十一月(霜月)一日(月)舊暦九月廿七日(癸丑) 曇天、晴

朝一で齒科へ。通常のクリーニングの日だが、入れ齒の調整もしたいただいた。

母はデイサービス。妻は無二の親友の墓參りで、横濱へでかけた。

それで、今日の散歩は、八王子驛北口ユーロードで開催中の古本まつりを訪ねた。高尾山につづく遠出だが、御茶ノ水驛から特快で一本。電車の旅を樂しんだ。

しかし、出店は多かつたが、ことにめずらしいものもなく、よみつづけてゐる、《文人たちの回想録》として、辰野隆著 『忘れ得ぬ人々』(講談社文芸文庫) と桑原武夫著 『思い出すこと忘れ得ぬ人』(同) の二册を求めた。

昨夜は徹夜をして、ヘニング・マンケル著 『背後の足音(下)』(創元推理文庫) を讀み上げた。ハラハラドキドキ、面白くてやめられなかつたからだ。

内容・・・長年一緒に仕事をしてきた同僚の刑事が殺された。あまりに無惨なその姿に、イースタ署の面々は言葉を失う。どうやら彼は、例の若者たちが失踪した事件を一人で調べていたらしい。二つの事件は同一犯のしわざなのか? 調べ進むうちに明らかになる、同僚の隠された素顔。捜査陣の焦燥感がつのるなか、次の犠牲者が…。現代社会の病巣をえぐる北欧の巨匠の傑作。

つづいて、刑事ヴァランダー・シリーズ第八作 『ファイアーウォール(上)』 をよみはじめる。 

今日の歩數・・・八二七〇歩

 

十一月二日(火)舊暦九月廿八日(甲寅) 晴

猫とたはぶれつつ讀書。『平家物語 百二十句本 三』(古典文庫) をよみすすむ。第五十一句〈高倉の院崩御〉につづく〈紅葉の卷〉と〈葵の女御〉は、亡き高倉院の思ひ出ばなしといつたところだが、これらのはなしはまるで王朝物語をよんでゐるやうだ。

 

十一月三日(水)舊暦九月廿九日(乙卯) 晴

終日讀書『平家物語 百二十句本』 第五十三句〈葵の女御〉には、流布本でいふ「小督」の卷もふくまれてゐて、はなしがまるで王朝時代、と思ひきや、一轉して、〈義仲謀叛〉にはいる。

そこで、お休みして、よみかけの 『百錬抄』(新訂増補・國史大系 吉川弘文館) を、『平家物語』 の時代までよんでしまふことにした。堀河天皇の時代からなので、あと百年ばかりよみすすまなければならない。

 

十一月四日(木)舊暦九月卅日(丙辰) 晴

今日の散歩は、放心亭のカキフライが食べたくて、古本屋めぐりはつけたりになつてしまつた。かつてよくかよつて食べたステーキにしてもいい味してゐるのだ。つまり、放心亭とは、「美味放心」といふことなのだと思つた。

三省堂の入り口で開かれてゐる古本市で、現在よみつづけてゐる 『平家物語』 の參考書にと、河内祥輔著 『賴朝の時代 一一八〇年代内乱史』(平凡社選書) と、大佛次郎著 『義経の周圍』(徳間文庫) を求めた。

今日の歩數・・・四八九〇歩 

 

十一月五日(金)舊暦十月一日(丁巳・新月) 晴

『百錬抄』 をよみ進む。鳥羽上皇が亡くなつたと思つたら、保元の亂が起こり、後白河が天皇を我が子に譲つて上皇になつたら、今度は平治の亂がおこる。

それにしても當時は火災が多い。すばらしいと思はれる寺院や貴族の邸宅、もちろん御所までもがどんどん「炎上・焼亡」する。もつとも殘念なのは、

「因幡堂、祇園太政所、法家千草文倉が灰燼と為し、數萬卷書一時に滅する、云々」(仁平三年・一一五三年四月十五日)

といふことがたびたび起こつてゐることだ。それには、比叡山と園城寺、または興福寺の大衆どうしが爭ひ合戰する。もちろん、雷によつての焼亡もある。

そんな殺伐とした記録のなかに、ときどき、「鳥羽殿の池に一莖二花の蓮が生ふ」なんていふ記事が目に入るとほつとする。

 

先日より、「東山會のあゆみ」 を作成しはじめた。今日までに、第十回〈西伊豆 松崎散策〉までまとめることができて、東山會のみなさんにメールでお送りした。まあ、その回の表題と案内人名と、參加者數、そしてコースと思ひ出深い寫眞多數といつた配置である。 

 

十一月六(土)舊暦十月二日(戊午) 晴

今日は神保町の古書會館へ、久しぶりの古本市である。和本が目につき、我慢できなくて、『圓光大師法語集』 と 『無難禪師法語 全』、それに 『白隠禅師仮名葎』 などを求めてしまつた。

晝食は、これも久しぶりにマジカレーでビーフカレーをいただいた。それから夕方まで、古書店街をあちこち休憩をはさんでうろつき、あとはすべて文庫本を數册求めた。

その中の一册は、『醒睡笑(寛永版)』(古典文庫)、もちろん變體假名本である。

また、一册、三省堂で新本で求めざるをえなかつたのが、草野知子著 『ビギナーズ・クラシックス 中国の古典 墨子』(角川ソフィア文庫) である。孔子、といふか儒敎を批判したそのひとりで、内容は原文をよまなければならないと思ひ、最もやさしい本を選んだ。といつても、原文(漢文)ものせられてあつて、『百錬抄』 をよんでゐる身にとつてはとても勉強になる。

