正月廿三日(木)甲午(旧十二月廿三日) 晴れ 

昨夜、めでたしめでたしなんて書いたもんですから、その反動がきてしまひました。目が覚めたとたん、胸の動悸が激しく襲つてきたのです。胸と背中が重いんです。意識して深呼吸をするやうに、ゆつくり吸つて吐いて、それでもじつとしてゐるより、体を動かしたはうが楽な感じです。

 やはり、御成門駅の長い階段や愛宕山の石段の上り下りが祟つたのかも知れません。検査の結果が危ぶまれます。けれども、だからといつて自棄のやんぱちになつたら負けなんです。そこで気づいたのは、利尿剤です。外出のときは飲まないで出るのですが、それが二日続いたのを思ひ出したんです。そこで、今朝は、二日分飲みました。すると出るは出るは、午前中だけで七、八回。夕方までに十数回出ました。いや、普段からこんな無茶なことをしてゐるわけではありません。日にちをかけて脱水していくのがいいにきまつてゐます。特別です。その結果、確かに楽になりました。余分な水分を出すと、心臓への負担がずつと軽くなるんです。これは、持病を持つた者の貴重な経験といふか、知恵みたいなもんなんです。威張れるやうなもんぢやありませんけどね。はい。

 だからといつて、漫然と回復を待つのは悔しいです。横になりながらも、けふも『方丈記』を読み続けました。

  「人を頼めハ身他の有となり 世にしたかへは身くるし したかハねは狂せるににたり いつれの所をしめていかなるわさをしてかしハしも此身を宿し玉ゆらもこころを慰むべき。」

現代訳にしますと、「他人を頼ると、自分の身が自分の思ひどほりにならず、他人の所有物となつてしまふ。世の中にあはせてゐると、自分の身が窮屈になる。したがはなければ、狂人のやうに見られる。どんな場所を得て、どのやうなことをしたなら、しばらくでも、この身を安住させ、つかの間でも心の安らぎを得ることができるのだらうか。」となります。なんて難しいことなんだらうかと思ひます。鴨長明、出家後の言葉とはいへ、いつの世においても、人の根本的な望みといふものは変はらないんだなあと思ひました。

本といへば、けふ、ネットで注文した、徳富蘇峰の『和宮御降嫁(久世・安藤執政時代) 近世日本国民史』が届きました。安いんです。古書店で見たときには、あまりの高さにビックリしたんですが、さういふときは、必ず控へておくことが鉄則です。一昨日も三、四冊書き留めてきました。『ひらがな物語』と『万葉集を訓んだ人々』と『戦国時代の諏訪信仰』、それに『頼山陽にピアス』です。ネット初心者なんですが、求めるものがあるとすぐ入手できるのが嬉しいです。ただ、ほんとにいいことなのかどうかは、また別に問題にしなければならないのでせう。

 今、午後九時過ぎ。やつと調子が戻つてきました。でも、『方丈記』の続きを読みながら、早く寝ようかと思ひます。

 

今日の写真:受験生の聖実ちやんのために、ラムの寝姿特集。ぼくも同じやうな感じで寝て過ごしました。