五月廿二日(日)甲辰(舊四月十六日・望) 晴
今日の讀書・・風間真知雄著「耳袋秘帖」シリーズ第十彈、『神樂坂迷い道殺人事件』(だいわ文庫)を讀み終へました。イージーリーディングなのですが、今回は、ちよいとストーリー的に飛躍がありすぎて、讀んでゐるものが置き去りにされてゐるやうな感想をもちました。
でも、與謝蕪村の句が紹介されてゐたから許すことにします。まづ、冒頭に三句。晩秋のころの句として・・・。
秋の空きのふや鶴を放ちたる
悲しさや釣りの糸吹く秋の風
身にしむや亡妻の櫛を閨に踏
そして最後の頁・・・。
「根岸はかすかに微笑み、それから余計なことは言わず、
『このあいだ、秋空を讀んだ蕪村の句を思い出してみたのさ。やっぱり蕪村はいいな。秋の夜の句には何かあったかな』
根岸がそう言うと、
『蕪村の夜の句はぐっと来るぞ。根岸。おれたちの齢になるとあんまり思い出さねえほうがいいかもしれねえ』
と、五郎藏は心配げに言った。
──あ。
思い出してしまった。五郎藏の言うとおりだった。
欠け欠けて月もなくなる夜寒哉
夜寒はやはり寂しい。根岸はそっと窓の障子を閉めた。」
ついでに、影印本も出してきて見ました。天明四年版『蕪村句集』(上下)です。ところが、これはまた實に難解なくづし字で、頁を開いたとたんお手上げでした。こんなはづはないのですが、最初の句なんて、數文字しか讀み取れませんでした。かういふ場合は、ですから、讀み慣れるまでは、翻刻版とくらべながら文字を確認しつつ進むしかありません。まことにもつて、獨特な筆なのであります。
さらに、萩原朔太郎の『鄕愁の詩人與謝蕪村』(新潮文庫)も開いてみました。これはぼくの愛讀書の一册で、氣持ちがやすまるといふか、さうだなーと、じぶんを取りもどすときには最適の書です。むしろ、芭蕉より、ぼくは親近感がわきます。
さて、「耳袋秘帖」シリーズですけれども、まだまだつづきがありさうですが、このへんでお休みして、本筋の『貞信公記』のもどりたいと思ひます。
今日の《平和の俳句》・・「一呼吸の中に平和宿りし」(六十五歳女)
〈金子兜太〉呼吸は生命のリズム。平和はそのリズムに息深く織り込まれて、ここに。
〈いとうせいこう〉抽象的なようでとても具体的な一句。生命の根源の働きを指す言葉。
今日の寫眞・・今日の新聞切り抜き。『蕪村句集』と『鄕愁の詩人與謝蕪村』と『神樂坂迷い道殺人事件』。それと、夜のピクニックで見た滿月と猫。
また、今日から、「ひげ日記」のホーム寫眞に我が家のノラたちを載せました。