墨子の「十論」といふのがあつて、能力による人材登用をとなへて、身分を重んじる家族主義を否定したり。埋葬を簡素化しようだつたり、他にもこまごまと儒敎を批判してゐるらしい。少しよんでみたけれど、それほど難解ではなささうである。

考へたら、儒敎の弊害は大きいと思ふ。なにしろお上の言ふことには黙つて從ふことが美徳だなんて、バカ殿さまに從つて國を亡ぼすこと必定である! 自分で考へることを放棄した民が國を亡ぼすといつても過言ではない。 權力者には都合のいい敎へだ。

今日の歩數・・・五六〇〇歩

 

十一月七(日)舊暦十月三日(己未・立冬) 晴

終日讀書。『百錬抄』 をよみ進み、やつと 『平家物語』 の時代に到達した。むろん、本書は「大本營發表」なので、一方的な見方で書かれてはゐるけれど、宇治橋の合戰、富士川の平家軍の敗走などが、言葉巧みに書かれてあつて興味深い。

そして、壽永三年(一一八三年)七月、木曾義仲が登場し、その最期までを讀む。討たれたのは義經率ゐる軍兵によつてであり、後白河に翻弄され、賴朝の策略にかかつてしまつた哀れな姿が思ひ浮かんだ。

義仲については、中仙道を歩く旅の、「木曾義仲の里」を訪ねたとき詳しく書いたので參照してみると、これだけは引用したくなつた部分を書き寫しておきたい。

 

「さて、木曾義仲について言へば、實は、ぼくは、『平家物語』を繰り返し讀んでるんですが、どうも印象がよくなかつたのです。關心がなかつたからでもあるでせうが、義經のはうを重視してゐたからでせうね。ところが、今回讀み直してみて、ぼくは認識を改めさせられました。義仲の生き方とその人間性について、ぼくは惚れてしまひました。

『平家物語』は、平家一門の榮華とその没落・滅亡を描いてゐる軍記物語として有名ですが、内容は三部に分けるることが出來るんださうです。

『第一部は平家盛時の叙事にして中心人物は淸盛なり。第二部は平家流離時代の叙事にして中心人物は義仲なり。第三部は平家滅亡の叙事にして中心人物は義経たり』と、ちやうど選手がバトンタッチするやうにして、物語が展開されてゆくのです。その眞ん中を支へる義仲ですから、大きく取り上げられてゐるばかりではなく、内容的にも濃厚であつて、むしろ、『平家物語』の思想をよく體現してゐるんではないでせうか。

しかも、その生涯(出生から最期まで)が明らかに描かれてゐるのは、義仲だけなんです。淸盛の前半生については觸れられてゐませんし、義經にいたつては、その生ひ立ちと最期は曖昧模糊としてゐます。それだけに、『平家物語』における義仲の位置は重要だと考へざるを得ません。」(『歴史紀行 三十七 中仙道を歩く 贄川宿~上松宿  後編』 二〇一四年十月廿二日)

それで、ここでまた、『平家物語 百二十句本』 にもどる。

 

 十一月八日(月)舊暦十月四日(庚申) 晴のち曇り

昨夜、本を取りに書齋に入つたら、ぼくが座る座布團の上に、モモタとココとグレーが三つ巴になつて寢てゐた。ついた明かりに驚いたやうにぼくのはうに向けられた顔がいちやうに幸せさうに見えた。

ヘニング・マンケル著 『ファイアーウォール(上)』(創元推理文庫) をよみつづける。この刑事ヴァランダー・シリーズの特徴は、その擔當する事件の異樣さだ。おそらくわがくにでは起きないだらうやうな事件にふりまわされる。それを、刑事ヴァランダーが細かいことの發見をきつかけに、事件の解決への道を一歩一歩あゆみはじめるのだ。

「東山會のあゆみ」、先日の、第十三回〈高尾山散策〉まで仕上がり、メールに添付してみなさんにお送りした。それから、その寫眞を省いたものを、HPひげ日記に記載した。

 

十一月九日(火)舊暦十月五日(辛酉) 大雨のちやむ

雨の中、慈惠大學病院へ通院。いつもの檢査後の診察で、みか先生から、ぼくを擔當してから、これほどいい結果を見たことないと言ふくらゐの檢査結果に、驚くやらうれしいやらで、晝食に食べようと思つてゐた病院地下のそば屋の天ざるにかへて、“本丸”のうな重をいただいてしまつた。なんといつても、美味しいものを食べるのが良藥なのだと思ひ知る。

とくに、BNP値が最大七〇〇代、先月は三〇〇代だつたのが、二〇〇代にさがつたのが驚異的だつた。腎臓もよく、コレステロール値もいい。それには毎日必ず體重と血壓をはかつてゐるからでもあらう。

 

だが、それほど實感できてゐるわけではないのだけれども、散歩ができて、古本屋や美味しいお店を訪ねることができるのはありがたい。

食後、雨がとても激しく降つてゐたので、ふらつくのをやめて、そのまま歸宅した。

 

