七月廿八日(火)乙巳(舊六月十三日) 晴、蒸し暑い

 

終日讀書。

先日訪問した安土城について、調べたいことがたくさんあつたので、手始めに、大正十四年(一九二五年)に書かれた、木下杢太郎の『安土城記』を讀んでみました。ところが、どうも讀みにくい文章で、途中で放り投げたくなりました。内容は、著者らしい人物の回想と安土城訪問記です。

回想では、「アレッサンドロ・ワリニヤニ師の第二回の日本入りの際、師に随従した僧が書いたものらしい」原稿を、「日本語に移して記録した」ものが述べられてゐます。そこには、安土における信長が、「巡察使アレッサンドロ・ワリニヤニ猊下」を歓待した樣子が細かく記され、また安土城が、ヨーロッパ人の目から描かれてゐます。

「中峰の最高所には信長公の居城が立つ。其宏壮華美、之を欧羅巴の最も美しき城郭に較べても決して遜色がない。ここに達するには一つの急峻なる坂を登る。そこに第一の門がある。門を入ると内部に一大宮殿が立ち、其傍に広く大きなる舞台があつた。云々」

まあ、實際には、石段と石垣だらけで、建物はまつたくありませんでした。ただ、犬山城や岐阜城や彦根城とくらべてとてつもなく大きい城であることは、實感できました。高さは琵琶湖水面から一〇〇㍍で、その頂上に高さ十二㍍の天主閣がそびえてゐたわけです。それにしても、彦根城で、その築城に際して、近隣の城跡から石垣の材料を運び移したと言はれてゐますが、安土城跡からも運び出したのでせうか。そのやうな形跡はありませんでしたから、あとで修復でもしたのですかね?

ちなみに、木下杢太郎は、「皮膚科の医学者、詩人、劇作家、翻訳家、美術史・切支丹史研究家。大学医学部の教授を歴任し、また、南蛮情緒的、切支丹趣味、耽美享楽的など言われるきらびやかな詩や戯曲を残した」人だつたやうです。

 

今日の讀書・・木下杢太郎著『安土城記』(『切支丹風土記 文学編』(宝文社)所収。

 

今日の寫眞・・バスの窓から見た、『安土城記』の中で、「かの臥せる駱駝に似た丘陵」と記される、安土城跡のほぼ全景。二枚目は、同じく、天主閣「に達するには一つの急峻なる坂を登る」と記される、大手道。といつても嶮しい石段です。途中所々に、道祖神などの石佛が石材として利用されてゐました。最後が、『切支丹風土記 文学編』(宝文社)とヴァリニャーノ『日本巡察記』(桃源社)。

 



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