七月十四日(火)丙戌(舊六月十八日) 晴れ、むし暑い

南伊豆在住時、ラムを我が家にくださつた平畑さん(屋號)にお送りするために、ラムの寫眞をプリントしました。東京に來てからのものばかりです。幸せに生涯を送つたことをしたためて同封しました。

でも、ぼくたちのところにもらはれてきたラムは幸せだつたと思ひます。なにも非難するわけではありませんが、その飼ひ方を見てゐて、これでは可哀想だと何度も思ひました。それは、いつもつなぎぱなしにしてゐたことと、食べ物の與へ方です。あるときは、見てゐる前で、あまつたからといつて大きな大福もちを三つ、ラムに與へようとしたのです。ぼくたちの家のラムとなつても、よくお訪ねしたので、そのやうなある時のことでした。

またある時は、おせんべいを無造作に與へようとしたので、いや、ちよつと待つてください、あとであげますからともらつて歸つてきたこともあります。大福のときにははつきりと斷はりましたけどね。このやうですから、それまで飼はれてきたイヌたちが、どんなになつてしまつたか、おのづとわかります。

ぼくたちが住みはじめたころ、大きなラブラドールだつたと思ひますが、そのお宅で飼はれてゐました。そのイヌたるや、通る人はもちろん自動車までとびかかつて、傷をつけたといふ話も聞きました。たしかに怖くてそばに寄れませんでした。つまり、飼ひ主の都合で食べ物を與へたり、かつてに吠えるさせてゐたり、どういふ飼犬になつてほしいかなど少しも考へてゐないんですね。ただ飼つてゐるだけなんです。

我が家でしたことは、むだ吠えさせないやうにし、食べ物は決まつた時間に十分に與へ、そのかはり食事以外には一切ものをあげませんでしたし、つながないでも自由に散歩ができるやうに、これはちよいとした苦勞話になつてしまひますが、そのかはり實に樂しい山暮らしを味はうことができましたし、そして、どこかへ遊びに行つてなかなか歸つてこないのでイライラ心配しながらも、歸つてきたら心からよく歸つてきたねと抱いてほめ、寢るときには一日樂しかつたねと、いい子いい子、よしよしと寢るまでそばにゐてあげました。たつたそれだけでした。

もちろん、今日の夜の散歩は、ラムの伊豆の山の中での生活が話題でした。

 

午後からは弓道場へ行きました。先生も來られてゐて、いつもより多い五人でお稽古に勵みました。でも、何か、落ち着かない氣持ちがわきあがつて、滿足いきませんでした。

 

今日の寫眞:なぜわたしは犬に生まれてきたの? と言ひたげに見つめるラム。それと、遠くに遊びに行つて歸つてきたところ!