十一月日(水)丙辰(舊十一月二日 晴

 

今日は朝から、電氣屋さんに、子猫たちの先生と、人の出入りがあつて、ちよいと落ち着きませんでしたが、讀書にはさしつかえありませんでした。 

ただ、モモタはおとなしく注射を受け、爪も切らせましたが、ココは逃げ惑つて、結局先生に診てもらふこともできませんでした。 

また、電氣屋さんには、ベッドの部屋に新たにコンセントをつけていただいたのですが、壁を隔てた向こう側にあるコンセントから分岐して設置したのです。ところが、電氣をとめることなく工事をしてくださいました。どうしてそんなことができるのでせうか? 

 

今日の讀書一・・先日、一緒に尾瀨を歩いた川野さんが、平門を讀み始め、史跡についても調べてゐるといふ話を聞いたので、ぼくもだいぶ前から資料は集めてゐましたから、それではいつか 「門紀行」 をしませうといふことになつたのでした。 

それで、書庫を見回したところ、門關係書が二、三十册積み重なつてをりましたので、その中から、小説類を除いた、史跡探訪に役立ちさうな參考書を選びだしました。 

そして、その中から、門と同時代を生きた空也さんとの關りを描いた 滝沢解著 『空也と将門』 を讀みはじめたみました。空也といへば、先日讀んだ、『日本紀略』 にも登場なされましたね。 

應和三年(九六三年)八月廿三日、空也聖人が、鴨の河原で大供養。お堂まで建てて、道俗みな集まつて、嬉し樂しの大舞を行つたといふものでした。 

その空也さんが京に入つて活動しはじめたのが天慶元年(九三八年)、門の亂が起こつたのが承平五年(九三五年)~天慶三年(九四〇年)ですから、たしかに重なるのであります。 

さて、その空也さんと門がどんな關係があるかなんて考へてもみませんでしたので、興味津々。いやあ、さうだつたのか、なんてはじめから感心することしきりです。 

 

今日の讀書二・・昨夜、『蝸牛庵訪問記』 を一気に讀み通してしまひました。幸田露伴さんのその壮絶な終焉近くになると、氣が急くやうに讀み進みました。 

「蝸牛庵というのはね、あれは家がないということさ。身一つでどこへでも行ってしまうということだ。昔も蝸牛庵、今もますます蝸牛庵だ。」

 

そして、その何度か移り住んだ蝸牛庵のひとつ、「菅野蝸牛庵」で最期を迎へたといふことを知つて、ぼくは、ええつ、と驚いてしまひました。といふのは、菅野とは、京成電鐡の菅野であり、京成八幡驛から北へ入つたところだつたからです。つまり、のちに永井荷風が移り住んでその終焉を迎へた家の近くだつたからです。永井荷風が亡くなつた家は訪ねましたが、こんどは露伴さんの終焉の地を訪ねに出かけたいと思ひました。

 

ところで、この本の著者、小林勇さんが、また大變な方であつたことを知りました。 

「小林勇が一生の間に交わった学者芸術家その他の、質と量、相乗積の総計は、驚嘆すべき価値の大きさに達していた」、と解説にありますが、讀んでゐてそれは掛け値なしに眞實であると思ひました。要するに、岩波書店で出されて本の著者すべてと交際があつたといふことでもあります。これは大げさではありません。 

いちいち名前をあげても仕方ありませんから、著者の年譜からおもだつたところを書き出してみます。 

 

一九〇三年(明治三六年) 長野県上伊那郡赤穂村(現在の駒ケ根市)に生まれる。 

一九二〇年(大正九年) 一七歳 上京。岩波書店に入店。住み込みの店員となる。 

一九二六年(大正一五年・昭和元年) 二三歳 春、初めて幸田露伴を訪ねる。年末、三木清と出会い、すぐ親しくなる。 

一九二七年(昭和二年) 二四歳 三木清、長田幹雄らとともに岩波文庫の創刊に携わり、七月より刊行開始。幸田露伴『五重塔』、島崎藤村『藤村詩集抄』、武者小路実篤『幸福者』など。 

