二〇一七年二月(如月)一日(水)己未(舊正月五日 晴

 

ラフォーレ修善寺にて。多少寢不足でしたけれども、快い覺め。朝食は輕くいただいてから、仕事場へ。半年ぶりのわりにはなにごともなくはかどり、みなさんに支へられていいお仕事ができました。新郎は職員で、顔見知りでしたし、なによりもお二人に喜んでもらへたのがご褒美でありまして、歸りもるんるんでした。 

その歸りも踊り子號でと思つてゐたのですが、午後二時臺の特急列車の運行は平日はなく、三島驛から新幹線で歸つてきました。それで、ふと、品川驛で乘り換へてみようと思ひたち、横須賀線・総武快速線に乘り換へましたところ、乘り換へ自體も短距離でスムース、座席にも座れ、なにより、五つめが新小岩驛といふ簡便さでした。 

 

今日の讀書・・飯嶋和一著 『神無き月十番目の夜』 (小学館文庫)讀了。讀みはじめてから間があいてしまひましたが、昨日からは専念して讀み、歸りの電車の中で讀み終へました。 

解説にもあるやうに、「『神無き月十番目の夜』 は、“百姓一揆”の物語であり、“土民蜂起”の物語であ」りまして、最初から息詰まるやうな展開でした。ただこの話は、「支配階級としての武士に対しての“百姓一揆”や“土民蜂起”であるのと同時に、古い意味での在野の武士(野武士)の風格を持つ郷士による、新官僚としての制度的な「武士」に対する叛乱だつたと見ることも可能なのだ。そして、それは山奥の森や山河に住む、日本の土着の古い「神」による、新しい時代の、新しい信仰─近世的な合理的思考、具体的にいえば儒教の朱子学的思考─に対する抵抗であり、反抗であったともいえるのである。」 

でも、要するに、一揆や蜂起がいかにして起きるのか、そのことが身にしみてわかる内容であります。どなたにも一讀の價値あり! 

 

今日の寫眞・・飯嶋和一著 『神無き月十番目の夜』 (小学館文庫)と、關連書の『天明一揆史料』、といつても、むしろ内容的には、『雷電本紀』 のはうが適切ですが、兩書の關連書として擧げておきます。 

『天明一揆史料』 は、東京都西多摩郡の羽村町教育委員会から出されてゐるのに、どういふわけか、「天明年間東國變亂覺書」 なる古文書が掲載されてゐるのです。その八つの項目のうちには、「信濃國淺間山燒之事」と「信上兩州大變物語之事」とあり、これはこれで興味深いですね。そしてなによりも、この古文書が、右頁に本文、左頁にはその翻刻(活字化)と讀み下し文も載せてありますから、理解するにも適してゐます。 

それと、夜、《史策會・東山會》の森さんから電話があり、テレビで神保町をやつてゐるよと敎へられて見た番組。東京古書會館はたびたび訪ねてますが、普段見られないオークションの樣子が見られました。