先日來、『大和俗訓』 をよんでゐて、だいぶ鼻についてきたと思つたら、『平家物語』 の參考にと求めた古代中國のさまざまな思想に出會つた。その中で、村松暎著 『儒敎の毒』(PHP文庫) は強烈で、儒敎の「毒」を余すところなく書いてゐる。といつてもその第一章〈「儒敎の毒」に感染している日本人〉をよんだくらゐの感想だが。そこで、墨子といふ思想家に出會ひ、求めたのが、草野知子著 『ビギナーズ・クラシックス 中国の古典 墨子』(角川ソフィア文庫) だつた。

今日は外出なので、この薄い文庫本の 『墨子』 を持ち歩いての通院だつたが、いつも大手町驛で乘り換へるついでにのぞく、構内のくまざわ書店で、半藤一利さんの 『墨子よみがえる “非戦”への奮闘努力のために』(平凡社ライブラリー) が目に飛び込んできた。新本だが、これも有無を言はさず購入。不思議なめぐりあはせである。

たしかに、『ビギナーズ・クラシックス 中国の古典 墨子』 をよんでゐて、現代に通ずるといふか、現代にこそ生かさなければならない思想だと痛感してゐるところである。 

それで、同じ儒敎の貝原益軒ではあるけれども、『大和俗訓』 にかへて、同様に和本の 『養生訓』 をよむことにする。

 

十一月十日(水)舊暦十月六日(壬戌) 晴

讀書。なるべく猫たちとすごしたいと思ふのだが、ゆつくり讀んでゐられないのがつらい。

草野知子著 『ビギナーズ・クラシックス 中国の古典 墨子』(角川ソフィア文庫) 讀了。本文は、原文・訓読・譯の三段階になつて、わかりやすくはなつてはゐるが、どうもピンとこない。もやもやしてゐるのはやめて、半藤一利さんの 『墨子よみがえる “非戦”への奮闘努力のために』 をよみはじめる。「“日本の墨子”中村哲氏との唯一の対話」が収載されてゐるのも樂しみである。

また、ヘニング・マンケル著 『ファイアーウォール(上)』(創元推理文庫) 讀了。こちらは、巨大惡に立ち向ふコンピューター犯罪をあつかつてゐる。 

 

十一月十一日(木)舊暦十月七日(癸亥・上弦) 晴

午後、妻の甥のつれあひが來て、妻のからだをもみほぐしていかれた。ついでにたのんだらぼくのからだももみほぐしてくれて、それがとても柔らかでやさしいので、はたして効くのかどうかと思つたが、じんわりと血流が改善し、効いてくるもののやうで、すぐには結果はでないのださうだ。次回がまちどおしい。これをいはゆる整體といつてよいものかどうか、それはわからない。

 

ヘニング・マンケル著 『ファイアーウォール(下)』(創元推理文庫) 讀了。

内容・・・タクシー運転手殺害で逮捕された少女が脱走、死体となって発見された。単純なはずの事件が一気に様相を変える。一方、病死だと思われたITコンサルタントの死体がモルグから盗まれ、代わりに少女との繋がりを疑わせるものが。調べ始めたヴァランダーは、コンピュータに侵入するため、天才ハッカー少年の手を借りる。新しい時代の犯罪に苦しむヴァランダー。人気シリーズのターニングポイントともいえる第八弾。 

 

十一月十二日(金)舊暦十月八日(甲子) 晴

朝、近くの床屋に行き、頭髪を刈つていただいた。つまりいがぐり頭といふか坊主頭にしてもらつたのだ。生涯初の斷髪なので、後悔するのではないかとずつと踏ん切れなかつたけれど、なぜかこのごろ切りたくなり、實行してみても少しも違和感がない。よかつた。

まあ、人がどう思ふか、考へればきりがないが、ひとつのこたへは、「七人の侍」の志村喬のまねをしたかつたといふことにしておこうと思つてゐる。人助けのためではないが、これからの自分の生活に「喝」をいれたかつたことには間違ひない。

ところが、妻は、ぼくの頭と顔を見て、一氣に年をとつたねつて、かうだもの。いやになつてしまふ。

それから、高圓寺の古本市に出かけ、歩き回る。歸宅後、風呂に入り、あたまを洗つたけれど、なんと簡單なことか。やつと坊主になつたことが實感できた。もつと早くに刈つてしまへばよかつた。

今日の歩數・・・六四七〇歩 

 

十一月十三日(土)舊暦十月九日(乙丑) 晴

朝からぞくぞくするので、外はいい天氣なのに、終日横になつて讀書。

自分の生活に「喝」を入れたかつたから坊主頭になつたのに、初日からあひかはらずの日々がくりかへされさうだ。切り取つた髪の長さは、二五センチ。何の役にもたちはしない。さう、妻が言ふには、坊主頭にしたぼくは、シティボーイズの大竹まことと久米宏をたして二でわつたやうなのださうだ。ほめられてゐるのかバカにされてゐるのかはわからない。が、あきれてゐることはたしかなやうだ。

先日買ひもとめた、デイヴィッド・マレル著 『赤い砂塵』(ハヤカワ文庫) が面白い。まあ、あの 『一人だけの軍隊』(ランボー) を書いた作者だから當然かもしれない。

