十月廿一日(日)丙戌(舊九月十三日・十三夜) 

 

ちよいとぞくぞくしたので、終日横になつてゐました。そのおかげで讀書も進み、『源氏物語〈須磨〉』 を讀み終はらすことができました。 

 

須磨の侘び住まひの樣子がつづきますが、この卷で面白いのは、隣町の明石の入道といふ佛門に入つた元貴族が、自分の娘の明石の君を光源氏に嫁がせようと畫策し、それに反對する妻と言ひ爭ふところでせうか。 

都から宰相(頭中將)がはるばる訪ねてきて、一時の再会を喜び合ふ場面もいい。それに、最近ついてない光源氏が、陰陽師を招いて海邊で御禊(みそぎ)を執り行なふところですね。突如の暴風雨に襲はれ、源氏一行は皆恐怖におののき、こんなところにはもう住みたくないと思ふ光源氏なのでした。 

 

ところで、すらすら讀めるやうになつてうれしいのですが、靑表紙本〈須磨〉で氣がついたのは、小學館の日本古典文學全集と新潮社の新潮日本古典集成の本文とくらべると、ことばの變更や加筆が多いことと、ことばの前後の入れ替へが目立つたことです。特に加筆は多い。 

例へば、以下の引用は、靑表紙本の一頁から二頁目にかけてです。引用文は、全集本を下敷きにして、全集本にしかない言葉は赤文字靑表紙本にしかない言葉は黑濃い文字にして並列してみました。當然重なつてゐるところがあります。 

 

「よろづのこと、来し方行く末、思ひ続けたまふに、悲しきこといとさまざまなり。憂きものと思ひ捨てつる世も、今はと住み離れなむことを思すにはさすがにいと捨てがたきこと多かるなかにも、姫君の、明け暮れにそへては、思ひ嘆きたまへるさまの、心苦しうあはれなるをさいなに事にもすくれてあはれにいみしきを行きめぐりても、また逢ひ見むことをかならずと、思さむにてだに、なほ一、二日のほど、よそよそに明かし暮らすおのつからへたつる折々だに、いかかとおぼつかなきものにおぼえ、女君も心細うのみ思ひたまへるを・・・」 

 

以上は最もひどいところですが、これは全集本が靑表紙本をもとにしてゐないからであらうと思はれます。まあ、ぼくは小説として讀めればいいだけのことですけれど、ちよいと氣になりますね。 

 

それと、富永仲基關係で、今日から、富樫倫太郎著 『風狂奇行』 を讀みはじめました。これは小説ですが、當時の大阪の町人たちの生態や學問への情熱が感じられて興味深いものがあります。 

それで讀みはじめたら、懐德堂の取りまとめ役の中井甃庵(しゆうあん)さんがたびたび登場するのには興味を禁じ得ませんでした。九月二十八日に古本市で求めた随筆集 『とはずがたり』 を思ひ出し、讀みはじめたら、これがまたすらすらと面白い!

 

註・・・懐德堂と中井甃庵  享保9年(1724年)、五同志が懐徳堂を設立。三宅石庵を学主に迎える。享保11年(1726年)、石庵の弟子中井甃庵の奔走により、懐徳堂が江戸幕府から公認され官許学問所となる。甃庵は懐徳堂の預人(事務長に相当)に就任。 

享保15年(1730年)、石庵が没し、甃庵が預人を兼任したまま二代学主に就任。