八月卅一日(水)乙酉(舊七月廿九日 晴

 

外は晴わたつて風爽やか。書齋の窓を開け放ち、畳に横ばひになつて終日讀書。そんなわけで、ぼくの行動の動線だけを追つたら、きつと入院生活とかはらないのではないかと思ふ。まだまだ倦怠感が抜けきれず、立ちくらみもおこるので、階段を降りるときにはとくに要注意。 

それもさうで、脈拍はペースメーカーのおかげで毎回六十九ですが、血壓は今日などは上が七十代で下が五十代でありました。これがつづくやうだつたら早めに通院したほうがいいかも知れない。 

 

今日の讀書・・『蜻蛉日記』(宮内庁書陵部藏寫本)を讀み進む。だが、難解極まりなくて、遲々として進まず。本文の上下に注と現代語譯のついた參考書(小學館《日本古典文學全集》)を助けにしてゐるから讀めるものの、句讀點も濁點もなく、平假名の連綿體では、文意をとらへることは、まるで暗號解讀と言つてもいいほどです。例へば、 

「なといふうちよりなほもあらぬことありてはるなつなやみくらして八月つこもりにとかうものしつそのほとのこころはへはしもねんころなるやうなりけり」 

これが、參考にした現代語譯ではどう書かれてゐるかと言へば、 

「などと言い合っているうちに、わたしは普通のからだでなくなって、春、夏ずっと悩み暮らし、八月の末ごろに、どうにか身二つになった。その前後のあの人の心づかいは、さすがに心がこもっていると思えたのだった。」 

この部分は、「道綱の母」と呼ばれる筆者が、その道綱を出産した場面で、ぼくは原文をひとわたり讀んで、自分なりに意をくみ取つてから、現代語譯で確かめてみるのですが、「身二つになった」なんて書かれてあつて、ええッと思ひました。どこにそんなことが記されてゐたのか、まさか出産した場面とは思ひもしませんでした。二十九歳の雅有君はすぐに理解できたのでせうか。 

まあ、萬事がこのやうだと言つては自分を卑下し過ぎでせうけれど、それでも變體假名の字面だけですが、よく讀めるやうになつたことは自信を持ちたいと思ひます。

 

今日の寫眞(前頁)・・『蜻蛉日記』(宮内庁書陵部藏寫本)と、今日のココ。

 


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