一九三二年(昭和七年) 二九歳 岩波茂雄の反対をおして次女小百合と結婚。 

一九三八年(昭和一三年) 三五歳 吉野源三郎、三木清とともに岩波新書創刊につくす。一一月より刊行開始。齋藤茂吉『万葉集秀歌上・下』、中谷宇吉郎『雪』など。 

一九四二年(昭和一七年) 三九歳 八月、北軽井沢で息子とともにクレヨン画を描いたのがきっかけとなり、絵の勉強をはじめる。 

一九四五年(昭和二〇年) 四二歳 五月九日、治安維持法違反の嫌疑で東神奈川警察署に拘禁され、『特高から毎日岩波新書のことについて取調べを受け』る。八月一五日、終戦。八月二六日、釈放(横浜事件)。九月二六日、三木清獄死。 

一九四七年(昭和二二年) 四四歳 三月、中国の五大学に岩波書店の全出版物を寄贈する。七月、幸田露伴死去。 

 

まあ、ここまでにしておきますが、以後も、岩波映画製作所を創設したり、「岩波写真文庫」を創刊したり、五八歳で、「手習い」をはじめてもゐます。 

それと、警察署に拘禁されてゐたときのことを、本人の口からお聞きしませう。 

 

「八月になって戦争が終わりに近づいていることは、私にもわかっていた。そのころ、私に対する取調べはふたたびひどくなっていた。八月の三日か四日であると思うが、私の顔は血だらけになっていた。そこへ検事が私に会いに来たというのである。私をなぐっていた男は私を留置場へ返して逃げてしまった。私はひょっとこが血だらけになったような顔で検事の前へ出ていった。 

・・・しばらくたってから検事は、『君は露伴先生とどういう関係があるのかね』ときいた。私が本屋の関係以外に何もないと答えたところ、不思議そうな顔をしていたが、やがて彼は鞄の中から、一通の手紙を出した。それは先生から私に宛てたものであった。」 

 

最後に、小林勇さんが、二〇歳のときに、徴兵忌避をしてゐたことを知つて、これにも驚きました。年譜によれば、「一九二三年(大正一二年) 二〇歳 郷里にて徴兵検査を受ける。忌避のため一ヵ月以前から減食。第二乙種合格となる。」 合格と言つても、「懲役忌避に成功した」 ことは紛れもなく、このことに關して、解説者はかう言つてゐます。 

「小林勇に愛国心が無かったのかどうか。それは彼の一生を見れば分かる。私がそれを代弁するならば、真に価値あるよき事を実現すればおのずからそれが国のためになる、ということだ。」 ぼくもさう思ひました。でなければ、岩波文庫も、岩波新書も、またこの二種の書に影響を受けて出版されたその他多くの文庫や新書さへなかつたかも知れないのです。 

 

今日の寫眞・・門關係書の中から選んだ、史跡探訪に役立ちさうな參考書。それと、小林勇さんの畫像。川和敎會でお世話になつた近藤さんに似てゐるので、親近感をもちました。

 


 

十一月の讀書記録

 

十一月一日 黒川博行著 『暗礁 上』 (幻冬舎文庫) 

十一月二日 黒川博行著 『暗礁 下』 (幻冬舎文庫) 

十一月四日 上月乙彦著 『芭蕉と切支丹』 (明石豆本らんぷの会) 

十一月八日 黒川博行著 『螻蛄』 (新潮文庫)

十一月九日 黒川博行著 『封印』 (文春文庫) 

十一月十一日 黒川博行著 『破門』 (角川書店) 

十一月十二日 田辺聖子著 『蜻蛉日記をご一緒に』 (講談社文庫) 

十一月十四日 黒川博行著 『勁草』 (徳間書店) 

十一月十七日 山本幸司著 『穢と大祓』 (平凡社選書) 

十一月十七日 黒川博行著 『落英 上』 (幻冬舎文庫) 

十一月十八日 黒川博行著 『落英 下』 (幻冬舎文庫) 

十一月廿一日 飯嶋和一著 『汝ふたたび故郷へ帰れず』 (小学館文庫) 

十一月廿六日 志水辰夫著 『疾れ、新臧』 (徳間書店) 

十一月廿九日 小林 勇著 『蝸牛庵訪問記』 (講談社文藝文庫)

 

以上、十二(十四)册と、その他讀みかけ多數。