだが、みな夕方開店なので、ひるに食べられないのが悔しい。

今日の歩數・・・七一一一歩

『オールド・テロリスト』 讀了。

内容・・・年寄りをなめんなよ! 2018年の東京、日本を変えようと、テロをも辞さず老人たちが立ち上がった――「満洲国の人間」を名乗る老人からのNHK爆破予告電話をきっかけに、元週刊誌記者セキグチは巨大なテロ計画へと巻き込まれていく。暴走を始めたオールド・テロリストたちを食い止める使命を与えられたセキグチを待つものは!? 横溢する破壊衝動と清々しさ。解説は、「オールド・テロリスト」世代の旗手といってもいい、田原総一朗氏。これぞ村上龍と唸るほかない、唯一無比の長篇。656ページノンストップの読書体験! 

 

十二月廿二日(水)舊暦十一月十九日(甲辰・冬至) 晴のち曇り

終日讀書。昨日求めた八木正自著 『古典籍の世界を旅する』(平凡社新書) が面白くてワクワク、一氣によみ通す。

本書の内容・・・「著者自身が国内・海外の業者市やオークションで発掘・落札した、奈良時代から明治時代にかけての写本や木版画、かわら版、直筆手紙といった、文学的にも歴史的にも価値の高い貴重な古典籍について紹介する。そのほか、著者が古書業界と関わることとなったきっかけや恩師らとの出会い、世界的に評価される日本の古典籍を支える蒐集家についても紹介する」

荒俣宏さんの本書の推薦文には、「日本の古典籍は質量ともに世界一。今でも奈良・平安期の写本が一般人の手に入る国はどこにもない。その宝庫から国宝級を見つけ続ける目利きが語る、『古い本が残る国』 の謎と魅惑」 とある。

たいへん敎へられたけれど、問題は、わがくにでは、これらの古典籍が博物館や圖書館に収藏されたままで、「特別展」をべつにすれば、一般に展示公開される機會が少なく、國民の關心がうすいことがあげられてゐる。たしかに直接見たい文書や繪畫などを、訪ねたからといつて見られるわけではない。東博に行つてそれは痛感した。

それにしても、古本市での探索は、どのやうな書物と出會ふことができるか、思ふだけでもワクワクする。

 

十二月廿三日(木)舊暦十一月廿日(乙巳) 晴、寒風

今日は、おひるを食べに綾瀨まで出かけた。“重吉”といふ店で、そば屋めぐりの一軒だが、ていさいのいい店舗にしては、そばがいまいちだつた。先日の“やぶそば”のはうが美味しかつた氣がする。

昨夜、徹夜して、鏑木蓮 『エンドロール』(ハヤカワ文庫) をよみあげた。これも柏でたまたま目についた作品だが、よみはじめたら途中でやめられずによみ通してしまつた。じつに良かつた。だから古本屋めぐりはやめられない。 

 

*やぶそばと重吉の天ざる


十二月廿四日(金)舊暦十一月廿一日(丙午) 晴

古本散歩。今年最後になるかどうかはわからないけれど、神田の古書會館については最後の古本市。収穫はなんと言つても、和本の、鴨長明 『無名抄 乾・坤』 と一休の 『水鏡目無草』 だらう。『目無草』 のはうは延寶三年(一六七五年)吉野家惣兵衞開版といふからさうたう古い版本だ。それにしてはきれいで文字も大きくてよみやすい。ただ、一休のは禪問答のやうで難解だ。『無名抄』 は長明による歌論書。建暦元年(一二一一年)ごろの成立で、和歌に關する故實、歌人の逸話・語録、詠歌の心得などを記した隨筆風の書。むろん、『目無草』 よりも新しい版本で、兩方とも翻刻された本をすでに持つてゐるけれど、ライフワークの 《變體假名で讀む日本古典文學》 には缺かせない。

『法然思想Vol.4』 讀了。特別論考の 「日蓮と政治」 が興味深かつた。やはり日蓮は、人々の救ひがどうのかうのといふより、政治的な野望に侵された成り上がりだと知つた。

ひるは、かねいちさんの上うな重。夕食は町田の柿島屋で上馬刺し二皿。いづれも今年最後だと思つてよく味をかみしめた。

外出から歸ると、先日買ひ入れたばかりの座椅子にモモタがおもらしをしてゐた。もう、怒り心頭、怒鳴りつけてやつた。もう、しばらく抱いてやらないぞ!