『平家物語 百二十句本』 は、第五十四句〈義仲謀叛〉につづく〈入道死去〉が壓卷! そのさま、「入道、病ひつき給ひし日よりして、水をだにのどへも入れ給はず。身のうちのあつきこと、火をたくがごとし。ただのたまふこととては、『あつや、あつや』とばかりなり。(水を張つた石の舟に入れたまへば)、水おびただしく沸きあがり、ほどなく湯にぞなりにける。せめてのことには、板に水をそそぎ、それに臥しまろび給へども、助かる心地もし給はず。悶絶地して、つひにあつけ死にぞ、死に給ひける」

それにつづく、〈祇園女御〉は、入道相國の出生についてや、大江匡房が語る佛敎ばなしなど、興味深いのだが、ながながとつづくので飽きてしまふ。 

 

十一月十四日(日)舊暦十月十日(丙寅) 晴

今日も、終日讀書。

デイヴィッド・マレル著 『赤い砂塵』(ハヤカワ文庫) 讀了。

内容・・・元軍人の画家チェイスは、武器商人の妻シェンナの肖像画を描くため、荒野に建つ武器工場をかねた邸に招かれた。武器商人の三人の前妻がみな肖像画の完成後に不審な死を遂げていることを知り、チェイスはシェンナを救う決心を固めていた。画を描くうちに二人は心を通わせ、非情かつ危険な夫からの脱出を謀る。ヘリコプターを奪い逃亡した二人に、武器商人の執拗な追手が迫る。情熱的な愛とアクションにみちた傑作冒険小説。

とあるけれど、スウェーデンとアイスランドの刑事もののねばつこさにくらべたら、單純明快すぎてものたりない。

 

つづいて、これも先日もとめた、佐伯泰英著 『惜櫟荘だより』(岩波現代文庫) をよみはじめる。四月によんだ、小林勇さんの 『惜櫟荘主人―一つの岩波茂雄伝』(講談社文芸文庫) が面白かつたが、その後の「惜櫟荘(せきれきそう)」がどうなつたのか氣にはなつてゐたので、期待できさうだ。

 

十一月十五日(月)舊暦十月十一日(丁卯) 快晴

今日はひるから散歩に出る。お花茶屋公園まで歩き、ひとやすみしてから食事處をさがすが、お休みが多く、靑砥驛前の更科で天ざるをいただいた。それから京成八幡驛の山本書店を訪ねた。

歸宅すると、先日日本の古本屋を通して注文した、幸田露伴著 『游塵』(東京出版) がとどいてゐた。その第一章が、「墨子」なのである。獨特な露伴節だ。どこまでよめるだらうか。

佐伯泰英著 『惜櫟荘だより』(岩波現代文庫) 讀了。「時代小説文庫書下ろし」の収益を惜櫟荘の修復にあて、しかも買ひ取つたといふより、後世に殘すべくその「番人」に徹するといふなんざあ、これぞ男氣といひたい。それにしては、ちかごろ佐伯さんの時代小説をよんでゐないなあ。

内容・・・熱海に仕事場を構える著者は、縁あって惜櫟荘を譲り受け、後世に残すため完全修復を志す。一九四一年、岩波茂雄が静養のために建てたこの別荘は、江戸の粋を知る建築家・吉田五十八の感性と、信州人・岩波の海への憧憬から生まれた「名建築」だった。設計図もない中、パズルを解くような解体・修復工事が始まり、やがて、「五十八マジック」ともいうべき独創的な仕掛けが、次つぎ明らかに―。「名建築」はいかにして蘇ったのか? 秘められた趣向とは? 若き日のスペインでの思い出や、惜檪荘が結ぶ縁で出会った人々など、興味深いエピソードも交え、修復完成までをつぶさに綴る。好評の『図書』連載に加筆、写真も加えた、著者初のエッセイ集。二〇一四年「日本建築学会文化賞」受賞。

大塚ひかり著 『女嫌いの平家物語』(ちくま文庫) をよみはじめる。

今日の歩數・・・五六一〇歩

 

十一月十六日(火)舊暦十月十二日(戊辰) 晴たりくもつたり

今日も終日讀書。『平家物語』 と 『女嫌いの平家物語』、それに半藤一利さんの 『墨子よみがえる “非戦”への奮闘努力のために』 を交互によみすすむ。

『女嫌いの平家物語』 をよんでゐて、藤原定家の姉・健壽御前が記した、『たまきはる(健壽御前日記・建春門院中納言日記)』 がよみたくなり、どうせなら複製か影印でと思つて日本の古本屋を檢索したら、一册だけ出てゐた。思ひきつて注文した。

 

午後、まだ明るいうちにシャワーを浴び、頭を洗ふ。きもちいい。

 

十一月十七日(水)舊暦十月十三日(己巳) 晴

今日は夕方から、大學時代の友人と史跡散策と會食。それに先立つて、松戸驛で晝食をいただき、柏のブックオフに立ち寄る。待ち合はせは京成電鐵市川真間驛。柏驛から東武鐵道で船橋經由、市川真間驛まで時間がかかり、二〇分ほど遅刻。

待ち合はせてから、市川ゆかりの文學者を紹介してゐる「文學の道」を經て、手兒奈靈堂と龜井院の眞間の井、それに、六十段の石段の上にそびえる眞間山弘法寺を訪ねた。

會食の場所は市川真間驛前にある、友人の息子さんのお店(neppuu熱風〜)で、ぼくにははじめての沖縄料理である。まづゴーヤが初體驗、ぜんたいに珍しい味はひだつた。

