三月十三日(月)己亥(舊二月十六日 曇り

 

今日の讀書・・『宇都保俊蔭』 を讀み終へて一段落ですけれど、學習院さくらアカデミーの 《源氏物語をよむ》 まであと一月しかありません。その間に讀むべきものが四、五册ありますが、間に合ひさうにありませんので、歌集を省略して、つづいて 『落窪物語』 を讀むことにしました。 

平安時代初期から中期にかけての文學を、文學史年表的に分類すると、まづ、和歌があげられるでせう。『古今和歌集』 がその筆頭に位置してゐます。 

つづいて、日記文學。『土佐日記』 と 『蜻蛉日記』。 

最も多いのは、歌物語です。『伊勢物語』、『大和物語』、『平中物語』、『多武峰少將物語』、『篁物語』 などです。和歌の説明といふか、その解説としての物語ですから、両者を切り離すことができません。 

もつとも、『土佐日記』 と 『蜻蛉日記』 も、和歌をぬきにしては語られないので、歌物語に属するといつてもいい内容です。 

そして、和歌と物語がそれぞれ獨立しはじめて、その結果書かれたのが、作り物語と呼ばれる文學です。作り物語は 『竹取物語』 をもつてその嚆矢とされてゐますが、物語として獨立したころの文學としてあげられるべきは、『宇津保物語』 と 『落窪物語』 でせう。そしてこれらすべての文學の結晶として現れるのが、『源氏物語』 であると言つていいと思ひます。

 

このやうに、ぼくの讀書も、『古今和歌集』 が繼續中なのを別にして、一應すべて、それも影印本(寫本とか複製とも呼ばれる)で讀んでくることができました。やはり、なんと言つても、めざすべきは、『源氏物語』 といふ頂上でせうね。その麓にやつと辿り着いたといつたところです。あと一息、『落窪物語』 を越えれば、きつとその姿がのぞめるでせう。 

 

で、その 『落窪物語』 ですが、これは、『宇津保物語』 とともに、『源氏物語』 の道備へをした物語ですから、これ以上の豫習はありません。 

内容も、中村眞一郎さんによると・・・ 

「〈物語の祖〉であった 『竹取物語』 では、人物は環境から生まれた典型といふか、見本の人形として以上の生命は持ってはおらず、最初のロマンである 『宇津保物語』 においては、人物は記号以上の存在感がない。それがこの 『落窪物語』 において、日本の小説ははじめて、人物に性格というものが与えられることになる。 

筋の面白さの都合でなく、性格の必然によって物語が展開するというのが、小説の正道であり、日本のロマンは 『落窪物語』 によって、形の上でなく、構造の上ではじめて小説の骨法を備えたということになる。」(『王朝物語』新潮文庫)。 

と、まあ、最大の賛辭を呈してをります。それで、當然なのでせうが、字面ではなく、物語られる内容に引つ張られて讀めるのはうれしいし、面白いです。 

 

*補注・・【落窪物語】 平安時代の物語。4巻。作者不詳。源氏物語よりもやや早い成立か。中納言忠頼の娘が、継母にいじめられて落窪の間に押し込められるが、左近少将道頼に迎えられ、中納言一家も栄える。継子いじめという陰湿な主題を、客観的叙述により明るくおもしろく描いたところなど、後世の物語に与えた影響は大きい。 

 

今日の寫眞・・『落窪物語』、影印本二種。ぼくは、古典文庫の〈尊經閣文庫複製本〉で讀みはじめたのですが、とても讀みやすくなりました。それが、ぼくの讀解力(くづし字リテラシー)が向上したからなのか、複製自體が讀みやすい文字なのか、これが客觀的にわかりませんのです。不思議です。