二〇一七年五月(皐月)一日(月)戊子(舊四月六日 晴、午後一時雷雨

 

今日は大事をとつて、靜かに横になつてゐました。今回は、喉ではなく鼻の奥がむずむずして仕方ないのであります。問題は、これが咳にかはらないやうにすることです。それで、何度も起き出しては鼻うがひをしましたが、なかなかおさまりません。 

そのかはり、本が讀めました。一册は、長田弘著『世界は一册の本』(晶文社)です。平易なことばで平易な、しかし精神の在り方を指し示してくれる、すばらしいことばに満ちてゐます。心靜かに讀まないと、けれどなにも語つてくれない本です。

 

それともう一册は、「お伽草子」のなかの 『ものくさ太郎』 です。もちろん複製(影印)でしたが、『源氏物語』 にくらべたら讀みやすいことこのうへありません。七五頁ありましたが、一氣に讀むことができました。 

理由は簡單。物語として分かりやすいからです。語句や單語もほとんど理解できます。ところが、『源氏物語』 は、筋が追へないこととともに、次から次に理解不能な敬語をふくめた單語や語句が出てきて、どこで句讀點を打つてよいやら皆目見當がつかないからです。 

さう、室町時代に書かれた 『ものくさ太郎』 では、すでに句讀點(讀點もすべて句點で記されてはゐます)が打たれてゐて、讀む人、このころは一般庶民も手に取ることができたのでせうね、たしかに讀みやすくなつてゐます。 

 

今日の寫眞・・長田弘著『世界は一册の本』(晶文社)と『小さな本の大きな世界』(クレヨンハウス)。後者は、妻が、さも自慢げに出してきた本で、クレヨンハウスまで買ひにでかけたといふ曰くつきの本です。この中の文章は、「東京新聞」に連載されてゐたものらしくて、また、酒井駒子さんの挿繪が氣に入つたやうで、これが讀めて手もとにおくことができただけでも、東京に歸つてきてよかつたとはしやいでゐた曰くつきの本です! 

それと、『ものくさ太郎』 が、信濃の國から東山道を都へのぼる場面。