今日の歩數・・・九五七〇歩

 

十一月十八日(木)舊暦十月十四日(庚午) 晴

昨夜、半藤一利さんの 『墨子よみがえる “非戦”への奮闘努力のために』 讀了。よくわかつたと言ひたい。中村哲さんとの對話もいい。印象にのこつた言葉のひとつは、

「戦争は、ある日突然に天から降ってくるものではない。長い長いわれわれの『知らん顔』の道程の果てに起こるものなんである」

内容・・・“非戦”や“愛”を説き、奮闘努力することは現代においては理想を語るにすぎないのか? 二五〇〇年前、戦国時代の中国であまねく人を愛せよ、戦争は決してするなと 「兼愛」「非攻」 をとなえた墨子の思想が今こそ日本、そして世界の平和の砦を築く──。亡くなる前日、著者が遺言のように告げた 「墨子を読みなさい」 の真意とは? “日本の墨子”中村哲氏との唯一の対話を収載。

また本書に觸發されてもとめた本は、幸田露伴の 『游塵』(東京出版)、武者小路實篤の 『墨子』(大東出版社)、それに 『魯迅文集 2』(ちくま文庫) の三册におよんだ。

 

『平家物語 百二十句本 三』 (古典文庫) 讀了。

『平家物語 百二十句本』 がちやうど半ばまでよみ終はつたところであり、大塚ひかりさんの 『女嫌いの平家物語』(ちくま文庫) を、前半の〈栄える平家をとりまく女たち〉までよんだので、後半の〈滅びる平家をとりまく女たち〉は、『平家物語』 をさらによみすすんだところでよむことにする。それにしても、著者の「勝手な憶測」としてゐるけれど、物語にひそむ謎解きが興味深く、面白い。いや、勉強になる。

せっかくだから、『吾妻鏡』(岩波文庫) を出してきて、『平家物語』 のながれにそつてよんでいくことにする。

日本の古本屋を通して注文した、武者小路實篤著 『墨子』(大東出版社) と、『復刻版 たまきはる』(早稲田大学出版部) がとどく。ただ、『たまきはる』 は和本仕立てではあるが、紙が和紙ではなくコピーされた洋紙のやうなのが殘念である! 

 

十一月十九日(金)舊暦十月十五日(辛未・滿月) 晴

今日は、神田の古書會館の古本市を手始めに、古書店街を夕方まで歩き回つた。

ばくぜんと、墨子と魯迅の文庫本を目あてに歩いてゐたところ、偶然にしては出來過ぎの出會ひがたくさんあつた。墨子については、浅野裕一著 『墨子』(講談社学術文庫) と、酒見賢一著 『墨攻』(新潮文庫) が。魯迅については、澤口書店の一〇〇圓均一の棚のなかに、岩波文庫で五册(『野草』、『阿Q正伝・狂人日記 他十二篇(吶喊)』、『朝花夕拾』、『故事新編』、『魯迅評論集』)。その他、魯迅と同年代の中國作家の郭沫若作 『歴史小品』、老舎作 『駱駝祥子』、丁玲作 『霞村にいた時 他六篇』、それに、沈復作 『浮生六記(うき世のさが)』 といふのがそれぞれ面白さうなのでもとめた。だが、これらはぼくにとつて未開の分野である。

そしたら、さいごに、佐高信さんの 『魯迅烈読』(岩波現代文庫) が目に飛び込んできて、こりやどうしたものかと、いささかおどろいた。

たしかに、『故事新編』 のなかに〈戦争をやめさせる話〉といふ章があつて、内容は墨子の非戰論である。半藤さんの 『墨子よみがえる』 のなかで紹介してゐたので、復習になつた。

今日の歩數・・・六三一〇歩

 

十一月廿日(土)舊暦十月十六日(壬申) 晴

終日讀書。慈圓の 『愚管抄』 の〈卷第五〉をよむ。保元・平治の亂あたりから、平家滅亡、陸奥国平定までのダイジェストといつたところ。一氣によめた。 

そのなかで面白く感じたのは、壇ノ浦で平家が滅びたとき、三種の神器のうち寶劍が海に沈んで失はれてしまつたことにかんして、慈圓は、大隅和雄訳 『愚管抄 全現代語訳』(講談社学術文庫) で記すと、「今の世の中は武士がひたすら表にあらわれて天皇の守護者となる世の中であるから、それと入れ替わって宝剣がなくなったのである。宝剣はもう役に立たなくなったのである。考えてみるとよく理解できることであり、世の移り行く姿がしみじみと物悲しく思われるのである」 といふのである。むべなるかな!

 

十一月廿一日(日)舊暦十月十七日(癸酉) 曇天

昨夜、酒見賢一 『墨攻』(新潮文庫) を一氣よみ。面白かつた。解説には、「この小説は、墨子や墨家集団について明らかにされている学問的成果にもとづく歴史的事実に類する部分と作者の虚構部分との相互循環で展開されている」とある。さもありなん。

内容・・・大国が覇を競う古代の中国。平和を説き、戦争で助けを求められればあらゆる手段で依頼者を守るスペシャリストの集団、墨子教団がいた。いま小城が呑まれようとするなか、教団の俊英・革離はひとり救援に駆けつける。二万の軍勢に囲まれた町を彼は守り通せるか? 映画化もされた中島敦記念賞受賞の傑作小説!

