六月十日(火)壬子(旧五月十三日) 曇り、時々日差し 

朝九時に家を出て慈恵大学病院に直行、到着するや否や、わづか数分で胸にホルター心電図が装着されました。ちやうど半年ぶりです。何も誇れるやうなことぢやありませんが、これも自分を知るための一つの検査といふか、機会と思へばいいんでせう。

まだ十時過ぎです。御成門駅から大手町駅乗り換へで、神楽坂にやつてまゐりました。今日の“史策”は、勝海舟の父親、勝小吉夢酔さんのお墓参りです。

小吉さんは日蓮宗で、『鷹』二部作の中で、事あるごとに御題目を唱へてゐました。それで、勝家の菩提寺であつた日蓮宗清隆寺へ葬られたと知つたからです。ちなみに、小吉さんの妻お信さんは、のちに海舟が移住してゐた静岡市沓谷の蓮永寺に埋葬されてゐるさうです。

神楽坂駅一番出口から出て、赤城神社の前を右折した先に清隆寺はありました。小さなお寺と墓地で、そのわきから墓地に入れましたので、無断で立ち入つて探しました。すべての墓石を確認するにもそれほど時間はかかりませんでした。目立つたのは、墓地の持ち主がわからなくなつたために合祀しますよといふたくさんの張り紙でした。お墓をほつぽりだしてしまふ人もゐるんですね!

ところで、小吉さんのお墓ですが、探してもなかつたのです。それで仕方なく、表玄関からお訪ねし、住職さんにお聞きしたのですが、そうしたら、昭和三十三年に、青山墓地に移されたといふのです。青山墓地といへば、海舟の長男、小鹿さんのお墓があります。移された理由はわかりませんがいづれお訪ねしたいと思ひます。

それで、肝心の勝海舟のお墓ですが、晩年に“洗足軒”といふ藁ぶきの別荘をつくつて住んだ、大田区南千足の洗足公園にあるそうなんです。是非お訪ねしたいと思ひます。

そのまま早稲田通りに出て、大仏次郎『天皇の世紀』全巻等を入手しました。

 

けふのラム。朝の散歩以外、一日まつたく食事をせず、横になつたきり。やつと夜の散歩には出られ、ウンチをしましたがオシッコはせず。チーズをあげたら、しばらくして吐いてしまひました! 遠くを見つめるやうな目をして、のどの奥で何か言ひたげに小さくうなつてゐます。

 

今日の写真:新宿区赤城元町の清隆寺。その墓地のあちこちに見られた“不在墓地“。神楽坂の赤城神社。そしてけふのラム。