妻が、たうとうノラのハナちやんを捕獲し、自分の部屋に保護した模樣。ハナは、我が家を取りかこむやうに先住のノラたちがゐて、そのなかのブンやコヤタに追ひ回されて、我が家までこれない、いはば孤兒なのである。毎日朝夕の二回食事を持つて行つてあげてゐたが、寒さに凍えてゐるのが可哀そうなので保護したといふわけである。すでに妻のひざには抱かれるほどなれてゐるので、はやく家に落ち着いてほしいと願ふばかりである。

今日の歩數・・・五二〇〇歩

 

十二月廿五日(土)舊暦十一月廿二日(丁未) 晴

古本散歩。高圓寺および、再び神田の古書會館へ。昨日につづいて和本が目についた。

親鸞の 『三經往生文類・一念多念文意・唯信鈔文意 合册』、証賢作(西要鈔)・湛澄注 『西要鈔諺註 上下』、それに、無住の 『沙石集 十卷六册』。これで今年は〆としよう。

ちなみに、『西要鈔諺註(さいようしょうげんちゅう)』 は、貞享三年(一六八六)成立、「女人往生、一念多念、摂取不捨、臨終来迎など教義上の問題を平易に説いた 『西要鈔』 の注釈書」。

今日は持ち運びにいい、五木寛之 『日本幻論』(新潮文庫) をよみつづける。二〇二〇年二月によんだ、『日本幻論 ―漂泊者のこころ・・蓮如・熊楠・隠岐共和国』 (ちくま文庫) の元の版のやうだが、復習になる。

しようがないモモタだが、朝からいつものやうに接してあげた。

今日の歩數・・・五六六〇歩

 

十二月廿六(日)舊暦十一月廿三日(戊申) 晴、寒い

外は寒波、猫たちをひざに、本をよんで過ごす。

午後、今日も純子さんに來にきていただき、妻とともに六回目の施術をうける。

 

*友人からいただいた寫眞! 

 

十二月廿七(月)舊暦十一月廿四日(己酉・下弦) 晴、寒い

今日も寒い。猫たちをひざに、文机にむかつて、圓光大師、つまり法然さんの 『圓光大師法語集』 をよみすすむ。變體假名だけれども、ときどき漢字のくづしにつまづくていどでよみとおせる。最初の文は、「淨土宗略抄」 と言ひ、「かまくらの二位の禪尼の請によて志るし進せらるゝ書也」とあるから、賴朝の正室、實朝の母である北條政子の求めによつてかかれたものであることがわかる。内容はただただ法然思想の開示である。

佐々木正編 『法然思想Vol.5言視舎) 讀了。これほど内容が濃い雑誌ははじめて。さらによみたいと思つたけれど、五號までしか確認できなかつたので、出版社の言視舎に直接電話をしたところ、以後の號は出てないといふ返事だつた。つまり休刊か廢刊か? じつに殘念である。

 

十二月廿八(火)舊暦十一月廿五日(庚戌) 晴

マキさんを聖路加病院に見舞つた。先日は、受付で追ひはらはれたので、今日はまづ奥さんに連絡し、許可といふか了解を得てから出かけたのであつた。それで、今回は受付ではスムースで、八階の病室にむかふことができた。

マキさん、薄暗い個室にゐて、血色もよく元氣さうだつたが、肝臟がわるかつたやうだ。入院してからひと月半、まだしばらくかかるやうだ。ものの一五分ほど言葉をかはして退室、歸路についた。

