四月十一日(金)壬子(旧三月十二日) 晴れ

いよいよ手術当日です。以前、心臓外科の医師に、「アブレーション検査云々・・」と言つたところ、それはぼくの生半可な理解からだつたのですが、「いいへ、アブレーション手術ですよ」と言ひ直されたことがありました。たしかに、けつこうリスクのともなふ手術だつたのです。

朝食抜き、六時半に処方された薬を飲んで、すぐ手術着に着替えさせられました。ちよつと気が引けたのは、まるでティバックのやうな下着をはかせられたことです。それから、左の手首の動脈に注射針を挿入。手術中に何種類もの注射液を注入するところです。さらにです、尿管に管を挿入しました。ちよいと痛かつたです。手術中はもちろん、手術後も起きて歩けるやうになるまで自然に尿が流れ出るためです。もちろん溜めておく袋つきです(これは、くせになりさうで~す?)。

そのあたりで妻がきてくれました。病室で待機するためです。

手術室までは歩いていきました。以前は違ふ階にあつたと思ふのですが、今回は、同じ病棟の、トイレなどを挟んだ病室の北側に位置し、ものの数秒とかかりません。といふことは、あまり覚悟がかたまらないうちに、否応なく手術台に寝かせられたのでした。医師は五、六人はゐたと思ひます。「お願ひします!」と、から元気を出して、ひやつとするベッドに横たはりました。

 そこからはみなさん手早いこと。まづ、股毛を剃つたところを消毒し、それがチクと痛いなと思ふまもなく大静脈にカテーテルが挿入され、同時に、右肩の付け根、肩甲骨のすぐ下

の血管から別のカテーテルが入れられるといふ物々しさです。そして、眠くなる薬を入れますよとのお言葉とほとんど同時にわが意識はぱたつととぎれたのであります。

 

 茫洋としつつ、ふと目ざめたのか、誰かに起こされたのか、あとで聞くと、妻が夫たるぼくの顔を殴つたといふのです。医師に起こすやうに言はれたのださうですが、ひどいですよね。でも、さうでもしないと目ざめなかつたといふのです。

 一時間の予定が、二時間半にも及び、そのたびに「眠くなる薬」が注入されたからなんださうです。つまり、処置すべき個所が一か所どころか数か所にもおよび、それでも手の、いやカテールのとどかないところがあつたらしいのです。そこは微妙なところで、このままで推移すればよく、わるくすればペースメーカを使用しなければならなくなるといふのです。ただ、かういふことは、「はい。」と素直に聞いて心におさめるしかないんです。じたばたするもんではありませんのです。はい。

 いや、目ざめてすぐこんな問答がなされたわけではありません。起こされても起こされても、大いびきをかいて眠り続けたさうです。そして、やつと目ざめるや否や、今度は、吐き気

におそはれてどうにもおさまらないのです。このあたりからはすでに意識はありましたから、覚えてゐますが、昼食は食べられない、さらにこの苦しみは夕食にもおよび、ついに一日なにも食べられませんでした。

 その夜が、さらに地獄の苦しみでした。かういふと、「地獄の苦しみはそんなもんぢやあありませんぜ」と脅かされさうですが、うとうとすると目ざめ、うとうとすると目ざめそれが三十分おきに、しかも体は動かせない、腰は痛い、吐き気はやまず、これを地獄と呼ばずになんといふべきなのでありませうか? 「責任者出てこいと!」との叫び声が飛び出さうとするのを、喉仏がどうにか押しとどめてくれましたのです。ああ、精も根もつきました。

 

今日の写真:手術の予定表と看護婦さんのおそろしい、いや、素晴らしい服装の柄。