七月廿八日(月)庚子(舊七月二日) 晴れ

今日も、「中仙道を歩く(十七)」を書き續けました。長久保宿とともに、上田城と眞田氏との関係について書きました。いや、書庫を何回往復したでせうか。戰國時代末期の眞田氏については知識がなかつたので、あれこれ本を出して、だいぶ調べものをしてしまひました。

 

夜の散歩は、昨夜とは反對に、南に向かつて歩きました。四つ木まで行こうかと思つて歩きはじめましたが、平和橋通りが水戸街道と交差する一つ手前の信號を左折してしまひました。そこは、例の、もと曳舟川だつた“曳舟川親水公園”なんです。もうすでに暗渠化されて、ところどころで水遊びができるやうにされた、名前ばかりの親水公園となつてゐます。 

さかのぼるやうにして歩いていくと、變はつた四阿(あづまや)風の建物がいくつか見受けられます。一つはトイレでした。おや、と思つて下を見ると、變はつたマンホールではありませんか! 一つは、曳舟川にちなんだ、舟を綱で引いてゐる圖柄のレリーフ、もう一つは、纏(まとひ)をかついだ若衆の圖柄です。いやァ、珍しいものを見つけてしまひました。

京成お花茶屋驛前までやつてきて、その角の新本屋さんで休憩し、またまた商店街をひやかしながら歸路につきました。約一時間二十分、六一七〇歩でした。

寫眞は、防水を第一に購入したニコンのカメラ(クールピクス AW120)で寫したものです。夜の景色もそこそこには寫るんで、まことに重寶してゐます。

 

今日の寫眞:踏切から見たスカイツリー。“曳舟川親水公園”の四阿とマンホールのレリーフ。それに、お花茶屋驛。