さらに、魯迅の 『阿Q正伝・狂人日記 他十二篇(吶喊)』(岩波文庫) をよみはじめる。原題は 『吶喊(とつかん)』 で、「開戦に当って両軍の兵士があげる叫び声(鬨の声)」の意。一九二三年(大正十二年)八月、新潮社から出版された魯迅の第一作品集といふ。譯は竹内好。

 

十一月廿二日(月)舊暦十月十八日(甲戌・小雪) 曇天のち雨

今日は終日横になつてゐた。昨日の施術のためだらうとは思ふのだが、眠くて眠くて本もよんでゐられない。どうにか食事だけはいただけた。

それでも、とびとびに魯迅の 『阿Q正伝・狂人日記』(岩波文庫) をよみすすむ。ところが、どうもわかりづらい。何かを暗示してゐるやうなのだけれども、魯迅が書いたその時代の問題がわからないせいか、ぼくのなかではばくぜんとしてゐる。

 

この五月に、妻の甥の充君が、ぼくのデジタルウオークマンの充電器を新品にとりかへてくれてから、また音樂を、とくにジャズをききはじめた。「ア」のアイク・ケベックからはじまつて、「ワ」のワールド・サキソフォン・カルテットまで一三六のミュージシャンの我がアルバムの、エラ・フィッツジェラルドまで聽いてきて、ふと大橋巨泉のジャズのはなしの面白さを思ひだし、もしやと思ひ、ネットで檢索したらヒットした。

その中で、NHK BSで一九九六年の一月に放送された、「巨泉のジャズ スタジオ」(全四回)が觀ることができたのには感激した。今晩は、その第一回目を觀た。 

 

十一月廿三日(火)舊暦十月十九日(乙亥) 晴

今日も眠くて起きられなかつたが、晝には、散歩をかねて食事に出、歸路、お花茶屋驛前の古本屋で、宮脇さんの文庫二册をもとめる。

ところが、『養生訓』 をよんでゐたら、「臥す事をこのむべからず。久しく睡り臥せば、氣滯りてめぐらず。飲食いまだ消化せざるに、早く臥しねぶれば、食氣ふさがりて甚だ元氣をそこなふ。いましむべし」、なんて書いてある。寢てばかりゐてはいけないといふ警告とうけとめておかう。

昨夜、魯迅の 『阿Q正伝・狂人日記』(岩波文庫) 讀了。

内容・・・「人が人を食う」ことを恐怖する主人公の、「子供を救え」の叫びとともに、封建制度・儒教道徳の暗黒を描く「狂人日記」。革命のどさくさの中の阿Qの死と悲喜劇を通して、「革命と民衆」を鋭くつく「阿Q正伝」、ほか。辛亥革命前後の混乱期に、敢然とペンを執って立ち上がり、中国近代文学を切り拓いた魯迅が、時代の苦悩と不屈の精神を伝える名作。魯迅を読まずして中国を知ることはできない。

 

今日もまた、「巨泉のジャズ スタジオ」、その第二回と第三回を觀る。このシリーズ全四回はどうもヴォーカルばかりのやうで、考へれば、ビリー・ホリデイの「奇妙な果実」をジャズの精神の源流とすると、ジャズはヴォーカルがベースにあるんだといふことを再確認させてくれた。とても珍しい映像がもりだくさん。たのしい、といふより、みな感動もので、サラ・ヴォーンの若かりしころのうたごえには鳥肌がたつた。 

 

十一月廿四日(水)舊暦十月廿日(丙子) 晴

今日は古本散歩。近邊では一か所、しかも久しぶりに開催した、御茶ノ水驛前のソラシティ古本市をたずねた。ここでの収穫は、金谷治譯 『墨子』(中公クラシックス) のみ。

つづいて、秋葉原のブックオフをたずねたが、まつたく収穫なし。そこで、久しぶりにヨドバシカメラに入り、カメラやヘッドホン、電子辭書などを見てあるいたけれど、なんだかみなぼくの理解を超えてしまつてゐて、異次元の世界をさまよつてゐるやうだつた。

最後に、御徒町驛から上野まで歩き、中央通りにあるブックオフで、やつと目あてのものが手にはいつた。魯迅の新しい譯の文庫本で、駒田信二譯の 『阿Q正伝・藤野先生』(講談社文芸文庫) と、藤田省三譯の 『酒樓にて・非攻』(光文社古典新訳文庫) である。なにせ、岩波文庫の竹内好譯と松枝茂夫譯は譯がこなれてゐないのか、直譯なのか、意味がつかみにくい。ためしに新譯とくらべてみたい。

今日の歩數・・・七八三〇歩

 

さうだ、昨日、ノラネコのカックン父さんが死んでゐるのが見つかつた。ノラネコたちのために寢床を用意した我が家の物置の片隅で、死後三、四日といつたところだらうか。發見した妻は、それを見て、我が家で死んでくれたことにいたく感動し、丁重に包んで區の淸掃事務所に運んでいつた。そこで、二六〇〇圓をしはらふと、燒いてからお寺の動物共同墓地に埋葬してくれるのださうだ。ああ、よかつたと妻はなんべんも口にしてゐた。 

