十二月廿三日(日)舊十一月十七日(己丑) 曇天、雨

 

今日は寒いのでモモタとココを抱いて、『保元記 上』 を讀み進みました。讀むにあたつては、活字化された、岩波文庫(昭和九年發行)と雄山閣文庫(昭和十二年發行)の 『保元物語』 をかたはらにおいて、比べながら讀む豫定だつたのですが、あらためて開いたら、兩文庫自體が異なつた底本をもとにしてゐることがわかりました。物語の進行の要所要所は同じなのですが、書き方がまるで違ふのです。

 

岩波文庫は平假名古活字本の渡邊文庫本、雄山閣文庫は寛永元年木版本をそれぞれ底本にしてゐて、目次を見ただけでは同じ内容と思へるのですが、とんでもありませんでした。 

それに輪をかけて異なつてゐるのが、讀みはじめた東京大學國語研究室藏本の 『保元記』 です。複製本でくづし字ですから、わからない字句を確かめやうと兩文庫を開くのですが、それがどのところかわからないのです。と言ふか、底本となつたそれぞれの筆者が、讀んだり聞いたりした話を、後に何も見ずに書き直したと言つたはうがよいくらゐの違ひがあり、いわゆる寫本ではないやうなのです。

 

まあ、以上の三册がまつたく別の内容だとは言ひませんが、比べることをやめて、一本に集中して讀むことが肝心だなと思ひました。例へば、今日の寫眞は、新院(崇徳上皇)側と天皇(後白河天皇)側の武士が、大和路の「法性寺の一の橋の邊にて」はじめて遭遇し、互ひに名のりを上げる場面です。違ひは一目瞭然で、比べるのをやめたはうが樂しめさうです。 

 

それにくらべて、『源氏物語』 はどうなんでせう。氣になる所です。そこで參考になるかなと思つてゐるのが、昨年の夏に求めた、池田利夫著 『河内本源氏物語成立年譜攷─源光行一統年譜を中心に─』(貴重本刊行会) です。ぼくが讀んでゐるのは靑表紙本といふ、藤原定家によつて 「本文校訂された写本」 ですが、『河内本 源氏物語』 がまた見直されてきてゐるといふことを、「源氏物語をよむ」の講義で先生から聞いた覺えがあります。 

兩本の違ひは、次の記事が參考になります。 

 

「…(当時乱れに乱れていた 『源氏物語』 の本文を正すために)、異本群の混乱を救い統一した形に整えようとしたのが鎌倉初期の藤原定家および、ともに河内守となった源光行(11631244)・源親行父子であった。定家は当時の善本とされた7本をもとに 〈青表紙本〉 を整定し、光行・親行らはさらに多くの本を参考にして 〈河内本〉 を整定した。前者は簡潔で余情にまさり、後者は文意の通ずることに重きを置いた注釈的本文となった。…」 

 

でも、これも比べて讀んだから面白くなるとは限りません。まあ、兩方揃へておけたらいいですけど・・・。 

 

註・・・源光行(みなもとの-みつゆき) (11631244) 鎌倉前期の歌人、学者。和歌を藤原俊成に、漢詩文を藤原孝範に学び、藤原定家とも交友があった。はじめ鎌倉にあって源頼朝らに仕えたが、後に後鳥羽院の北面の武士となり、承久の乱により斬罪のところを嫡男の親行の奔走により辛うじて免れた。勅撰和歌集に19首入集、著作に 《蒙求和歌》 《百詠和歌》 《新楽府和歌》 があるが、最大の業績は 《源氏物語》 の本文校訂とその注釈を企図し、その事業を親行に継承させたことである。父子によって完成された河内本 《源氏物語》 および 《水原抄》 は鎌倉時代の源氏研究に多大な影響を与えた。