四月二日(土)甲寅(舊二月二十五日 曇天

 

今日は夕方、齋藤さんと待ち合はせて、山田弓具店に行きました。ところが、昨晩、テレビで《神保町春の古本まつり》の樣子が映し出され、これは行かなくてはならないと思ひ、少し早く家を出て訪ねました。まあ、秋の古本まつりにくらべたら規模も小さく、ただお勉強のためにながめるだけにとどまりましたが、それでも、影印本を二册求めることができました。 

さて、齋藤さんとは、九段下の驛で待ち合はせたんですけれど、すごい人出なのでびつくりしたら、さう、お花見の人々だつたんです。が、ぼくたちは、飯田橋驛に向つて歩き、その中間にある弓具店を訪ねました。齋藤さんは顔なじみですが、なまけもののぼくはたまにしか來ません。前回は、矢を求めた時だつたと思ひます。齋藤さんは、お店の方に、弓について、その手入れといふか、調整の仕方を教はつてゐましたが、ぼくはとりあへづ、弦と稽古着を新しく買ひました。 

歸路、水道橋のかつ吉に行き、二人で美味しいとんかつをいただきました。ぼくはヒレ、齋藤さんはロースを賴みました。 

 

*三月卅一日「野川散策」(つづき) 

豫定では、野川の川原でお辨當をいただくことになつてゐたやうですが、なにせ、好奇心の強い方々ばかりなもので、ちよいと道草を食ひすぎてしまひました。むろん、それはそれで樂しいひとときでした。 

さて、野川散策がはじまりました。川原におりて歩きはじめて、ぼくは、なんだかとても懐かしい氣がしました。遠い昔の、幼い頃に田舎で遊び回つた頃の思ひ出が、ふとよみがへつてきたからでせうか。でも、現實は、川の上の土手の周りは家々が連なり、なつかしい畑や雑木林とはくらべものになりませんでしたけれども、それでもなんとものどかで樂しい散策でした。 

子どもたちが遊び、それを見ながらひろげたシートの上で飲み食いしてゐる家族や若いカップル、都會に、といつても片隅なんでせうが、かういふひとときをもてる場所があることに、ぼくは正直驚くとともに、實にうらやましくなりました。 

それに、生き物がゆたかなんです。歩いて行く先々で、鴨が、それも番いの鴨や鴛鴦が、また、白鷺がえさの小魚をついばむ姿が、いい景色になつてゐますし、さう、大きな靑大將がぬるりと小川を泳いでいきました。が、なんと言つても素晴らしかつたのは、カワセミが見られたことです。 

前もつて、甲斐さんが、運がよければ見られるよと言つてくださつてゐたんですけれど、それが正夢になるとは、驚きを禁じ得ませんでした。しかも、川の崖の藪の小枝にとまつてゐる、その上を人が歩いてゐても平氣なんです。人にはなれてゐるんでせう。簡單に見つけられたのは、しかし、すでに觀察をしてをられる方々がゐたからですが、みなさん望遠カメラを向けられて、大人たちの遊び場でもあるんだなあと、變なことに感心してしまひました。 

そのほかにも、ムクドリやハトや、名前はわかりませんでしたけれど、あきらかに猛禽類と思はれる鳥も見かけました。 

もちろん、川には小魚や、場所によつては鯉の姿も見られました。

 

いやあ、それにしても長い長い距離でした。住宅街の中を切り取るやうに流れてゐた川が、いきなり田園風景のなかに飛び込み、或いは公園の中を貫き、走馬燈のやうに景色が移り變はります。櫻が滿開でしたけれど、それはそれで彩りを添へてはゐましたが、もう、景色のぜんたいが繪のやうでした。實際、繪を書いてをられた方々も多く見受けることができました。 

西國分寺驛から、國領驛までは、直線で十キロあります。が、實際には十四キロから十五キロを歩いたのではないでせうか。國領驛に着く頃には、ぼくも足がだいぶ痛くなつてきました。それでも、その間、二三二〇〇歩でしたから、先日の我が家から國會議事堂までよりわづかに短かかつたわけです。 

待ちに待つた會食は、國領驛前の居酒屋風の、〈地鶏專門 山内農場〉といふ店で、いただきました。生ビールで乾杯のあとは、それぞれが注文しあつて、ぼくは馬刺しを取つてしまひました。實に愉快なひとときでした。 

次回は、十月下旬、國領から、野川をさらにくだつて、多摩川と合流する二子玉川まで、直線距離で約九キロを歩く豫定です。 

ちなみに、歸宅したら、今日一日歩いた合計が、二五九六〇歩でした。 

 

今日の寫眞・・《神保町春の古本まつり》の樣子と、山田弓具店。それに、野川散策より(つづき)。親子連れの下の水面近くの小枝に、赤い腹をしたカワセミがとまつてゐるのがわかるでせうか?

 





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