カックン父さんといふ名は、その尾の先端が折れてゐたからだが、何年かまえに流れ流れてやつてきたノラだつた。我が家でノラネコの世話をしはじめてから死んだのはこれで四匹目。ただ、返す返すも悔しいのは、於菟ちやんと寅ちやんが、死期を察してからどこへとも知らずゐなくなつたことだ。最期を我が家で見とつてあげたかつた。

十一月廿五日(木)舊暦十月廿一日(丁丑) 晴

今日も終日眠くて眠くて床をはなれられなかつた。本をよめるほどの氣力もなく、ただ横になつてゐた。それでもどうにか本をよむ努力はかかさなかつた。

魯迅の、松枝茂夫譯 『朝花夕拾』(岩波文庫) は、著者の「自伝的な回想記」だといふのだけれども、半分よんできて、じつのところちんぷんかんぷんで何が書いてあるのかわからない。後半には有名な 「藤野先生」 があるし、少しはわかりやすいのかも知れないが、このままだと、いつ挫折してもおかしくない。

と思つてゐたところに、昨日屆いた、竹内好譯の 『魯迅文集2』(ちくま文庫) のなかの「朝花夕拾(ちょうかせきしゅう)」 をよんでみたら、とてもわかりやすい。竹内好譯は松枝茂夫譯のおよそ二十年後に譯されたらしいが、さもありなん。『朝花夕拾』、の後半を一氣に讀了。

ところが、その竹内好譯を批判して、新たな翻譯をこころみてゐるのが、『酒樓にて・非攻』(光文社古典新訳文庫) の藤田省三譯で、これには 『吶喊』 につづく第二創作集 『彷徨』 と 『故事新編』 のなかからそれぞれ四篇が選ばれてゐる。

「竹内訳は魯迅の原文と比べて数倍もの句点(。)を使って、本来は数行にわたる長文を多数の短文に切断し、伝統と近代のはざまで苦闘していた魯迅の屈折した文体を、現代の日本人の好みに合うように意訳を行っています。そこで、魯迅を現代日本語化するのではなく、むしろ日本語訳文を魯迅化することにより、時代の大転換期を生きた魯迅の深い苦悩を伝えようと努めました」 といふのだから、ぜひともこの本でよんでいきたい。

ところで、佐高信さんの 『魯迅烈読』(岩波現代文庫) の「烈読」は何をさして言はんとしてゐるのか、まだわからない。そろそろ讀まなくては。

 

また先日から、NHK BSで一九九六年の一月に放送された、「巨泉のジャズ スタジオ」を觀てゐるが、すばらしいのひと言につきる。アシスタントは森口博子。四回にわたつて、「デキシーからモダン、ボーカルを幅広く、実際の演奏の記録を映しながらの解説は貴重」。たしかに面白かつた。

 

十一月廿六日(金)舊暦十月廿二日(戊寅) 晴

今日も古本散歩。昨日は寢てゐたから、今日は歩かなくてはと思ひ、五反田と神田の古書會館の古本市をはしごし、さらに古書店街を歩き回つた。おかげで歩數は九二四〇歩。よく歩いた。

古本市と美味しい店めぐりが樂しいので散歩をする氣力がわいてくるが、まあ、いつまで出かけられるのか、そのためにも體調をととのへておかないといけない。

今日の収穫・・・『善光寺和讃 全』(和本)、日高善一編 『信仰の人 植村正久先生』(福音新報社)、谷沢永一 『雑書放蕩記』(新潮社)。それと、『芥川龍之介全集第八卷』(筑摩書房)。

『芥川龍之介全集第八卷』 には、「義仲論」がはいつてゐて、それなのに、この春に本を處分したときに出してしまつたやうで、惜しいと思つてゐた。それが二〇〇圓だつたので再度買ひ求め、その〈初期の文章〉の部分、四十六頁だけを切り取つてあとは處分した。

また、歸りの電車でよみはじめた谷沢永一の 『雑書放蕩記』、これも二〇〇圓だから求めたのだが、いやに面白い。ところがこの人、皇室を重んじる保守の論客の一人であつたらしいが、『聖徳太子はいなかった』(新潮新書) の著者でもあり、しかも、森銑三さんの 「井原西鶴の真の著書は 『好色一代男』 だけで、それ以外の『西鶴著』の本はすべて他の作家の筆による」 という、他の文學史家には長年無視されてゐる説を支持してゐるといふ、なんともとらへがたい學者さんである。 

 

十一月廿七日(土)舊暦十月廿三日(己卯・下弦) 晴

終日谷沢永一の 『雑書放蕩記』(新潮社) をよみすすむ。著者の自傳を軸にした書物紹介で、面白いだけではなく、目から鱗が落ちたわけではないけれど、こんな本あんな本をあれこれ提示され、もつともつとよまなければならないと思はせられる。

 

十一月廿八日(日)舊暦十月廿四日(庚辰) 晴

昨夜谷沢永一著 『雑書放蕩記』(新潮社) 讀了。まあ、刺激をうけたといへば受けたやうで、よみたい本がいきなり目の前にならびはじめた。むろんそのなかには、すでに入手してゐて、本棚を探せばすぐにでてくるのもあれば、買ひ求めるしかないのもある。よく考へてから購入しよう。

