三月四日(金)乙酉(舊正月廿六日 晴

 

今日は金曜日。東京古書會館で古本市が開かれる日であります。また、一昨日から、所澤のくすのきホールで、〈彩の國所澤古本まつり〉が開催されてゐたので、はしごをして兩方訪ねてまゐりました。 

ところで、先日ある方から、古本屋にはよく行くんですねと言はれました。まあ、たしかにさうなんですけれど、言ひ譯をしますと、ぼくが古本屋通ひをするのは、常に視野を廣げておくためで、やたら買ひ込むためではありません。この視野といふか書物全般についての知識は、新刊本屋や圖書館では決して得られないであらう、いはば歴史そのものと言つてもいいあらゆる種類の知識を與へてくれるのです! 

ネットの〈日本の古本屋〉と〈アマゾン〉は、必要な本を探して買ふことができますけれど、未知との遭遇はありません。出會ひに缺けるわけです。しかし、この出會ひはばかにできないのであります。 

今日など、『房総の道 成田街道』(聚海書林)といふ本に出會つて、さうだ、成田まで歩いてみようかといふ氣になりました。さういへば、今讀み進んでゐる「酔いどれ小籐次留書」シリーズの中に、成田詣と水戸街道を旅する話がありましたから、頭の中に伏線が敷かれてゐたんでせうね。この二街道なら、歩いて日歸りを重ねれば完歩出來るなと思ひました。 

また、今日は、昭和三十七年(一九六二年)發行の、『地番入 東京都区分地図帖』(和楽路屋)と出會ひました。これはぼくが以前持つてゐたことのある地圖(と同じ新書版サイズの本)なんです。が、ずつと昔に紛失し、探してはゐたんですが、神保町では目が飛び出るくらゐ高かつたのを知つてゐたものですから、格安で入手できたことは實に幸運でした。 

表紙をめくると、「都電系統図」が現れ、ぼくが明學に通ふとき、時たま利用した上野驛から品川驛までの系統番号1の路線も、しつかりと描かれてゐます。それと、我が住まひの堀切の住所が下千葉町となつてゐます。これなら、あの住所表示を改惡した愚行前の歴史的傳統的建造物、ではない、由緒ある地名を再確認することができます。東京を歩く樂しみが增えたといふものです。これは大事に大事に使つていこうと思ひます。 

 さらに、『四體千字文 隷書・楷書・行書・草書―特製和綴本―』(文海堂書道双書)を求めました。「千字文(せんじもん)」はすでに手元にあるんですが、楷・行・草のみで、隷書がなかつたんです。普通は、「三體」だけのやうですので、しめたものでした。一月前、東京都美術館での書海社展に出展された、楓さんの陶淵明の詩は隷書だつたんです。「力強い、品格のある作品でした」。ただまねしようにも、隷書のお手本がなかつたので、この『四體千字文』を見つけたときには、これはぼくを待つてゐたんだなと思ひました。 

『千字文』といつても、ぴんとこない方もをられるかも知れませんが、これは、「中国、梁(りょう)の周興嗣(しゅうこうし)が武帝の命により、文字習得のための教材として編んだ字種の異なる一千字の韻文。二五〇の四字句から成る。楷・行・草の三書体を並べた『三体千字文』は、習字の手本として中国・日本で広く用いられた。『天地玄黄、宇宙洪荒』(天地は玄黄なり、宇宙は洪荒なり)に始まり、『謂語助者、焉哉乎也』(語助(ごじょ)と謂()う者は、焉哉乎也(えんさいこや)なり)に終わる」、といふものです。岩波文庫にもあります。 

 

今日の寫眞・・西武池袋線の特急券。掘り出し本三册。『地番入 東京都区分地図帖』の中から「都電系統圖」と葛飾區の部分。曳舟川がまだ暗渠になつてゐませんし、なんと、小菅刑務所の東、荒川放水路に、「弥五郎新田橋」なる橋が架橋中となつてゐます。現在、堀切橋と千住新橋との間には橋はありませんが、これが出來てゐたら大變便利であつたらうと思ひます。綾瀬川に架かる水戸橋の延長線ですから、かつての水戸街道(の渡し)があつたところですね。これは新發見でした。

そして、今日のステレオ立體寫眞。くすのきホール八階の古本まつりの會場にて。眞ん中の柱にピントを合はせるやうに寄り目をしてください

 




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