二月十七日(月)己未(旧正月十八日) 晴れ      

『歴史紀行二十四 中仙道を歩く十二』が脱稿しました。かう書くとかつこいいやうですが、いやはや這いずりながらやつと到達したといつた感じです。午前中に仕上がり、すぐ友人たちに送らうと思ひましたが、何回か読み直さないと必ず誤りがあるので、ぐつと我慢しました。そして、熱を冷ます必要もあるので、久しぶりに弓道場へでかけました。

あひだがあいてしまふと、よけいに足が遠のいてしまひがちなんですが、この月曜日のメンバーはいつも温かく迎へてくれるのです。ただ、今日も齋藤さんが病院で検査のためお休みでした。宮司の坂本さんは、ぼくを待ち構へてゐたやうに、『神社暦』を差出し、「最後の一冊、どうにか持つて来れたよ」、とくださいました。ぼくが、「日記」に干支を記してゐるのを知つてゐるもんですから、しかも無料でいただいてしまひました。

中辻先生もお元気さうで、今日も丁寧に稽古をつけてくれました。齋藤さんがいつも冷やかすやうに、ぼくは長く休んだときにかぎつてよく的中するんです。今日も、はじめの二射が的に吸ひ込まれるやうに、なんてもんじやありませんが、パンといい音をたてて当たつたのにはうれしかつたです。はい。

もう一人、茂木さんも最近ご一緒してゐます。話してゐると、茂木さんも、テレビで、弓の製作ドキュメントを見て弓道をはじめたといふのです。ぼくも、都城の大弓製作番組を見て、次の日に弓道場へ足を運んだくちですから、親近感を持つてしまひました。道具や形から入るといふことは、ぼくはむしろ正しい取り組み方ではないかと思ふのです。

 

帰宅すると、トラベル日本から封書が届いてゐました。開封すると、「中山道を歩く」の予定表でした。次回、碓氷峠から軽井沢以降の予定がまだ来てゐなかつたのです。十四回軽井沢から十七回和田峠までです。そして、和田峠までは日帰りですが、それからは一泊二日が一度、そしてその次からは京都三條大橋まで二泊三日となります。費用も気になりますが、それよりも体力ですね。それと、「歴史紀行 中仙道を歩く」が書き続けられるのかどうかです。

また、他に、「歴史探訪『おくのほそ道』笈の小文編」といふ案内が入つてゐました。そそられますね。東京駅発着で、二泊三日のツアー旅行です。ぼくの秘めた計画を先取りされたやうな内容です。でも、四月の上旬、無理かも知れません。

 

『歴史紀行二十四 中仙道を歩く十二』は、夕食をはさんで、よく読み直して、夜も更けてから、やつとお待ちかね(?)の方々に送ることができました。めでたしめでたし。

 

今日の写真・・昨日の散歩で見た東京スカイツリー。弓道場にて。「中仙道を歩く」予定表。