四月十二日(木)甲戌(舊二月廿七日) 

 

東京は暑くなりました、が、《東京散歩》日和と思ひ、また歩いてきました。上野驛から飯田橋驛まででした。 

〈コース番號23〉のコース名と内容─「江戸名勝探訪 後楽園・小石川・上野 飯田橋駅~上野駅 德川光圀造園の小石川後楽園、德川綱吉の別邸跡地で静養所のあった小石川植物園と上野の山とを結ぶコース。途中にはこんにゃくえんまの源覚寺や、伝法院などの古刹も多い。〔所要〕3・5時間」。 

このあたりも、何度も歩いた所なんですが、いつかは訪ねたいと思つてゐた小石川植物園や傳法院もふくめて、新鮮な氣持ちで歩き通すことができました。

 

ガイドブックのコース内容とは逆に、京成上野驛から、一〇時二〇分に歩き出しました。 

池之端をかすめて不忍通りに出、「舊岩崎邸庭園」の塀にそつて「無縁坂」を上りました。それほど險しい坂ではありませんでしたが、これが、さだまさしの歌つた「無縁坂」なんでせうか、と思ひつつ、東京大學の龍岡門から東大附屬病院、三四郎池を左手の木陰に見つつ正門まで至りました。赤門と農學部門からは出入りしたことがありましたが、龍岡門と正門ははじめてでした。 

で、その正門の眞ん前、本郷通りを渡つたところに、さう、決して忘れてはならない碑があるのを思ひ出しました。良寬さんの書で、「天上大風」と書かれた、「東京大學戰没同窓生之碑」です。「若者たちのいたましくも悲しい事実を歴史に刻む碑」と側面には刻まれてをります(註)。

 

氣持ちが回顧的になつてきたところで、ついで、「德田秋声旧宅」、明治時代の建物の「鳳明館本館」、樋口一葉が通つた「伊勢屋質店」を訪ねながら、「梨木坂」、〈歴史と文化の散歩〉と書かれた「菊坂」を菊坂下まで下つて左折すると白山通りの西方交差點でした。

 

ちやうどお晝時でしたが、ここは我慢して、といふよりあまり食欲もないので、夏目漱石の 『こころ』 や樋口一葉の 『にごりえ』 にも登場する「こんにやくゑんまの源覺寺」と、渡邊崋山菩提寺と記された「善雄寺」を訪ねましたが、崋山の墓は確認できませんでした。うまいところに大亜堂書店といふ古本屋があつたので、渡邊崋山の墓のことを聞いたら、ここに生まれ育つたけれど、聞いたことはないとのご返事でした。が、そこに、長いこと探してゐた、山本鑛太郎著 『旧水戸街道繁盛記』(上下) があつたので、はたして歩けるかどうかはわかりませんが買つてしまひました。

 

さう、歩いてゐるとトイレには苦勞します。あちこちにコンビニがあるので助かりますが、ときには探せどないところもあり、幸ひ我がガイドブックにはWCの印がついてゐるので、遠回りをしてでも用をたせるのがありがたいです。(つづく) 

 

註・・良寛書 「天上大風」 東京大学戦没同窓生之碑 

昭和6年(1931)から昭和20年(1945)まで15年(満州事変 日中戦争 太平洋戦争)にわたる戦争で、東京大学も多数の戦没者を出したが、戦後50年のあいだその実数は不明のままであった。このたび大学による学徒出陣の調査が行われ、1700人近い戦没者が明らかになったが、その実数は2500人にも達すると推定されている。 

私たち医学部卒業生有志はこの事実に驚き、悲しみ、世紀がが変わる前に追悼の碑を建ててこの事実を後世に伝えるべく追悼基金を組織した。

             平成12年5月27日 医学部戦没同窓生追悼基金 

 

今日の寫眞・・無縁坂、「天上大風」碑、德田秋声旧宅、伊勢屋質店