まづ、手はじめに、内藤湖南の 『先哲の学問』(ちくま文庫) をアマゾンで注文した。

 

今日はまた、ひとまとめにファイルしてある 『歴史紀行』 のなかから 「中仙道を歩く」 だけを別のファイルにコピーし、それを編集しはじめた。『中仙道を歩く』 だけの獨立した紀行を作りたいのが一番の動機だが、そのなかの文字づかひやフォント、寫眞の配置などを見やすくしたいためでもある。が、やりはじめると、あれこれ思ひ出すことも多く、ふたたび旅をしてゐるやうでそれも樂しい。

といふことになれば、次には、飛鳥の旅にはじまる 『歴史紀行』 も編集したくなる。まあ、徐々にといつたところだらう。なんだかやる氣がでてきた。

 

今日も午後、純子さんに來にきていただいて、妻とともにからだをもみほぐしてもらつた。今回で三回目だが、最初はからだがかゆくなり、前回の施術後はとても眠くなつた。これで快方にむかつてゐるやうなのだけれども、こんどはどんな症状がでてくるのかたのしみである。

 

十一月廿九(月)舊暦十月廿五日(辛巳) 晴

『歴史紀行 中仙道を歩く(四)』、大宮宿までの編集を仕上げる。

また、『平家物語 百二十句本』(古典文庫)、わづかづつだが順調によみすすんでゐる。卷第七、第六十一句〈平家北國下向〉、第六十二句〈火燧合戰〉、第六十三句〈木曾願書〉とよみすすみ、つづいては第六十四句〈實盛〉。以上の主役は木曾義仲その人である。

有名な、流布本でいふところの〈利伽羅〉は、百二十句本では、〈木曾願書〉のなかにふくまれてをり、かつて 「北國街道を往く」 の旅で訪ねたことを思ひ出した。

雨晴海岸や高岡市内見物のあと、倶利伽羅峠の源平の古戰場を訪ねたのだが、平家の軍勢が谷底へ雪崩れ落ちたといふだけのことはあり、平家方四萬餘騎が追ひ落とされたといふ崖(地獄谷)は思つたより深くて急だつたことが記憶にある(『歴史紀行五十六 北國街道を往く(二) 加賀街道編 二〇一五年十月七日』)。

 

十一月卅(火)舊暦十月廿六日(壬午) 晴

ひるから散歩にでた。そばが食べたくて出たのだが、はじめの店は滿席でおいだされ、バスに乘つて訪ねた二軒目は定休日。三軒目の店にたどりついたときには一時半をまわつてゐた。ところが、注文してからたいへん待たされ、食べはじめたのは二時すぎてゐた。

まあ、天ぷらがあつあつで美味しかつたからゆるせたけれど、二、三十分も待たせるとは、いまどき珍しい。

やはり、純子さんの施術が効いてゐるのだらう、午前中もさうだけれど、歸宅後も眠くてしかたなかつた。

魯迅の 『酒樓にて・非攻』(光文社古典新訳文庫) 讀了。これには、『故事新編』 からもとられてゐて、つづいてよんだ 『野草』 と合はせて、これで魯迅の小説をほぼすべてよんだといつていいのだらう。

今日よんだ 『野草』 は、はじめは岩波文庫でよみ、後半は同じ竹内好譯だけど、ちくま文庫の 『魯迅文集2』 でよんだ。この人、何回も譯しなほしてゐるのだらう。とてもよみやすくなつてゐた。

だが、このやうによんできて、書かれてゐる内容はさつぱり面白くない。佐高さんは「魯迅烈読」だなんていつてゐるけれど、どこがいいのだらう!

今日の歩數・・・三四一〇歩 

 

 

十一月一日~卅日 「讀書の旅」 ・・・』は和本及び變體假名・漢文)

一日 ヘニング・マンケル著 『背後の足音(下)』 (創元推理文庫)

十日 草野知子著 『ビギナーズ・クラシックス中国の古典 墨子』 (角川ソフィア文庫)

同日 ヘニング・マンケル著 『ファイアーウォール(上)』 (創元推理文庫)

十一日 ヘニング・マンケル著 『ファイアーウォール(下)』 (創元推理文庫)

十四日 デイヴィッド・マレル著 『赤い砂塵』 (ハヤカワ文庫)

十五日 佐伯泰英 『惜櫟荘だより』 (岩波現代文庫)

十七日 半藤一利 『墨子よみがえる “非戦”への奮闘努力のために』 (平凡社ライブラリー)

同日 『平家物語 百二十句本 三』 (古典文庫)

廿日 慈圓 大隅和雄訳 『愚管抄 全現代語訳』 〈卷第五〉 (講談社学術文庫)

同日 酒見賢一 『墨攻』 (新潮文庫)

廿二日 魯 迅 『阿Q正伝・狂人日記 他十二篇(吶喊)』 (岩波文庫)

廿五日 魯 迅 『朝花夕拾』 (前半松枝茂夫譯、後半は竹内好譯で

廿八日 谷沢永一 『雑書放蕩記』 (新潮社)

卅日 魯 迅 藤田省三訳 『酒樓にて・非攻』 (光文社古典新訳文庫)

同日 魯 迅 『野草』 (前半は岩波文庫、後半はちくま文庫の 『魯迅文集2』 で