十二月廿五日(金)乙亥(舊十一月十五日・望 晴

 

今日は金曜日。萬難を排して、今年最後の古本市に行つてまゐりました。場所は勝手知つたる東京古書會館です。ぐろりや會の出店でしたが、ここでは、筆や硯や墨や篆刻のための石の數々も出てゐて樂しいのであります。ぼくは、その中から、「高級紫檀条幅文鎭」(30×25×25)といふ大きな文鎭を探し出しました。また、小型の文語譯『新約聖書 詩篇附』が目にとまつたので、手に取つたら、中に「靑山學院教會週報 昭和十五年九月二十九日」なる紙片が挾まつてをりまして、しかも三五〇圓だつたので、これも求めてしまひました。 

その他、『眞宗安心 極樂道中獨案内 全』と『百人一首解 全』といふ和本。前者は、插繪も入つてゐて、和製『天路歴程』といつたところでせうか。これが一番高價でした。 

それと、『猥褻廢語辭彙』。これはよく見たら、宮武外骨の書でありました。筆文字でいかにも和本風なんですが、大正八年四月の日付ですから、すでにくづし字は廢止されてゐたにもかかはらず、所々くづされてをります。さう簡單には強制に服さないところがまた外骨さんらしくていいところですが。 

さう、その〈自序〉を寫してみませう。 

「過激と猥褻の二點張りと云ふべき予の性格、その予が企畫せし官僚政治討伐、大正維新建設の民本主義宣傳を妨害され窘迫さるれバ、自然の歸着として性的研究の神秘漏洩に傾かざるを得ざるべし。これ本書編纂の理由にして又予の天職發揮なり。若しこれも押さへられんか、予は氣のやり所なきにあらずや。   大正八年四月二十日 宮武外骨 」 

内容がまた興味津々で、例へば、 

「鴨の腹  若き女の陰毛に手を觸ての感じを形容せし語。鴨の腹毛の柔かく滑らかにして手はりよきに比して言ふなり。『手を取つて子に撫でさせる鴨の腹』ないふ川柳あり」(斜體は變體平假名です)。 

いやあ、興味深いですね。その他、市松、吾妻形、おにやけ、御香箱、貝合せ、菊座、須磨の浦、そそ坊主、筆おろし、ももんじい、ろてん、等々、ぼくなんかには未知の言葉といふか世界が繰り廣げられてをります。 

さらに、『自己手本 假名文字』なるペラペラ綴じの和風册子。實に美しい假名文字が連なつてゐます。かうやつて自習された方がをられたことに、ぼくは襟をただしてしまふのであります。末尾に、若山牧水の歌が記されてゐますから、それほど古いものではないやうですが、ぼく自身の手本になりさうです。これなんか、一〇〇圓でした。

 

今日の寫眞・・今日求めた和本。それと、ぼく自身が常に思つてゐる、新聞の切り抜きです。

 




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