三月十五日(火)丙申(舊二月七日 晴

 

小松英雄先生の『伊勢物語の表現を掘り起こす』(笠間書院)を今日も讀みすすみました。天氣もよくなり、途中で蒲團を干したり、それを裏返ししたりしながら、これも、『古今和歌集』 と同じやうに、影印本三册を見くらべながら、まづ原文を讀むといふか、どの樣な變體假名でも讀めるやうに、いつものやうに文字を覺えながら讀みすすみました。ですから、「小次シリーズ」のやうにははかどりません。數行づつ、數頁づつ根氣よく讀みすすむしかありません。そのやうにしてしか、わが先祖、ではないな、我が母國の先人が殘した假名文字作品を正確に理解出來ないと言ふのは、まことに悔しいし、はがゆいし、じれつたくて、まどろこしいのですが、學びの道に王道なしとでも言つておきませうか。 

 

*以下、十九日《國會議事堂をめざす》のつづきです(十一) 

だいぶ暗くなつてきました。千鳥ヶ淵を眺めると、そのお堀には、といふよりお堀の上には「首都高速道路」が渡され、そのまま皇居の土手つ腹の穴に吸い込まれるやうに走つてゐるんですね。その高速道路を通つたことはありましたが、戰没者墓苑の脇からながめると、ひときは異樣な光景に見えます。 

その橋の上を走り過ぎる自動車のヘッドライトがまぶしく見える時刻になつてきました。ぼくは、お堀に沿つてさらに進みました。自動車で通つたことはありましたが、歩くのははじめてです。千鳥ヶ淵交差點を過ぎると、左には半藏濠、内堀通りをへだてた向かひにはイギリス大使館がそびえてゐます。途中、「自由の群像」なる銅像が建つ公園で小休し、トイレを拜借してから、再び歩きはじめました。 

半藏門を、ぼくはきつと、はじめて意識して見たのではないでせうか。半藏濠と櫻田濠にはさまれた土手を行くと半藏門に達するのですが、なんだか東京都内とは思へない景色です。とくに、土手をはさんだ櫻田濠の水位の低さ、半藏堀濠とどのくらいの落差があるんでせう。十メートルではきかないのではないかと思ひます。また、そこから警視庁方面を見渡す景色には見とれてしまひました。素晴らしいながめです。いやあ、歩いてきてよかつたです。 

薄暗くなつてきたなか、道路を挾んだ細長いビルの下に人だかりがしてゐると思つたら、なんと皇居をめぐつて走る得體の知れない人々の集團でした。そこに、休みどころがあるのでせうか。さうだ、東京FMでそんなことをやつてゐるといふのを耳にしたことがあります。

 

さて、國立劇場、最高裁判所を横に見ながら、歩道を下つて行くと、やつと三宅坂の交差點にさしかかりました。どうやら、お濠端を歩いてきたこの坂が〈三宅坂〉のやうです。が、この信號、人の通行をあまり想定してゐないのでせうか、信號を幾つも渡らないと國會議事堂側には行けないのであります。憲政記念館と國會圖書館に挾まれた坂をこんどは上つて行きました。ここは何と言ふ坂なんでせうか。わからないまま、憲政記念館前の丁字路にさしかかつて、やつと國會議事堂が見えてきました。 

さらに進んで、國會議事堂前に到着すると、「アベ政治を許さない」人々が、續々と集まりはじめました。時間は五時五〇分。我が家から、長かつた道程でしたが、ぼくはさらに茱萸坂を經て回り込み、衆議院第2議員會館前に出ました。そこはもう人が溢れかへり、警察官が柵をして押さへつけるので、よけいに道路にはみ出しさうな勢いです。 

『私たちはあきらめない! 戦争法を廃止へ! 安倍内閣は退陣を 2・19総がかり行動』といふ集會です。六時半からシュプレヒコールがおこなはれ、各党代表や團體の代表のあいさつがあり、報道や新聞では知らされてゐない多くの情報に耳を傾けました。報告によれば四〇〇〇人が集まつたといふことです。

 

國會議事堂までは、我が家から歩いて、二四三二〇歩ありました。體重も少しは減つたと思ひます。ただ、からだのためと、抗議行動に參加することはできましたが、神保町をかすめて通りながらも古本屋には寄れなかつたので、一石三鳥とまではいきませんでした。 

歸りは、國會圖書館前から都バスに乘り、新橋驛經由で歸宅しました。總計で、二七一七〇歩でした。(おしまひ) 

 

今日の讀書・・小松英雄先生の『伊勢物語の表現を掘り起こす』(笠間書院)と、それに池田弥三郎著『東京の中の江戸』(弥生叢書)を讀みはじめました。 

 

今日の寫眞・・《國會議事堂をめざす》より。最後は翌日の新聞。それによれば、參加者は七八〇〇人だつたやうです。

 



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