橋本峰雄編 『思想読本 法然』(法藏館) やつと讀了。硬軟とりまぜた内容であつた。そのなかで、加藤周一が、「法然と親鸞は、仏教のみならず一般に日本の思想そのものを、革命的に転回したのである。多分彼らにおいて、日本の精神は、はじめて、決定的に、超越的な彼岸思想に徹底した。思想的にその道をひらいたのは、法然である。その意味で、一五〇〇年以上の日本仏教思想史のなかから、もしただ一人の思想家を挙げるとすれば、まず法然を挙げる必要があろう」 と言つてゐるのが強烈だつた。

今日の歩數・・・六三三〇歩

 

二月廿九(水)舊暦十一月廿六日(辛亥) 晴

終日讀書。猫たちをひざに、『圓光大師法語集』 と 『日本幻論』 をよみすすむ。 

 

十二月卅(木)舊暦十一月廿七日(壬子) 晴

終日讀書。今日も猫たちをひざによみすすみ、五木寛之の 『日本幻論』(新潮文庫) 讀了。

『圓光大師法語集』 と 『平家物語 百二十句本』(古典文庫)、それに 『養生訓』 は繼讀中。といふより遲讀中。みな變體假名の勉強をかねた讀書だが、ゆつくりよむことによつてこころに深く染み入つてくるものがある。遲讀は年を超えてすすむ。

久しぶりにフトンを干し、部屋を掃除する。

 

十二月卅一(金)舊暦十一月廿八日(癸丑) 晴

今日はおほみそか、大つごもりともいふ。それで、樋口一葉の 『大つごもり』 をよもうとしたら、小島政二郎の 『私の好きな古典 樋口一葉・芭蕉』(文化出版局) があつたことに氣づいてよみはじめた。さうしたら、開口一番、

「天才は、一時代にいるかいないかだろう。明治時代には一人いた。誰か。樋口一葉である。たった二十四の若さでこの世を去った女性である。・・・では、一葉にはどんな作品があるのであろうか。曰く、『たけくらべ』。強いてもう一篇をあげよとならば、『にごりえ』 をあげようか。『大つごもり』 をあげようか」 ときた。

幸ひ、『大つごもり』 にはじまり、『にごりえ』、そして 『たけくらべ』 の引用と解説付きの内容で、まるでよんでしまつた! 一葉の「文体は古いが文章は簡潔で、古くはない。イキイキしている」。ところがみな悲劇なのがむねにせまる。

「別に、彼女には発表のつもりもなく書いた 『日記』 がある」 と小島政二郎は言ひ、「一葉の天才がこの 『日記』 の中に隠されているのである」 といふ。これまでにもよみかけたことはなんどもあつたけれど、どうしても没頭できなかつた。文庫本一、二册ですむ分量だ。日記も、和田芳惠編註 『一葉靑春日記』(角川文庫) がある。 

午後は映畫三昧。NHKBSで、“ローマの休日”をはじめ、“ショーシャンクの空に”、そして“ボーン・アイデンティティー”の三本を觀る 。すべて何度か觀たものであるが、久しぶりに映畫の面白さを堪能した。

 


 

 

十二月一日~卅一日 「讀書の旅」 ・・・』は和本及び變體假名・漢文)

三日 佐高信 『魯迅烈読』 (岩波現代文庫)

五日 アーナルデュル・インドリダソン著 『声』 (創元推理文庫)

十二日 佐々木正編 『法然思想Vol.0』 (言視舎)

十四日 佐々木正編 『法然思想Vol.1』 (言視舎)

十五日 佐々木正編 『法然思想Vol.2』 (言視舎)

十六日 梅原猛 『梅原猛の仏教の授業 法然・親鸞・一遍』 (PHP文庫)

十八日 佐々木正編 『法然思想Vol.3』 (言視舎)

同日 『御傳繪略解』 (法橋中和画 北村四郎兵衛他板 文化七年刊)

廿二日 八木正自 『古典籍の世界を旅する』 (平凡社新書)

廿三日 鏑木蓮 『エンドロール』 (ハヤカワ文庫)

廿四日 佐々木正編 『法然思想Vol.4』 (言視舎)

廿七日 佐々木正編 『法然思想Vol.5』 (言視舎)

廿八日 橋本峰雄編 『思想読本 法然』 (法藏館) 

卅日 五木寛之 『日本幻論』 (新潮文庫)